読売日響・第586回定期演奏会
3月の後半戦、個人的にはオーケストラの定期演奏会3連発からスタートします。その第一弾が14日の金曜日に赤坂サントリーホールで行われた読響定期。大曲グレの歌を聴きましたが、このあとは日フィルのルトスワフスキ、京都に遠征してマーラー第7と強行軍。果たして無事に帰ってこれるでしょうか、体力的には一抹の不安が残ります。
ということで3月の読響、9年間に亘って常任指揮者を務めてきたカンブルラン最後の定期とあって、多くのファンが詰めかけました。
シェーンベルク/グレの歌
指揮/シルヴァン・カンブルラン
ヴァルデマル/ロバート・ディーン・スミス Robert Dean Smith
トーヴェ/レイチェル・ニコルズ Rachel Nichols
森鳩/クラウディア・マーンケ Claudia Mahnke
農夫・語り/ディートリヒ・ヘンシェル Dietrich Henschel
道化師クラウス/ユルゲン・ザッヒャー Jurgen Sacher
合唱/新国立劇場合唱団(合唱指揮/三澤洋史)
コンサートマスター/小森谷巧
字幕/岩下久美子
(第2部と第3部の間に休憩が入り、合唱は後半で参加)
カンブルランが常任指揮者として定期の最後に選んだのが、グレの歌。グレの歌と言えば、日本初演を敢行したのが読響でしたね。確か1967年の事で、故・若杉弘氏の挑戦を私も実際に上野で体験した一人でもありました。
二度目に聴いたのは、それから32年も経った20世紀最後の年。その年のサントリーホール夏の現代音楽祭で、確か秋山和慶氏が指揮する東響でしたっけ。以来グレの歌は若杉・秋山両氏の専売特許状態でした。
従って私にとっては3度目のグレの歌。前回から数えても20年振りで、初体験から計算すれば52年間でたったの3回ということになりますな。
ところが何とこの大作、来月には東京・春・音楽祭で大野和士と東京都響が取り上げる予定ですし、10月にはジョナサン・ノットと東響も定期で紹介する由。中にはグレの歌3連発を計画している方もおられるでしょうから、私の半世紀に及んだ体験をたった8ヶ月で取り戻してしまうことになります。正に隔世の感と言うべきで、それは即ち我が日本クラシック界の進歩・成長ということでもありましょう。
さて読響定期、この日はテレビカメラが入り、P席には合唱団が座ることから、上から下まで客席は満杯状態。最後のカンブルラン定期とあって会員以外の方も多数駆けつけたのでは、と想像されます。
舞台は壮観。何しろフルート8、ホルン10、トロンボーン属も7本、更にハープ4台という大編成で、ステージ上も大混雑。特にトロンボーンは普通サイズ4本に加え、アルト・トロンボーン、バス・トロンボーンに加え、コントラバス・トロンボーンという珍楽器も。ホルン軍では第3部冒頭で4人がワーグナー・チューバに持ち替えますが、ここは弱音器装着。特別な形状のワーグナー・チューバ用の弱音器という極めて珍しい光景にもお目にかかれました。
打楽器も多彩で、ティンパニの他にも7人の打楽器奏者が様々な楽器を鳴らします。特に第3部、亡霊となったヴァルデマル王が部下に甲冑を付けろと促す場面では、鎧が軋る音を表現するために鉄の鎖が大活躍。初体験の時から最も印象に残っているのが、このシーンでしたね。
思い起こせばカンブルラン、常任指揮者就任披露の定期で振ったのもシェーンベルク、ペレアストメリザンドでした。シェーンベルクで始め、シェーンベルクで締める。もちろんカンブルランが意図したことであるのは間違いないでしょう。
そして任期の中点に当たる2015年には「トリスタンとイゾルデ」。グレの歌にも繋がる大曲が取り上げられていたこともあり、恰もアーチ状に仕組まれていたカンブルラン政権の9年間に改めて思いを致した次第です。
今回のトーヴェを歌ったニコルズは、代役ではあったけれどカンブルラン/トリスタンのイゾルデ役でしたし、森鳩のマーンケもブランゲーネで参加されていた方。あのトリスタンを連想するな、というのは無理な注文というもの。
ところでプログラム表記をそのまま転載した「森鳩」という役名、私がこの作品を知ったころは「山鳩」と呼んでいたはず。確かにドイツ語の Waldtaube を直訳すれば山ではなく森ですが、「森鳩」という鳥類が存在するのでしょうか。鳥に詳しい方に聴いてみたいところですが、第1部の最後は「山鳩の歌」の方が個人的には馴染みがあります。この辺りの解説、あっても良いと思うのですがどうでしょうか。(伝書バトに対する野生の鳩、という意味かも?)
