読売日響・第500回定期演奏会

読響の1月定期は、記念すべき第500回。「現代音楽」の初演と滅多に演奏されない大曲というプログラムにも拘わらず、客席はよく埋まっていました。お目出度い500回を祝したいというファンの思いがあったのか、それとも下野人気か。
会場には何台ものテレビカメラが入り、この祝祭コンサートは後日系列テレビ局で放映されるでしょう。
池辺晋一郎/多年生のプレリュード(読響委嘱作品、世界初演)
     ~休憩~
リスト/ファウスト交響曲
 指揮/下野竜也
 テノール/吉田浩之
 合唱/新国立劇場合唱団(合唱指揮/富平恭平)
 コンサートマスター/藤原浜雄
 フォアシュピーラー/小森谷巧
事前に予告されていたように、プレトークがありました。当夜の指揮者・下野と、初演曲の作曲者・池辺の両氏。
トークに先立って、下野から“駄洒落は5回までに限られせていただきます” と釘。客席を和ませる下野の話術も随分と洗練されてきた気がします。
トークの内容は、読響創立時のエピソードと、新作の意図。駄洒落は4発止まりでしたね。
日本作曲界の「重鎮」池辺氏は音楽の歴史を人間の体に譬え、足の裏→胃袋→ハート→頭 と進化してきたとの説。そろそろ「現代音楽」も目指す方向を変えなればならない、と解説。
自身は頭からハートに回帰したいとのことで、今回の作品には難しい解説は必要なかろう、とのこと。
作品のタイトルである「多年生」とは、多年生植物から連想されるように、オーケストラ(読響)が持つべきアーティスティックな主張と個性を育て、保ち続けることへのオマージュでもありましょう。
この日初めて音になった新作は、トークで語られた通り真に耳に馴染みやすいもの。正に目指す方向は頭から出てハートに向かう途上と聴きました。
冒頭のメロディックな主題がドラマティックに展開する様は、恰も大河ドラマのテーマ音楽を聴いているよう。多くの聴き手に好評で迎えられたことは、終了後の客席の反応でも明らかでした。
しかし、反面では斬新さとは縁のないもの。ここからは聴き手の好みになりますが、私の拙い耳には、いかにも古い音楽に感じられてしまうのでした。
頭から出てハートに向かう通過点、と感じた所以。
メインのリスト。これは大作として作品名は良く知られていますし、録音で聴くことは多いものの、ナマで体験できる機会はそうあるものではありません。私としても今回は初体験のはずです。
元旦の日記でも紹介したように、今年はリスト生誕200年を記念してファウスト交響曲が取り上げられる機会が増えています。実際、この演奏会の前日には京都市交響楽団でも演奏されたばかり。
下野指揮の読響も楽団の総力を結集し、渾身の名演で聴き手の期待に見事に応えます。全曲は、それぞれがファスト、グレーチェン、メフィストフェレスを擬した3楽章から成り、その第3楽章のコーダでのみ登場する声楽陣は、コーダに
入る手前で入場する方式を取っていました。
(やはり第3楽章のみで使われるオルガンは第2楽章と第3楽章の間で着席。テノール・ソロはP席奥、オルガンの横で歌います)
会場も大喝采でこの熱演を讃えました。それにしても下野人気は凄い!
池辺流の音楽史観に従えば、リストはハートの時代よりも寧ろ頭、即ち未来を見据えた音楽を書いた人。ファウスト交響曲の冒頭も、恐らく音楽史上最も新しい「十二音」音楽と見做されているものですね。
この大曲に身を任せていると、描かれた三つの性格は実は本来は一つのものであり、一個の生命体として機能させるようにデザインされていることが見えてきます。
前半に置かれた池辺作品が頭からハートに向かう音楽だとすれば、リスト作品は逆にハートから頭に向かう音楽。ハートと頭の間、言わば咽喉仏辺りの音楽という点で、両曲には共通点があるのだと思いました。ただ
向かっている方向が逆なだけ。
いろいろ示唆に富んだコンサートの後、会場ではアフタートークも企画されていましたが、私共は空腹に耐えかねて会場を後にしました。従って、どんなトークがあったのかは私の知るところではありません。
帰路、偶然にも前日に京都で同じ曲を指揮したばかりのマエストロ・Nに遭遇しました。あまりのタイミングの良さに思わず声を掛けてしまった次第。
“京都は省エネで15人で歌いました。こちらは45人。テンポは僕のほうが少し速かった、かな” とのこと。う~ん、京都も聴くべきだったかなぁ~。

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2件のフィードバック

  1. カンタータ より:

    今回の下野&読響の演奏は「ファウスト交響曲」の全貌と言うか特性を明らかにした演奏でしたね。現代の人間が聴くと、何やら事大主義というか勇ましい軍人の演説みたいで、私は辟易しました。下野と読響の表現は、その意味でも見事でした。
    前回東京で演奏された「ファウスト交響曲」は、2008年6月の東フィル定期でした。指揮はエッティンガー。メリーウイロウさんもお聴きになっている筈です。尤もそのコンサートは小川典子が「さすらい人幻想曲」を弾いたので、ファウストの方は印象が薄かったのだと思いますが。

  2. メリーウイロウ より:

    カンタータさん
    コメントありがとうございます。
    そうでしたね。確かにエッティンガーの演奏で聴いたことを思い出しました。ご指摘のように、印象の薄い演奏だったのでしょう。長さに辟易、というのが正直な感想の作品です。
    記録を見ると、どうやら日本初演はプリングスハイム指揮の新響(現N響)。プリングスハイムが振っているんですから、この曲はマーラーの先駆けと言えるもの。
    読響では若杉が取り上げていて、その時の合唱は早慶戦。もしかするとこれも聴いていたかも。読響コミュニティにも書いたことを思い出しました。

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