サルビアホール 第34回クァルテット・シリーズ
目下サントリーホールのチェンバーミュージック・ガーデンにゲストとして、また講師としても様々なスタイルで参加中のパシフィカ・クァルテット、昨夜は少し南下した鶴見のサルビアホール例会に出演しました。
本格的に単独出演する会としては武蔵野とこれだけ。武蔵野はベートーヴェンの代わりにラヴェルだったそうですが、彼の地は如何にもアクセスが不便。鶴見は行くしかないでしょ。
ハイドン/弦楽四重奏曲第63番変ロ長調 作品76-4「日の出」
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第2番イ長調 作品68
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第8番ホ短調 作品59-2「ラズモフスキー第2」
パシフィカ・クァルテット
パシフィカについては何度も取り上げていますし、初来日からずっと追いかけ続けているスーパー・クァルテット。何も付け加えることはありますまい。
サルビアは2011年6月以来2度目の登場で、前回はスリーズ第2回、海外からの来日団体としてはトップ・バッターでしたっけ。あの時はサントリーでベートーヴェン全曲を3日間で演奏し切ってしまうというハード・スケジュール。メリーウイロウは「狂気の沙汰」としてブログを書いた記憶があります。
前回はメンデルスゾーン(1番)、ショスタコーヴィチ(8番)、ベートーヴェン(ラズモ1番)というプログラムでしたが、今回はメンデルスゾーンではなくハイドン。パシフィカのハイドンは確か初めて接したと思いますが、これが凄かった~!!
何が凄いってねェ~、我々は子供の時から古典派はハイドン→モーツァルト→ベートーヴェンと、時代順に「発展」してきたと教わってきたし、評論家もそう言っていました。でもこれ、少なくとも弦楽四重奏の世界では間違っていますね。
それに気付かせてくれだのが、昨日のパシフィカによる「日の出」でした。
つまりモーツァルトはハイドンを受け継いだものの、1791年に早逝してしまいます。クァルテットは死の前年、プロシャ王と呼ばれるセットが最後でした。
クァルテットはこのあとベートーヴェンが独自の世界を切り拓いていくのですが、その前に待った! 実はモーツァルトとベートーヴェンの間にはもう一人の大作曲家がいたのですね。それが晩年のフランツ・ヨーゼフ・ハイドンです。
ハイドンはモーツァルトの死をロンドンで聞き、大都会での膨大な刺激を受けて帰国、宗教曲と弦楽四重奏で最後の炎を燃やしたのでした。「日の出」を含む所謂エルデーディ・セットは、モーツァルトが到達した世界を更に超え、次の巨匠ベートーヴェンに大きな示唆を与えたのに相違ありません。
パシフィカのハイドンは、従来考えられてきたハイドンの概念を根底から覆すもので、その音楽は古典派の均整を保ちつつも内面的には遥かにクラシストの領域を超え、ロマン派に通ずる感情の吐露を表に出すものでした。
例えば第1楽章、展開部から再現部に入る個所も類型的なスタイルを超え、その第2主題が提示部の繰り返しでは最早なく、その変奏であることをモノの見事に表現して見せるのでした。
第2楽章の深い抒情はベートーヴェンそのものだし、第3楽章のメヌエットとトリオもサロン音楽の微温湯を一掃する勢い。そして終楽章、3段階に分けてテンポを上げ、怒涛の終結に至る展開は、正にベートーヴェンがラズモ第2のフィナーレで採用した作曲法と同じではありませんか。
こういうハイドンが可能なのだ、パシフィカは。既にベートーヴェンの世界、いや作品18よりも先を行っていると断言したくなるようなハイドンの作品76に、完全に脱帽でした。
続くショスタコーヴィチ、最近全集録音を完成させ、ロンドン(ヴィグモア・ホール)でも全曲演奏会を成功させているだけあって、解釈に曖昧な所は微塵もありません。
今回も何故2番なの? と思っていましたが、こちらが甘かった。第2楽章のレシタティーヴォはシミンの独壇場、と思いきや、彼女を支える3人の和声に何と意味があることか。
労働歌風、時には子守歌をさえ連想させる終楽章の変奏主題が次第に高揚し、ピウ・モッソで頂点に達する場面は、あるいはショスタコーヴィチが体験した政治的圧力を暗示するかのよう。
それがアレグロ・ノン・トロッポで解放され(練習番号116)、123でアレグロに突入する所では重圧から解放された自由を讃える歌のよう。こんな解釈は読んだことも想像したこともありませんが、ショスタコーヴィチが書き付けた音符をドラマに変えていく力が、パシフィカにはあるのです。
休憩を挟んでのベートーヴェン、3年前のツィクルスでは聴き逃した1回に含まれていた(5,8,13番)1曲で、やっとリヴェンジできた感じ。
前半2曲が余りにも強烈だったためか、ベートーヴェンは未だ前進の余地が残されているという印象。それだけベートーヴェンは偉大であり、奥が深いということでしょうか。
前回と同様マスミがアンコール名を日本語で紹介。バルトークの第4四重奏の第4楽章、アレグレット・ピチカートが鮮やかに披露されました。
ベートーヴェン、ショスタコーヴィチ、カーターと弦楽四重奏の世界を極めつつあるパシフィカ、次はバルトーク全集でしょう。
繰り返しになりますが、サルビアの完璧なアクースティックで聴くクァルテット、眼前に展開される4人のバトルを見ながら鑑賞する四重奏は、音楽鑑賞の最高の贅沢。もちろんサントリーの空間も素晴らしいのですが、サルビアで名団体を聴いてしまった耳には、都心のホールが聴き劣りするのは致し方ないのでしょうか。
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