余談はさておき、カンブルラン渾身のグレの歌は、豪華歌手陣を並べたこともあって壮大なスケールに酔い痴れました。それでも歌手の声は覆い隠され気味。この大編成ではどうしても響きが混濁するのは避けがたく、愛知県芸術劇場コンサートホールで大編成オケを聴いてきたばかりの耳には、やや不満と感じられたのも致し方ない所でしょうか。サントリーホールの限界も聴いてしまった定期でした。
歌手陣では、一人暗譜で歌ったヴァルデマルのスミスが、この作品を得意にしていることが良く理解できました。まるでオペラのように、歌唱を終えた後でも表情豊かに振舞っていたのが印象的。また農夫と語りの二役で健在ぶりを聴かせたヘンシェルも、流石に個性派。この演奏でも大きな存在感を見せ付けていました。(スミスを除いて他の歌手たちが、夫々別々の譜面を見ていたのも興味深いところか)
今回は編成が大きいため、恐らく数多くのエキストラが参加していたと思われます。特にフルート8本の内4人はピッコロと持ち替えるのですが、このピッコロの演奏が極めて難しいのだそうな。
第3部の最後に Des Sommerwindes wilde Jagd (夏風の荒々しい狩)というオーケストラだけの間奏があるのですが(ちっとも荒々しく聴こえませんが)、ここは終始4本のピッコロが高い B の音を吹き続けます。シェーンベルクは2本づつ二つのチームに分けて途絶えないように配慮はしているのですが、この高音を pp で吹き続けるのは至難の技。確かピッコロの最高音は更に1音高いCですが、それでも弱音でBを吹き続けるのは困難なのだそうです。
そこでオーケストラ演奏辞典とでも言うべきダニエルズの「オーケストラル・ミュージック」には、代替案が提示されています。私はこの個所を注視していましたが、読響ピッコロ陣は遠目ながら、敢えてシェーンベルクのスコア通りでの演奏に終始していました。もちろんカンブルランは百も承知でしょうから、ここはオーケストラの技術を信頼し切っての挑戦と称賛したいと思います。改めて読響全員にブラヴィ~を。
演奏終了後は例によって長いカーテンコール。ファンたちは、最早儀式ともなっているマエストロ・コールで9年間の労をねぎらいました。
読響のコンサートでは、毎回月替わりで機関誌「Monthly Orchestra」が配られます。さぞや今月は退任されるカンブルランのための特集記事かと思いきや、意外にも拍子抜けでしたね。確かに特集として「カンブルランが語る読響との9年の軌跡」と題するインタヴュー記事に加えて「カンブルランと歩んだ9年間」と題する写真特集に細川俊夫氏と下野竜也氏とからのメッセージが記載されていましたが、就任時も東日本大災害の時も万難を排して来日されたマエストロにとって常任最後の月にしては物足りないもの。せめて9年間の全演奏記録を載せて欲しかったと思います。ほぼ毎回聴かれている評論家諸氏も少なくないはず、熱烈に歓呼を贈った客席に比べ、事務局の対応がやや冷ややかに感じられたのは、私の勘繰りでしょうか?
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