読売日響・第499回定期演奏会

読売日本交響楽団も、いよいよ今年最後の定期演奏会。冷たい雨の降り頻る一日、サントリーホール前のクリスマス・イリュミネーションが冷え冷えと出迎えてくれます。

定期演奏会の回数を見れば分かるように、いよいよ次回は記念すべき第500回を数えます。その1月定期にはプレトークあり、アフタートークまで企画されている由。更には貴重な一品になること請け合いな「第500回記念誌」がプレゼント(もちろん無料!)されるとあっては、定期会員ならずとも出掛ける価値ある一回になること必定でしょう。

メモリアルの一つ前を受け持つのは、同オケ第6代首席指揮者を務め、名誉客演指揮者の称号を持つ尾高忠明。渾身の一曲は、

ブルックナー/交響曲第8番(ハース版)
 指揮/尾高忠明
 コンサートマスター/藤原浜雄
 フォアシュピーラー/鈴木理恵子

おやおや、読響のブルックナー第8と言えば、この間聴いたばかりじゃない? 前シーズンではあるけれど、3月のスクロヴァチェフスキ翁。あの時は前主席指揮者のサヨナラ・コンサートということもあって超満員、終わった後のマエストロ呼び出しに大いに盛り上がったものでした。
その記憶も新しいのに、何でまた同じ曲目を同じ定期に掛けるのでしょうか。

という疑問。プログラム誌を開けると、“尾高忠明たっての希望”という文字が目に飛び込みます。オーケストラ・サイドとしては、“8番は取り上げたばかりですし、他の曲では・・・” と言ったかどうか知らないけれど、マエストロとしては“読響と演奏するならこれ以外にはありません。”という信念を貫いたということでしょうね。

これ、あくまでも想像ですから、決して真に受けないように。
当然ながら定期会員としてはスクロヴァ先生の記憶と比較して聴いてしまうことになります。

その結果はどうであったか。感想は人様々ですから受け取り方は多様でしょう。私個人の感想として読んで貰えれば、尾高忠明のブルックナー第8は、スクロヴァチェフスキ以上に素晴しかった!! ということですね。

以前にも書いたように、この秋はブルックナー第8の大競演。私も先月、高関/日本フィルの快演に接したばかりです。当然ながらその比較もせざるを得ません。
実は当12月のプログラム誌にも某評論家氏のミスターSの第8絶賛論が掲載されていて、歯が浮くような褒め言葉が羅列されていました。これ、チョッとマズいんじゃないか。

私もスクロヴァチェフスキのブルックナー演奏に私淑してきた一人ですが、第8交響曲については100%満足したわけではないのです。高関の時にも触れましたが、それは版の問題です。

この日、尾高が選んだのは、紛れもないハース版。私のスクロヴァチェフスキへの不満は折衷版による演奏だった、と告白せざるを得ません。
その結果、カットされてしまった美しいページのいくつかが聴けなかった。

ブルックナーの交響曲は登山にも譬えられましょう。その登頂の達成感は、全ての行程を自らの脚で踏破してこそ得られるもの。
第8交響曲の場合、ノヴァーク版や折衷版で聴くと、途中をケーブルカーやリフトで通り抜けたような後ろめたさが残るのですね。素通りした小路には、そこでしか見られない高山植物が咲き乱れ、珍しい高山蝶が舞う。

私はこの曲に遭遇した時も、それから暫くも、ずっとカットの無いハース版で第8に接してきました。最近では少しは慣れましたが、それでも他版での演奏には違和感が残る。これは摺りこまれた習慣なので、自分ではどうする事も出来ません。

解説には、「版の違いに感銘を受けるわけではないこと、言うまでもない」と訓示されていましたが、この曲だけは譲れませんな。

もちろん音楽作品は演奏行為があってこそ成立するもので、我々は演奏によって音楽に触れるのです。しかし感銘は、突き詰めれば音楽作品そのものに対してであって、良い演奏であればある程、演奏家は作曲家の僕と成り得るのではないでしょうか。

その意味で、この定期で演奏されたブルックナーの第8交響曲への私の感銘は、スクロヴァチェフスキを上回っていた。特に後半2楽章に聴かれたマエストロの圧倒的な集中力と、低音部の充実に支えられた読売日響の力演は、この曲の再現に最も相応しい風景を展開していたと思います。

指揮台にはスコアが置かれていましたが、マエストロは1ページも捲ることはありませんでした。
また金管楽器の配置が独特で、ホルンとワーグナー・チューバ群は左手奥。これに合わせるようにチューバがホルンの隣、更に右隣にトロンボーンが並び、トランペットは中央より右手にズラリと居並ぶ陣容。当然ながらチューバを中心とする合奏に配慮したものでしょう。
ハープは指定通り3台。弦楽器は通常の読響配置でした。

聴衆もまた、素晴らしかった。

尾高忠明が前回定期に登場したとき(2007年12月)はエルガーの第2交響曲がメインでした。あのとき折角の名演を台無しにした聴衆の暴挙は、今や全く影を潜め、この大曲が堂々と終了した後も暫く会場は静寂。素晴らしい余韻を楽しむことができました。最低だった読響聴衆のレヴェルは、今や東京では最高水準にあります。

マエストロを讃える歓声は楽員が引き揚げた後も鳴り止まず、再度名匠を呼び戻すほど。スクロヴァチェフスキへの儀式まで再現した尾高のブルックナーに、多くの聴き手が共感以上ものを受け取ったのは間違いないでしょう。

Pocket
LINEで送る

1件の返信

  1. はじめまして
    同じ演奏会に行きました。受け取り方の違いにうなずきました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください