サルビアホール 第99回クァルテット・シリーズ

鶴見サルビアホールのクァルテット・シリーズ、2018年の秋はドヴォルザーク・プロジェクトでスタートしました。2011年に始まった当シリーズも、この秋で早くも100回目。その「第100回」を含むシーズン30は、SQS100回記念の節目でもあります。
第99回から第102回まで、全4夜で構成されるプロジェクトを担うのは、これがサルビア登場5回目となるウィハン・クァルテット。サルビアには3年連続出演の名門です。21日に行われた初日は以下のプログラムでした。

≪ドヴォルザーク・プロジェクト≫
ドヴォルザーク/弦楽四重奏のための「糸杉」1-3
ドヴォルザーク/弦楽四重奏曲第9番ニ短調作品34
     ~休憩~
ドヴォルザーク/弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品51
 ウィハン・クァルテット

このあと25日が第2夜、翌26日に第3夜と続き、28日がフィナーレ。正にドヴォルザーク尽くしの1週間でもあります。
ところでウィハン、今回はチェロにプラジャークQの中心メンバーでもあるミハル・カニュカが加わっているのが注目で、先ずはカニュカが正式にウィハンのメンバーになったのかが気になる所。開場早々にその点を尋ねると、カニュカはあくまでも今シリーズだけのピンチヒッターとのことでした。

ウィハンのサルビア初登場は2013年5月の第20回で、その時は創立メンバーの4名でした。2回目の2014年12月にはヴィオラがイジー・ジェイックモンドに替わってファースト(レオシュ・チェピツキ)の息子ヤクブ・チェピツキが就任。
そして前回、去年11月の第88回ではチェロがアレシュ・カスプジークから若手のマチェイ・ステパニクに替わっていました。
ところが前回のチェロは正式メンバーではなかったようで、現在は空席というのが真相。今回はドヴォルザーク4回シリーズと言う重要な企画でもあり、大ヴェテランのカニュカに白羽の矢が立った、ということのようですね。次回の来日で正式なチェロが就くのかは、ウィハンQとしても判らない、ということでしようか。

そのウィハンの来日回数、当初配布されていたチラシでは今回が14回目となっていましたが、当夜配布されたプログラムでは15回目となっています。拙ブログの第1回目のレポートでは2013年が12回目となっていましたから、単純に来日の度に鶴見に登場していると数えると16回目。本当のところはウィハンQ本人たちも判らないでしょうね。それほど日本にはお馴染みの団体と言うことになりましょう。

ということで今回は当ブログでも5回目のウィハン。その演奏スタイルに付いては改めて大書することもありますまい。自然な流れ、美しい響き、圧倒的な集中力といった特質はカニュカが加わっても変わりはありません。
カニュカで音色が更に明るくなったという意見、カニュカは本拠プラジャークに比べて遠慮しているのか控えめだった、という感想も耳にしました。何れにしてもウィハンQはチェコ、中央ヨーロッパを代表する団体で、彼の地の室内楽演奏の伝統の正当な後継者、という評価に間違いないでしょう。彼等のドヴォルザーク主要作品シリーズは、特に昔からのスタイルに共感を覚える室内楽ファンには聴き逃せない機会なのです。

今回は毎夜「糸杉」から3曲づつが番号順に聴けるのも特徴で、初日はその1番から3番までが紹介されました。実は「糸杉」全曲は2013年11月の第24回でパノハQが披露してくれたことがあり、サルビアでは二度目の全曲演奏となります。さすがサルビアでしょ。二度目の今回は3曲づつの小出しですから、曲のタイトルも全部書き出すことにしました。第1夜は、
1. 分かっているとも、甘い望みをもって (Moderato 変ニ長調)
2. これほど多くの人々の胸に死の思いがあり (Allegro, ma non troppo へ短調)
3. おまえの甘い目を見つめながら (Andante co moto ロ短調)

元々はドヴォルザークの18曲から成る最初の歌曲集「糸杉」を22年後の1887年に、その中から12曲を選んで弦楽四重奏様に編曲したもの。ドヴォルザークは作品に自信があったようでジムロック社に再三出版を要請しましたが、ジムロックは形式が特殊、余りにも個人的な内容とのことで出版には至りませんでした。一般の聴き手の耳に届いたのは、1888年1月6日に行われた演奏会で、この時は1~4番と11番の5曲のみで、これがドヴォルザークの生前に行われた公式な演奏会では唯一の機会だったのだそうです。
その後ドヴォルザークの弟子で娘婿でもあるヨゼフ・スークが改訂したこともあったようですが、オリジナルのドヴォルザーク版が正式に出版されたのは漸く1957年になってから。そのスプラフォン版が私の手許にもありますが、昨夜はこのポケット・スコアを片手に聴きに来られていた熱心な古参ファンもお見受けしました。

