サルビアホール 第101回クァルテット・シリーズ

この1週間、ネットなどでドヴォルザークという名前を見るとついつい反応してしまうメリーウイロウですが、9月26日にサルビアホールで行われたドヴォルザーク・プロジェクト第3夜の感想を書き始めようとしている今日、9月27日は1892年のこの日、ドヴォルザークがアメリカに到着した当日なんですねェ~。
そんなわけで昨日のレポート。

≪ドヴォルザーク・プロジェクト≫
ドヴォルザーク/弦楽四重奏のための「糸杉」7-9
ドヴォルザーク/弦楽四重奏曲第11番ハ長調作品61
     ~休憩~
ドヴォルザーク/弦楽五重奏曲第3番変ホ長調作品97
 ウィハン・クァルテット
 第1ヴィオラ/小峰航一

ドヴォルザークの弦楽四重奏曲は、断片などを除けば完成されたものが14曲。今回のプロジェクトは全曲演奏会ではなく、作曲者が円熟期を迎えたとされている時期以降の7曲が取り上げられます。毎回2曲づつで、コンサートの冒頭には毎回、弦楽四重奏版の「糸杉」から3曲が前菜として供される構成で、弦楽四重奏曲が1曲だけの第3回は、大作の弦楽五重奏曲第3番がメインに据えられました。

冒頭の糸杉。初日の曲目解説で紹介されていましたが、イエス・キリストが磔にされた十字架は糸杉で出来ており、死と結び付けられ、哀悼を示す木とされています。この日演奏された3曲は、
7. とある家の辺りをうろつく (Andante con moto ホ短調)
8. この森の中の小川のほとりに (Lento ホ長調)
9. ああ、かけがいのない愛しい人 (Moderato 変イ長調)

8番目と9番目、一応夫々の調を書いておきましたが、実際は長調とも短調とも決め難く、曖昧な調性の中を揺れ動いているような作品。糸杉の暗示するところににはピッタリの音楽と言えそうです。ppp から ff まで、トレモロやピチカート、3曲ともに音量の増減やフェルマータが多用され、その表情も繊細の極みを尽くしたものとなっていました。それは演奏も同じ。

プロジェクト第3回で取り上げられた唯一の弦楽四重奏曲は、ドヴォルザークがアメリカに立つ前、最後に書かれた第11番。第1日に演奏された第9番と第10番に比べてスラヴ色が薄まっているように聴こえますが、これには明確な理由があるそうです。
曲目解説では詳しく触れられていませんでしたが、この作品の成立過程には俄かには信じられないようなエピソードが綴られています。

1881年10月、ドヴォルザークは歌劇「ディミトリー」を作曲中でしたが、ウィーンの新聞(Neue freie Presse)に載った記事を見て肝を潰します。そこにはウィーンのヘルメスベルガー弦楽四重奏団が1881年12月15日にドヴォルザークの新しい弦楽四重奏曲を演奏する、と書かれていました。唖然としたドヴォルザーク、“未だ存在すらしていない弦楽四重奏曲、私がすべきことはその新作を作曲することしかありません” と自嘲気味に友人に宛てた手紙が残っているそうです。
そこで歌劇の方は中断し、書き始めたのが第11番というわけ。ところが最初に手を付けたヘ長調の楽章は、主要主題がウェーバー「魔弾の射手」のアガーテのアリアとそっくりなことが判って断念。気持ちも新たにしてハ長調の四重奏曲を新聞に公示されていた日付に間に合うように作曲した、というから驚くじゃありませんか。僅か1か月ほどの間に弦楽四重奏曲1曲と四重奏用の楽章が一つ。(この楽章も録音があったので聴いてみましたが、それなりの出来。別の機会に第11番と並べて演奏してみる、というのはどうでしょうか)

