日本フィル・第697回東京定期演奏会

厳冬期のコンサート通いは辛いものがありますが、特に昨日、1月26日に赤坂のサントリーホールで行われた日本フィルの東京定期は寒い思いをして出掛けました。前日の朝には最低気温が48年振りと言う氷点下4度を記録したという都内、皆厚手のコートにマフラーと言う出立ち。クロークにも長い列が出来ます。同オケのシーズン前半を締め括る定期は、以下の曲目。

シベリウス/ヴァイオリン協奏曲ニ短調
     ~休憩~
ブルックナー/交響曲第7番ホ長調
 指揮/小林研一郎
 ヴァイオリン/アレクサンドラ・スム Alexandra Soumm
 コンサートマスター/徳永二男
 ソロ・チェロ/辻本玲

今定期はプログラムにもマエストロへの特別インタヴューが掲載されていたように、去年4月に77歳を迎えた小林研一郎の喜寿を祝うコンサートの一つでもありました。去年の誕生日の前日に行われた特別演奏会「炎のマエストロ、77歳の軌跡!」ではベートーヴェンの第7交響曲が取り上げられ、今年最初の定期では「もうひとつの7」であるブルックナーがメインと言うわけ。
更に私的な感想を追加すれば、小林は去年12月の横浜定期でベートーヴェンの第9交響曲を演奏しており、第9の第3楽章とブルックナー第7の第2楽章が同じ精神で繋がっていることでもあり、この1年を通してのマエストロのメッセージとして受け止めても良いのでしょう。序に言えば、ブルックナーの第7は小林が日本フィルの音楽監督に就任した初期に取り上げた作品で、その時にオケの現在の並び方、チェロが中に入ってヴィオラが右手に出るスタイルに変わったのでしたっけ。

ということで、私にとってはその時以来の小林/ブルックナー第7で、今回改めてコバケン・スペシャルを確認した次第。詳しいことは後半にして、先ずは前半。シベリウスのヴァイオリン協奏曲のレポートから始めましょう。
今回のソロは、小澤征爾の信頼が厚いという評判のアレクサンドラ・スム。2008年から毎年のように来日しているそうですが、何故か私がナマ演奏に接するのは今回が初めて。モスクワ生まれ(ロシア人には見えませんが)の美形で、不謹慎ながら、何よりもプロポーションの素晴らしさに目が行ってしまいました。真っ赤な衣裳に身を包み、後ろで纏めた長髪を振り乱してヴァイオリンを奏でる姿。天性のソリスト、という印象です。

私が毎月一日にアップしている日本のオーケストラの定期演奏会記録集を検索してみると、スムは2012年7月に関西フィル(阪哲朗)とブルッフ、2013年10月に京響とベートーヴェン(アクセルロッド)、2017年1月には広響(小林)とシベリウスを取り上げてきました。その他にも既にN響、都響、東響、読響とも共演しているとのことですが、確か日本フィルとは今回が初共演となる筈です。小林とは広島でシベリウスを共演しているほか、読響とはチャイコフスキーを演奏したそうな。初めてだったのはどうやら私だけだったようで・・・。

そのシベリウス、彼女は譜面を前に置いての演奏でしたが、自部の出番ではない個所でページを捲る程度。暗譜して弾いているのと何ら違いの無い集中力で弾き切りました。スムの存在感は、満席に近い客席がシーンと静まり返り、ヴァイオリンのパッセージに固唾を呑んで聴き入っていたことからも明らかでしょう。協奏曲ではスコアを置いて指揮する小林指揮の日フィルも、ソロを邪魔しないよう音量に配慮しているのが手に取るように判り、指揮者とソリストの呼吸の合った見事な協奏曲となりました。テンポは小林研一郎指揮のせいか遅めでしたが、恐らくスムも共感してのこと。一音一音を噛み締める様なシベリウスです。

二度目のカーテンコールでは楽器を楽屋に置いて答礼していたスムでしたが、何時までも拍手は消えず、再びストラッド?を手にして登場。日本語で告げた曲名は“バッハのアンダンテです”。アンコールはバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番からアンダンテでしたが、演奏後、舞台の上も下も泣いている人がいましたネ。

