日本フィル・第708回東京定期演奏会

グレの歌で読響の大音響を聴いた翌日の15日、日本フィルの3月定期を聴いてきましたが、次の日の朝には京都に向かうべく新幹線の車中に。日曜日も京都に滞在していたため、金曜日の感想が月曜日アップとなってしまいました。悪しからず。
3月はシーズン最後の定期となるオケが大多数の中、日フィルはシーズン後期のスタートとなります。横浜に続いて3月は同オケにとって定期初登場の指揮者を迎えてのコンサート。

ロッシーニ/歌劇「泥棒かささぎ」序曲
ルトスワフスキ/交響曲第3番
     ~休憩~
ベートーヴェン/交響曲第8番へ長調作品93
 指揮/アレクサンダー・リープライヒ
 コンサートマスター/田野倉雅秋
 ソロ・チェロ/辻本玲

その初登場指揮者とは、ドイツはレーゲンスブルク生まれの中堅、アレクサンダー・リープライヒ Alexander Liebreich 。日フィルこそ初めてですが、アンサンブル金沢では定期的に振っているお馴染みの方で、他に定期では大阪フィルと京都市響への客演もあったようです。どういう経緯で日フィルの、しかもいきなり東京定期からの登場になったかは寡聞にして知りませんが、リープライヒは今年12月にも日フィル東京定期を振る予定。その彼が最初に選んだプログラムが上記のもので、国籍も時代も異なる3人の大作曲家の作品という所にも注目したい定期でした。

そのリープライヒ、ミュンヘンとザルツブルクで学んだ方だそうで、師匠はクラウディオ・アバドとミヒャエル・ギーレンだった由。演奏会を聴き終えて、なるほどと膝を打った次第。最初と最後はアバド譲りのスタイルですし、真ん中のルトスワフスキは、彼が2012年秋からポーランド国立放送交響楽団の首席指揮者兼芸術監督を務めているという関係もあるでしょうが、ギーレンに由来する現代作品への意欲とも関連するのでしょう。正に初顔合わせに相応しい選曲だったことに納得しました。

とにかく長身で、頭には少し白いものが混じった魅力的な方。衣裳の裏地に真っ赤な布がチラチラするダンディーでもあります。登場すると、客席四方八方に軽く会釈をし、ファンの様子を窺うような様子も。
ところがオケに向かうや否や間髪を入れずに舞台下手の小太鼓が強打。続いて上手に置かれたもう一台の小太鼓が弱音で答える。聴き手を瞬時に音楽の世界に引き入れてしまうパフォーマンスに驚かされました。

譜面台にスコアを置き、後半のベートーヴェンも新ベーレンライター版を置いていましたから、暗譜することに拘る指揮者じゃなさそう。上背の割には短い指揮棒を使い、アクションは極めて大きく派手。その長身を時には折り曲げ、指揮棒が指揮台というか脚の爪先にまで触れんばかりに振り下ろしての指揮。流石に歌声は聴こえませんでしたが、口元がメロディーに合わせて動き、恰も歌いながら指揮しているよう。体から音楽が溢れてくるような指揮、とでも言いましょうか。
そのようにして突然スタートした最初のロッシーニ。実に良い演奏でしたね。ブリオと歌、ロッシーニの音楽が持つ特性を十二分に捉えていました。これはいける、というのが私の第一印象です。

一般的には前半の2曲目、ルトスワフスキこそ注目の作品でしょう。これまでリープライヒはオーケストラ・アンサンブル金沢でも(バルトークに捧げる葬送曲)、京響定期の際にも(管弦楽のための協奏曲)をルトスワフスキを名刺代わりに紹介してきました。今回は大作第3交響曲で東京にお目見えしましたし、次回12月定期でも同じルトスワフスキのオーケストラのための書を演奏することになっています。
ルトスワフスキって何? ということで敬遠された定期会員が多かったようにも思われた客席でしたが、これは残念なこと。ポーランドの音楽、現代音楽というだけで折角のコンサートをパスしてしまうファンには敢えて警告したいと思いますね。決してルトスワフスキは難しくない、馴染み難くくはない、と。

プログラムに下田幸二氏が書かれているように、ルトスワフスキ自身が「私にとっての完全にバランスのとれた大形式のモデルは、ベートーヴェン以前の特にハイドンの交響曲だった」と述懐しています。つまりベートーヴェン以降の交響曲は、例えばブラームスでさえルトスワフスキにとっては重過ぎる、ということ。そんな作曲家が書いた作品は、決して聴き手にプレッシャーを掛けたり、長時間に亘って客席に縛り付けたりするような音楽じゃありません。
確かに冒頭“ダダダダ”っと炸裂する4音に続いてゴソゴソと始まる音楽は、ハイドンとは相当に異なります。これを度々“ダダダダ”が遮り、この連打は時には2度も3度も、ある時は5度も打ち続けられますが、それは決して不快な音響ではなく、次のシーンへの句読点と聴けば良い。次々と展開する次なるシーンとは、指揮者が敢えて拍数を数えないオケの自発性と偶然性に委ねる部分だったり、チェロがピチカートで弾き始めるパッサカリア風のフレーズだったり、管楽器だけの合奏だったり、弦だけのカオスの如き響だったりと。要するに、緊張が高まる音楽的な頂点が全体に何度も出現する普通の交響曲に比べると、クライマックスは僅か。その最高点が、最後の“ダダダダ”なのです。同じモチーフというか、4音で開始され、同じ4音で閉じられる。その30分弱(スコアの指定は28分)に全てが凝縮されている、と聴けば良いのです。耳慣れないから、という理由だけで聴かないのはもったいないし、聴いてみれば響きの新しさ故の新鮮さが聴かれるのではないでしょうか。それでいて実験的、且つ奇異なる音楽ではない。

リープライヒがルトスワフスキに拘るのは、その親しみ易さと新鮮さ、じゃないでしょうか。個人的にはルトスワフスキは大好きな作曲家ですし、そんなポーランド作品を積極的に紹介している指揮者には大いに共感を覚えた、というのが前半の印象でした。

後半はベートーヴェン。基本3管編成の舞台は急速に片付けられ、弦楽器は12型に減らされます。更にティンパニも通常の現代のものからバロック・ティンパニへ。これだけでベートーヴェンが作曲者当時の編成を目指して行われる古楽風なスタイルであることが想像されます。
個人的には古楽ベートーヴェンは嫌いな私ですが、実際にリープライヒの第8交響曲を聴いて、その忌避感は見事に払拭されました。古楽ベートーヴェンと言いましたが、それを感じさせるのはティンパニだけで、他の楽器は通常の現代楽器。演奏スタイルも、確かに重々しさとは無縁ですが、音楽はしなやかに歌い、踊る。「歌い、踊る」ことこそがリープライヒの指揮の特徴で、これほど音楽する喜びに満ち、聴き手を幸せにする指揮者は珍しいのじゃないでしょうか。

もちろん演奏する側は大変で、例えば首席チェロの辻本もいつも以上に真剣な表情で指揮者の要求に答えていました。もちろんいつもは気楽に弾いている、という意味ではなく、リープライヒがやりたい音楽に全力で答えようとしている、という意味。
スコアに書かれたリピート記号は全て忠実に守り、第3楽章テンポ・ディ・メヌエットでメヌエット主部がダ・カーポで再現される際も、前・後半共にリピートされるという徹底ぶり。これなど師アバドを彷彿とさせるベートーヴェンだと納得しました。
ティンパニ(名手エリック・パケラ。誰でもバロック・ティンパニを叩けるというわけではないそうです)も現代のものとは違って音程を皮を締めながら調整するため、楽章間に時間が必要。次の楽章に入るために通常以上のパウゼがあったのは、そのためです。

来シーズンは首席インキネンによるベートーヴェン・ツィクルスが発表されたばかりですが、それに先立ってのリープライヒによるベートーヴェン。これはやられたな、というのが正直な感想でした。
リープライヒは12月の東京定期で早くも再登場し、上記ルトスワフスキの他にドン・ジョヴァンニ序曲とシュトラウスの英雄の生涯が予定されています。ソロが大活躍するシュトラウスで誰がコンマスを務めるのかが気になる所ですが、今回はゲストで登場した田野倉氏が、正式に日本フィルのコンマスに就任することが決定しました。プログラムでの発表は未だですが、ツイッターでは早くも公開されていますから、あるいは12月にもリープライヒとのコンビが再現するかも。それは年末のお楽しみ、ということで・・・。

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