さて第11番は予告通りヘルメスベルガーQが12月15日に初演する運びとなりましたが、何と予定されていた会場のリング劇場(Vienna Hofoper とする資料もありますが、同じ建物でしょうか?)が直前に火災で焼け落ち、初演は延期されてしまいます。
結局この曲の最初の演奏記録は、翌1882年11月2日にベルリンでヨアヒム弦楽四重奏団が行ったものなのだそうで、作品が献呈されたヘルメスベルガー弦楽四重奏団がこれを何時演奏したのかは分かっていないようです。ここからは音楽批評家の仕事になるでしょう。

ということで第11番、エピソードに思いを馳せながら聴くのも一興。スラヴ色が後退しているのは、ヘルメスベルガーがワーグナーやリストを信奉していたからとも言われ、ドヴォルザークはウィーンでの初演を意識してベートーヴェンやシューベルトの書法を大幅に取り入れたからでもありましょう。実はシューベルトの未発見の四重奏曲でした、と言われても信じてしまうのではないか、と言うほどにドヴォルザーク臭は感じられません。
サルビアでも初登場だけのことはありますが、ウィハンは作品の名誉挽回とでも言わんばかりの愛情と熱意で演奏してくれました。それでも第4楽章 Vivace には民族舞曲スコチナーを思わせるリズムが採用され、民族の血は隠せません。

後半の五重奏曲は、京都市交響楽団のヴィオラ首席を務める小峰航一(こみね・こういち)を迎えての演奏。東京藝大からパリ国立高等音楽院で学んだ逸材で、彼のアルゲリッチとも共演したことがあるとか。東京では紀尾井シンフォニエッタにも所属し、メンバーでもある関西弦楽四重奏団は来年4月、ここサルビアホールSQSにもベートーヴェン・プロで登場する予定で、この日はそのお試しコンサートでもありました。
5人の先頭を切って登場した小峰氏、舞台最右翼に座ってファースト・ヴィオラ担当であることが分かります。この五重奏曲、第2ヴィオラのソロが長調で弾き始めますが、これがヤクブ・チェピツキであることでも役割分担が判りました。

作品97に付いては特別な紹介は不要。誰でも弦楽五重奏曲第3番はドヴォルザークの最高傑作であると納得されるでしょう。アメリカに良く似てますね、という声も聞かれましたが、作品番号はアメリカの次。個人的な意見ではアメリカを凌ぐ傑作で、ドヴォルザークの最高作品としても良い程に気に入っています。というか、アメリカは聴き過ぎた感がある、というべきでしようか。
転調の目まぐるしさと素晴らしさも特筆もので、白眉とも言える第3楽章は♭が7つも付いた手強い調性。アマチュアでは見ただけで顔を背けたくなるような譜面でしょうね。これ変ハ長調って言うんでしょうか、他では滅多に見ることない調。

テーマと5つの変奏から成る長大な楽章ですが、その郷愁感はチェコ人ならずとも思わず共感してしまいます。ましてやチェコから来日中のウィハン、最後のコーダで長調に転調して歌われる締めの一節で、セカンドのシュルマイスターが思わず落涙するのを目撃してしまいました。眼鏡越しに涙を指で拭ったヤン、この楽章とは対照的なフィナーレで5人の躍動に加わります。
第2楽章のトリオや第3楽章のテーマは、ドヴォルザークがヴィオ弾きだったことを思い出させるのに充分。名団体に初めて加わった小峰氏は如何にも緊張している様子でしたが、メンバー4人の他に、影でドヴォルザークもエールを贈っていたに違いありません。何とこの名作も、サルビア初登場でした。

アンコール、事前の予想では演奏者も聴衆も踊りたくなるような第2楽章をもう一度、と思っていましたが、彼等の挨拶は第3楽章の最後の最後の数小節、そう思わずヤンが涙したあの個所をソッと弾き、最後のピアノ4っつがサルビアの空間に消えて行ったのでした。さすがウィハン。ブラヴォ~、ウィハン。

 

 

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