以上がプログラム前半でしたが、今回はコンサートマスターに大御所・徳永二男氏を迎えたのが大きな話題。最初の演目で楽員が登場する時に氏を認めた客席から思わず拍手が起き、徳永コンマスは照れ臭そうに一礼していました。
終演後のコバケン挨拶では、“今回は戦友として快諾してくれた” 由。日本フィルの定期で徳永がコンマスに座るというのは、中々珍しい風景でしょう。その徳永コンマスでのブルックナー第7は、私にとっては別の意味で感慨深いものがありました。

何年振りかで聴いた小林研一郎のブルックナー。改めてコバケン・スペシャルを書き出すと、先ず使用しているのは、プログラムには明記されていませんでしたが、シンバルとトライアングルが高らかに鳴り響きましたのでノヴァーク版が基本でしょう。今回は珍しく指揮台が置かれ、その上にはカーマス社の大型スコアが置かれていましたが、小林がスコアを開くことは一度もありませんでした。ならば何故スコアを置いていたのかは分かりませんが、ブルックナーに対するリスペクトなんでしょうか?
さてここからはコバケン・スペシャルで、先ず驚かされるのは第1楽章のコーダ。第413小節からはアラ・ブレーヴェ Alla breve と指示があって指揮者は二つ振りになってテンポが少し上がるのが普通ですが、コバケンはこの指示を完全無視。逆に4つ振りでテンポを落としてクライマックスに持って行きます。驚くのはこのことではなく、何と第2楽章と第4楽章でしか使わないワーグナー・チューバー4人を加えてしまうのです。多分録音では聴き取れないと思いますが、視覚的な意味も含めて、私はこの光景に目を疑ってしまいました。第2楽章でいきなり登場するワーグナー・チューバ奏者に唇を馴らしておく、という効果があるのかもしれません。

次の第2楽章、ここではコバケン・スペシャルが2か所。
壮大なクライマックスを過ぎ、ワーグナー・チューバの四重奏に乗ってホルンが高らかに fff で吹き上げる個所(第190小節からの4小節)。スコアでは1番奏者と2番奏者とのユニゾンと書かれていますが、コバケンはここを4人で吹かせます。それもマーラーばりにベル・アップで。ここはそもそもブルックナー自身が4人で吹くことを勧めていたということで、何も小林研一郎の専売特許じゃないでしょうが、ベル・アップが視覚的効果も高めているのは事実でしょう。さすがに立っては吹きませんが・・・。

そして極めつけは、ホルンによるW字形による追悼が終わって、最後の弦合奏によるピチカート。スコアの指示は最後から4小節目の2拍目からピチカートになりますが、コバケン・スペシャルでは更に1小節前から。つまりピチカートの数は通常なら7音であるところが10音に増えるのですね。ここはチェコ・フィルとのCDでも確認できますから、楽員のミスではなく、明らかに小林研一郎の指示に違いありません。もちろん根拠などは知る由もありませんが。

以上が、私が確認し得たコバケン・スペシャルの全てです。演奏そのものは、予想したようにゆったりしたテンポ。終楽章では練習記号W直前の第1ヴァイオリンの下降音型を全総の余韻にかき消されないように強調してみたり、最後の追い込み(練習記号Z)の前で一呼吸置いたりと、これもコバケンならではの演奏スタイルと呼べるでしょう。

蛇足ながら一点付け加えて置くと、第7交響曲の「ホ長調」という調性は、シンフォニーにはかなり珍しい調ではないでしょうか。有名な交響曲作品の歴史を振り返っても、#が四つも付くホ長調の交響曲はハイドンに2例ほどが見出されるだけ。モーツァルトも、ベートーヴェンも、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマンもホ長調交響曲は書いていません。そして第2楽章は、同じく#4つの嬰ハ短調、ですよね。嬰ハ短調と言えば、ベートーヴェンの月光ソナタの調。
暖かく、輝かしく、しかしながらシットリとした抒情を湛えたホ長調という調性に気付いたことは、今回の新たな発見でもありました。因みに、同じホ長調で大交響曲を創り上げたのはマーラーではなく、ブルックナーとマーラーの間に位置するハンス・ロット。ロットの交響曲に付いては、来年の2月にまた改めて触れることになりそうです。

前半に予定外のアンコールがあったこともあって、コンサートが終了したのは9時20分を回っていました。

 

 

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