日本フィル・第321回横浜定期演奏会

いつもなら聴いた翌日にアップする演奏会見聞録ですが、昨日は他のジャンルに忙しく、こちらまでは手が回りませんでした。一日遅れの日記。
私が聴いたのは10月8日に横浜みなとみらいホールで行われた日フィル横浜定期で、同じプログラムが杉並と相模原でも続けて演奏されたようですが、そちらは聴いていません。

ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲
     ~休憩~
ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」
 指揮/小林研一郎
 ヴァイオリン/三浦文彰
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 フォアシュピーラー/千葉清加
 ソロ・チェロ/菊地知也

コバケン氏が現在取り組んでいるベートーヴェン・チクルスの一環で、6月には第5交響曲と皇帝協奏曲を聴いたばかり。その時の感想も読み返しましたが、聴いたことを忘れていた程印象に残っていません。
従って、小林研一郎という指揮者を聴いたのが随分久し振りだという錯覚さえ覚えます。しかし今回は、確かに「聴いた」という実感の残るコンサートでしたネ。

それには演奏前に行われたプレトークも影響していて、今回の小宮正安氏のガイドは真に示唆に富んだ興味深いもの。メモを取っていなかったので既に記憶は曖昧ですが、氏はヴァイオリン協奏曲の終楽章のリズムが黒ツグミの鳴き声を模した、というエピソードからスタート、話題は直ぐに田園交響曲に移ります。
田園と言えば「小川のほとり」や「鳥の鳴き声」、「雷鳴と嵐」など自然描写の音楽と短絡的に考えがちですが、実はそれは皮相な見方。ベートーヴェンが自ら名付けた「パストラーレ Pastorale」という文言にはもっと深い意味が隠されている、という解説でした。ギリシャ文化とキリスト教世界が融合したパストラーレは、二度と戻ってこない「エデンの園」への憧れでもあるということ。
Pasorale は「田園」と訳しますが、これは適切ではないということでもありましょう。私共は、これからは「田園交響曲」ではなく「パストラーレ・シンフォニー」と呼ばなければならないと思いました。具体的には後程・・・。

前半は、人気沸騰中の三浦文彰のソロでヴァイオリン協奏曲。1748年製グァダニーニを鳴らせたベートーヴェンはそれなりに聴かせましたが、何ともテンポがゆったりなのに驚かされます。これだけ遅い流れのベートーヴェンは珍しいのじゃないでしょうか、特に昨今は。
これ、多分三浦君のテンポじゃないでしょう。明らかにコバケン・ワールドで、これは前回の小山実稚恵/皇帝でも感じたことですが、指揮者の個性が強過ぎるのかも。コバケンさん、珍しくスコアを置いて振っていましたが、譜面を開けたのはソロが入ってから。オケのみの個所はもちろん暗譜で、そのあと何ページも纏めて捲ってソロに合わせていました。
指揮台をソリストの方に向け、独奏者とよりコンタクトを近く取ろうというのも珍しい光景。協奏曲が終わって先ず、舞台係が指揮台を真っ直ぐに戻します。

折角ですからヴァイオリン協奏曲で長年疑問に思っていたことを一つ。私がクラシック聴き始めの頃に買ったスコアはフィルハーモニア版で、現在もこれを見て聴いています。(もちろん演奏会には持って行きませんよ)
この版はオイレンブルクの黄色表紙版と全く同じもので、疑問は第1楽章のカデンツァの後、オケがコーダに向かって静かに再開する第525小節。この2小節と第529小節からの2小節は、ほとんどの演奏ではファゴットのテーマをチェロが引き継ぎます。しかしこのチェロ、フィルハーモニア版には書かれていないのですね。
これを指摘する評論家もいないし、触れた文章も見たことがありません。しかしベートーヴェン演奏で定番のブライトコプフ社のスコアには、チェロに旋律がハッキリと書かれています。つまり今回もブライトコブフ版での演奏ということですが、これは長年私が不思議に思っている些細な点。経緯をご存知の方は教えてください。

三浦君はアンコールを弾いてくれました。聴いて直ぐにシューベルトの「魔王」と判りましたが、ソロ・ヴァイオリンのために編曲したのは誰でしょうか。演奏後の掲示板には、エルンストのシューベルトの「魔王」による大奇想曲とありましたが、エルンストの作品リストにある無伴奏ヴァイオリンのための6つの練習曲の第1曲でしょうか?
改めて調べてみると、ハインリッヒ・ウィルヘルム・エルンストは1814年にブルノで生まれ、1865年にニースで亡くなったモラヴィアのヴァイオリニスト兼作曲家。パガニーニのスタイルを模倣して作曲していたようで、ヨアヒム、ヴィエニアフスキ、ピアッティと組んで弦楽四重奏も演奏していた由。ベルリオーズのイタリアのハロルドでヴィオラ・ソロを弾いたこともあるそうです。
件の「魔王」はペトルッチの無料楽譜サイトからダウンロードでき、これを見る限りではこの日のアンコールは「シューベルトの魔王の無伴奏ヴァイオリン用の編曲」と見て間違いないでしょう。上記練習曲の第1楽章と同じか否かは不明。

さて後半のパストラーレ・シンフォニー。小宮氏の指摘で思い当たったのは、第5楽章「牧歌/嵐の後の歓びと感謝」の再現部。フィルハーモニア版スコアでは練習記号Lからが相当しますが、ここでテーマが3度繰り返されますが、実際にはテーマそのものは演奏されません。提示部で奏された時の伴奏音型だけが演奏され、聴き手は実際にテーマが鳴っているように錯覚するだけなのです。
ここ、実にベートーヴェンの天才的なオーケストレーションだと思っていましたが、小宮解説を聞いた後では、鳴らされないテーマは「失われたエデンの園」を暗示しているのでは、と気付いた次第。ベートーヴェンはここまで深く物事を考察し、束の間の平和に思いを致し、作品に反映させていたのだろうか。未だ未だ聴き方が甘い、そう痛感したコンサートでもありました。

コバケンのパストラーレは、遅しも遅し。最近では珍しくゆったりした、巨匠風ベートーヴェンに徹していました。第1楽章も、第3楽章ですら繰り返しを省略していたのにも拘わらず、演奏会が終わったのは8時を大分過ぎていました。しかしこの曲の場合、私が感じたのは違和感だけではなく、かなりの部分で共感も覚えます。
特にフィナーレは、遅いテンポだからこそ生まれてくる安堵感、平和の希求と言った感情が濃厚。特に237小節以降のソット・ヴォーチェでは小林研一郎の中の「ふるとべんぐらあ」的な資質が最良の形で現出され、最近では聴くことが少なくなった「パストラーレ・シンフォニー」を堪能することができました。

最後にいつもの挨拶。「想定外」の素晴らしい演奏の後では、他の作品をアンコールして気分を汚したくないのです。全くその通りだと思いました。

 

 

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