日本フィル・第277回横浜定期演奏会

昨日は、3月に続いて首席指揮者アレクサンドル・ラザレフが振る日本フィルの横浜定期を聴いてきました。以下のプログラム。

グラズノフ/バレエ音楽「ライモンダ」より抜粋
     ~休憩~
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 コンサートマスター/木野雅之
 ソロ・チェロ/菊地知也

凄かったのは悲愴。ラザレフは日フィルの首席指揮者に就任する以前、読響にも度々登場してチャイコフスキーの交響曲を全曲指揮していたはず。私は何となく全て聴いたと思っていましたが、恐らく今回の第6は聴かなかったものと見えます。
記録を調べていないので確かではありませんが、悲愴は定期ではなく特別な機会に取り上げたのでしょう。今回接した第6交響曲は、私がこれまで様々な指揮者、色々な機会に聴いてきた悲愴とは全く異なる次元の演奏、もし以前に接していたなら決して忘れることのできない類の体験でした。

そのチャイコフスキーに入る前に、先ず前半のグラズノフ。

ボリショイ劇場の音楽監督を長く務めたラザレフは、本来はオペラやバレーなど劇場で活躍してきたマエストロ。中でもグラズノフのライモンダは特別に愛着があるようで、日フィルで取り上げるのも今回が二度目のこと(前回は2010年9月)。私は前回聴き逃しているので、今回が初体験でした。

ポケット・スコアではワルツのみ出版されているだけですし、生憎レコードも手持ちがありません。詳しいことは判りませんが、抜粋あるいは組曲の形で演奏されるのは珍しいのじゃないでしょうか。
カーマスからは組曲版が出ているので、私が知らないだけかも。どちらにしてもグラズノフらしい抒情的なメロディーが美しく、各ピースも短めなので次々と繰り出されるバレエの場面に退屈することはありません。

プログラムに掲載された演奏順序は、第3幕の間奏曲→第1幕第1場第4景→プレリュード→ロマネスカ→グランド・ワルツ→ピツィカート→ワルツふたたび→間奏曲→ヴァリアシオンⅠ→グラン・アダージョ→スペイン舞曲→サラセン人の登場→東洋的舞曲→第2幕第3景→ヴァリアシオンⅣ→ガロップ→アポテオーズ(大団円)。
グラン・アダージョではヴァイオリン・ソロが活躍し、ピアノやチェレスタが独特な雰囲気を醸し出します。

ラザレフの指揮は如何にもこの作品を楽しんでいるよう。指揮台に上がるや否や豪快に振り出し、一段落した所で客席に向き直り、遅れてきた聴衆を招き入れる仕草も。
曲の合間で拍手が入れば、それを遮るどころか一緒に拍手し、“さぁ、ここで拍手をどうぞ”と促す場面も。肩の凝らないバレエ、楽しく明るい空気がホール全体に広がっていくのでした。
しかしながらライモンダ、ラザレフの指揮で聴くから飽きないので、凡庸な指揮者だったら退屈してしまうでしょうね。演奏会形式ではレパートリーに定着しないのも無理ないことかも知れません。

さて悲愴。前半が真にリラックスした音楽だったのに比べ、極端に対照的なシリアスな音楽。そして一音も忽せにしない真剣な演奏。冒頭に書いたように、私がこれまで聴いた悲愴とは全く異なるレヴェルの壮絶な体験だったと言えるでしょう。ラザレフを聴かずに悲愴を語ること勿れ。

具体的に何処? と問われると、実は困ってしまいます。散々聴いている名曲だからと予習をしなかったのがいけないのですが、ラザレフならではの仕掛けが全体に張り巡らされているような感じ。私が気が付いた個所以外にも驚きの裏ワザが隠されていたのに違いありません。

先ず注目は冒頭の pp でしょう。極端なまでの弱音と張りつめた緊張感は、これまで聴いたどんな演奏にも勝るもの。改めて「ピアニッシモ」にチャイコフスキーが籠めた決意を思わずにはいられません。
そして主部、テンポの速いこと。スコアでは確かに Allegro non tropp と表記されていますが、ラザレフのは allegro con fuoco でしょうか。マエストロは1小節を4つに振りますが、その凄まじいまでのスピード。普通の1.5倍の速度に感じました。
それでいてアンサンブルは完璧、とまでは行かないにしても、尋常以上のレヴェル。スラーとスタッカートが譜面通り完璧に守られていることと言ったら。リハーサルでは徹底的に叩き上げたことが想像されます。

実は後で知った裏話ですが、主部冒頭のヴィオラとチェロはディヴィジの4声部で書かれています。ラザレフはここでディヴィジを禁止。全てのパートが重音奏法で両方のパートを同時に弾くよう指示した由。ヴィオラは6プルト、チェロは5プルトですから、楽譜通りなら22人のアンサンブルであるのに11人の合奏で済むことになります。個々のプレイヤーへの負担は増しますが、より緻密な合奏が得られる仕掛け。
こうしたことは全てラザレフのアイディアであり、如何に楽譜を深く追及しているかの証拠でもありましょう。
この第1楽章は、最初から背筋をピンと伸ばさなければ聴いていられないほどの真剣勝負になっていました。

第3楽章の強烈な衝撃も圧倒的でしたが、ここでも各パートのアンサンブルが精密であればこそ、最後のクライマックスが引き立ちます。

フィナーレは、明らかにラザレフが最も力点を置いた楽章でしょう。特筆すべきは最後のドラ。ここはホルンの悶絶(ゲシュトプフ奏法)に続いて、ドラが p で静かに一撃するように書かれています。実際にそのように演奏されるのが普通でしょう。しかしラザレフは違いました。
文字で表現するのは難しいのですが、それは単に“ゴォ~ン”と鳴らされるのではなく、恰も大きな波が陸地に近付き、岸壁に当たって白波を吹き上げて炸裂するような印象。音が一気に“ボァ~ン”と膨らむように叩かせるのでした。

これも後で知らされたのですが、悲愴ではティンパニ以外に2人の打楽器奏者が使われます。第3楽章では大太鼓(遠藤功)とシンバル(福島喜裕)が活躍し、終楽章のドラは普通は大太鼓担当一人が受け持ちますね。
ところがラザレフの指示は、ドラを二人で叩くこと。即ち本来の打点に先立ち、ホルンが悶絶している間に福島がドラを低くトレモロで叩き始める。そしてスコアに指示されたポイントでは遠藤が波を解放させるように鳴らす。
私はこんなことは全く予想もしていませんでしたから、舞台の奥で二人がドラを操っていたことにはまるで気が付きませんでした。もう一度聴きたい、見たいドラの奏法ではあります。

これも裏話ですが、この秘法、ラザレフは“ロシアでは普通にやっている” とリハーサルで説明した由。ところが彼の専属通訳でクラシック音楽にもロシア音楽事情にも詳しい小賀明子氏によると、“そんなことはありません。私も初めて聴きました” とのこと。
要するにラザレフ特有の話法なのでしょうし、“ロシアでは普通にやっている、但しオレが振る時には、ね。” という注釈が付くのかも。
いずれにしても目から鱗の悲愴でしたし、絶妙な効果を惹き出したドラ奏法でした。

慣例となっているアンコールがないことも、マエストロからの強いメッセージと解釈すべきでしょう。

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1件の返信

  1. より:

    わたしにとっても、予想のはるか以上の「悲愴」でした。
    今日になってもいろいろ反芻しながら考え込んでいます…。
    ところで、余計なお節介で申し訳ないのですが、銅羅の件、福島さんと遠藤さんといれ違っているような気がしますが、いかがでしょうか。

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