読売日響・第583回定期演奏会

11月は演奏会に恵まれて忙しい思いをしてきましたが、個人的には昨日が今月最後のコンサート行となりました。赤坂サントリーホールで行われた読売日本交響楽団の11月定期です。
12月の読響はほぼ第9だけですので、これが今年最後の読響定期でもありました。プログラムは10月とは正反対の大規模な現代作品が並ぶ、読響ならではのもの。大音響を満喫してきました。

スクロヴァチェフスキ/ミュージック・アット・ナイト
モーツァルト/フルートとハープのための協奏曲ハ長調K299
     ~休憩~
ジョン・アダムス/シティ・ノワール
 指揮/デニス・ラッセル・デイヴィス
 フルート/エマニュエル・パユ
 ハープ/マリー=ピエール・ラングラメ
 コンサートマスター/長原幸太

11月定期を振るデイヴィスは、私はナマでは初体験の巨匠。記憶ではかなり前に読響の第9を指揮したり、フィガロの公演で来日した記憶があるだけ。これまで音楽監督や首席指揮者を務めたシュトゥットガルトのオペラやリンツ、ウィーンのオーケストラとの来日があったのでしょうか。海外のオペラやオーケストラの来日公演から疎遠になって久しい小生には判りません。
そもそも「デイヴィス」という名前の指揮者は何人かいて、最初のころは混乱したものです。亡くなったサー・コーリンはロイヤル・オペラの来日公演などで親しく接しましたし、サー・アンドリューもプロムスの常連で良く知っています。今回のデニス・ラッセルもNHKの海外音楽番組で見た記憶がありますが、1944年アメリカ生まれ、今や巨匠の一人と呼んで良さそうです。特に現代作品とブルックナーに強い指揮者という印象がありました。

指揮者もさることながら、今定期はパユとラングラメによる決定版モーツァルトが聴けるのも魅力。真ん中に置かれた協奏曲がお目当てで出掛けたファンも多いと想像します。こちらも当然ながら期待通り。
しかし私にとっては、最初と最後に置かれた現代モノが興味をそそります。共に血腥い猟奇殺人が切っ掛けとなって生まれた作品で、関連性も充分。折しも高千穂で起きた意味不明の惨殺事件がマスコミを賑わせており、不謹慎ながら話題性にも富んだコンサートとなったのじゃないでしょうか。

最初のミュージック・アット・ナイト、私は以前にスクロヴァ御大自らが読響を指揮したコンサート(2007年4月21日)を聴いており、拙ブログでもその感想が読めます。当時は作品について全く知識がなく、プログラム誌の解説だけが頼りでしたが、その曲解が真にお粗末なもので、その不満を長々と書いていましたっけ。
さすがに今回はスクロヴァチェフスキ自作自演集のCD(Oehms盤)が手元にありますし、ブックレットをしっかり読んで(もちろん音も聴いて)定期に臨みました。配布されたプログラム、楽曲紹介を担当されているのは柴辻純子氏で、さすがに完璧な解説です。というか、CDのブックレットそのまま。若きスクロヴァチェフスキがパリからヴェネツィア行の列車に乗り、衝動に駆られるようにフェラーラで下車したこと。その古城でウーゴとパリジーナの悲劇に想いを寄せている内に気分が悪くなり、逃げるようにヴェネツィアに向かったこと。そのヴェネツィアで鐘の音が響くのを聴いたこと、等々。その鐘の音が変ロ音の倍音だった、というのが如何にもスクロヴァチェフスキでしょう。
パリに戻ると、偶然にもウーゴとパリジーナの惨殺事件をテーマにしたバレエ作品の依頼があったそうな。ミュージック・アット・ナイトは、そのバレエ(1948年)をオーケストラ用に改訂した一種の交響詩で、1960年と1977年の二度に亘って改訂されて今日の決定稿。

作品は4つの楽章で構成されていますが、全体は通して演奏されます。指揮者スクロヴァチェフスキを思い出させるように、冷徹な響きの中に癒しのような温かみが感じられる構成的な逸品。スコアはベールケ Boelke-Bomart という所から出版されていますが、現在はショット社が扱っています。但し売り譜は無くレンタルのみ。従ってスコアを見ることは出来ませんでした。