糸杉の3曲をサラッと弾いたウィハン、そのまま着席して第9番に移ります。これも毎回見るウィハン・スタイル。
作品34をナマの演奏で耳にする機会は少なく、流石のサルビアでも今回が初登場でした。そもそも番号付きのドヴォルザーク弦楽四重奏で最初の6番までは長いだけで内容も豊かとはいえず、殆ど無視されているのが現実。漸く第7番からが鑑賞に堪えるということでしょうが、今回のシリーズでも取り上げるのは8番から14番までの7曲。ドヴォルザークの円熟期の室内楽に限られています。

チェコには室内楽の伝統があり、我々も室内楽と言えばチェコ、チェコと言えば弦楽四重奏団の宝庫と言う印象がありますが、どうやらこの伝統は1876年から1877年に移る時期に起源があるようですね。この時期にプラハの熱心な室内楽愛好家たちが集まってチェンバー・ミュージック・アソシエーションなる組織を立ち上げた。これに呼応して当時の有力な作曲家たちが次々と弦楽四重奏曲を書く。これが、今日にまで継承されて室内楽王国と呼ばれる切っ掛けになったのだそうな。これ、DG盤のドヴォルザーク四重奏全集(プラハ弦楽四重奏団)のブックレットからの拾い読みです。
まさにこの動きに呼応して書かれたのが、スメタナの有名な第1番「我が生涯より」と、ドヴォルザークのニ短調作品34。正に鶴見のドヴォルザーク・プロジェクト、最初の弦楽四重奏曲はチェコの室内楽の出発点となった1曲からスタートしたことになります。偶然かも知れませんが、如何にも象徴的なプログラムじゃありませんか。

その作品34、ドヴォルザークとしては二人の子供を次々と亡くし、名作スターバト・マーテルを書き落した直後の作品。選ばれたニ短調もその悲しみを反映したものと言えそうです。
第2楽章がポルカ風となっているのも注目点で、スメタナの第1番第2楽章もポルカ。スメタナは1876年、ドヴォルザークは1877年の作品ですから、一見するとドヴォルザークがスメタナに刺激されてポルカを採用したと思われ勝ちですが、実際にはドヴォルザークは作曲の段階ではスメタナ作品を知らなかった由。というよりドヴォルザークにとってヒントになったのは、スメタナと同じ1876年に作曲されたズデニェーク・フィビヒの第1弦楽四重奏曲イ長調だったようで、その第3楽章がポルカとなっているのですね。

第3楽章、ニ長調のアダージョも4人の弦が重音で弾く箇所が多く、純粋に4声部に落ち着くのは43小節も進んでから。多層的な悲しみが耳に残る佳曲と聴きました。
ウィハンQは、例えば第1楽章コーダでテンポを上げたり、第2楽章ポルカで指示されている微妙なリタルダンドがとってつけたようではなく、真に自然。インターナショナルな団体ではこのような自然な流れをさり気無く創り出すは難しいことでしょう。

後半は前作第9番の2年後に書かれた第10番作品51。この作品は2013年のウィハン初登場でも取り上げられており、今回が二度目。但しメンバーは半分が入れ替わったことになります。
1879年ともなればドヴォルザークはあらゆるジャンルで人気の作曲家に大成しており、作品51も当時有名だったフローレンスQの主催者ジャン・ベッカーの委嘱で、特に「スラヴ的なものを・・・」という希望で書かれた作品。第2楽章がドゥムカのスタイルで書かれていたり、第4楽章もチェコの民族舞踏であるスコツナが用いられているのもそのためです。

ポルカの作品34、ドゥムカの作品51という具合で、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲はベートーヴェンのような堅苦しさ(誤解しないでね)からは解放された音楽。一晩をドヴォルザークに費やしても疲労感が残らない所以でもありましょうか。
初日は、恐らく予定には無かったアンコールも。最初に演奏された糸杉の第3曲が繰り返して演奏されました。

 

 

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