ウーゴとパリジーナの物語は15世紀にフェラーラで起きた実話ですが、一方のアダムス作品も1947年にロサンゼルスで起きた猟奇殺人事件が隠れたテーマになっています。作曲の経緯に付いては長い話なので、ここでは紹介しません。コンサートに出掛けた方は柴辻氏の解説を熟読してください。第9に行かれる方は、同じプログラム誌が配布されはず。
スクロヴァチェフスキもアダムスも事件そのものを描写的に描いているわけではなく、その印象が根底にあるものとして聴かれるべきものでしょう。二人の作曲家の構成力の見事さと、壮大なオーケストレーションの妙を純粋に味わう音楽と聴きました。

スクロヴァチェフスキが2管を基本とした比較的オーソドックスな編成であるのに対し、アダムスは4管を中心に膨大な打楽器を必要とする如何にも「コストが掛かりそうな」大曲。共通するのはアルト・サクソフォンが活躍することでしょうか。
プログラムにも打楽器の名前が延々と羅列されていましたが、スコアによれば打楽器奏者は5人。その5人が叩く打楽器には共通するものがあって、単純にどれがいくつ、という表記には限界がありましょう。
ここはスコアの大譜表通り、各打楽器奏者の担当する楽器名を列記した方が判り易いのでは、と思慮します。なお、スコアにはジャズ・ドラマー1人が指定されていますが、何故かプログラムの楽器編成からは落ちていました。単なる誤植なのか、それとも敢えてジャズ・ドラマーは使わなかったのか・・・。

演奏に35分ほどを要する大作で、第1楽章「都市とその分身」、第2楽章「この歌はあなたのために」、第3楽章「ブルーバード・ナイト」の3楽章構成、第1楽章と第2楽章はアタッカで続けて演奏されます。因みに第3楽章、英語の題名は Boulevard Night ですから「大通りの夜」の方が良いのでは、と個人的には思いますが・・・。
一言で言えばジャズとオーケストラを結び付けたような音楽で、ジャズ風にいくつかの楽器がソロを披露します。コントラバスのソロ、アルトサックス、第2楽章のトロンボーン(桒田晃)と第3楽章のトランペット(辻本憲一)は特に目立ち、演奏後にも大喝采が贈られていました。

アダムスの特徴でもある猥雑、混乱した響きに面食らった伝統的クラシック・ファンも多かったと思われますが、何と言っても第3楽章の盛り上がりは圧巻。SLが動き出すような変則リズムの加速が登場し、最後は5拍子が執拗に同じパターンを繰り返すサルサのリズム。ここは一瞬ながらストラヴィンスキーの春の祭典を連想させる音楽で、狂信的なクライマックスで全曲を閉じます。当然ながら会場からは大拍手、大歓声。
この大作をシッカリした拍節でオーケストラをリードしたデイヴィスも満足した様子でしたね。

最後になりましたが、前半の締めに演奏されたモーツァルト。ベルリン・フィルを代表する二人の妙技はもちろん、組み合わされた現代作品とは対照的な天国の調べに浸ります。改めてモーツァルトの天才に触れ、果たして人類は進歩しているのか、どの時代が人にとって幸福だったのかに思いを致さずにはいられません。正に至福の時を刻む名曲と名演、これに尽きるでしょうか。
ハープのラングラメは暗譜でしたが、フルートのパユは最先端の電子楽譜を使っていました。見たところ譜面台とタブレットがセットになっているもののようで、足踏み式の改ページ機能が装着されています。紙を捲るのではなく、足を使ってページを操る。弦楽四重奏やソロ楽器演奏で使う人が増えてきましたが、オーケストラ・パート全員が使うのは何時の事か。誰が譜面台にタブレットを置いて最初に指揮するか。何れそんな時代が来るでしょう。

個人的な話ですが、今では私も音楽はパソコン派。オーディオ関係は数年前から全てパソコンに切り替えましたが、この秋からは楽譜もダウンロード・スタイルに変更しました。例えばこの日演奏されたシティー・ノワールも、ブージーのオンライン・スコア会員に登録すれば閲覧可能。大型スコアなのでモニターは大きなものを使わなければダメですがね。
オランダの Donemus という出版社は、楽譜販売を従来の紙ベースのものと、ダウンロード形式の二つから選ぶことが出来ます。当然ながらダウンロードの方が価格的には割安。将来はこの形が主流となることは間違いありません。

話が逸れましたが、パユとラングラメは、アンコールとしてイベールの間奏曲をプレゼントしてくれました。これもパユ、足を1回踏んで譜面を替え、終わると足踏み式マウスを外し、スイッチを切って退場。この様子は日本テレビが収録していましたから、何れオンエアされるでしょう。
このアンコール、確かオリジナルはフルートとギターのための作品で、パユは一か所、タンギングを巧みに使って聴衆の溜息を誘っていましたよ。

 

 

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