二期会公演「エロディアード」
今年最初のオペラに出掛けました。去年は2月のローエングリンから11月のコジまで、数えれば5本のオペラを見ましたが、今年はこのジャンルに余り縁が無く、4月28日に渋谷のオーチャード・ホールで行われた二期会公演のエロディアードが今年最初のオペラ参戦となったワケ。ということは平成最後のオペラであり、私にとっては最後のコンサートでもあります。
折から列島は10連休の2日目、唯でさえ人が溢れている渋谷は観光客や用事のある人無い人でごった返しており、JR渋谷駅から人混みをかき分けるようにオーチャードホールに辿り着くのに30分ほど掛かる始末。この町は普通の老人が歩く場所ではなく、二度と渋谷なんか来るもんか、と思ってしまいました。オーチャードにしろNHKホールにせよ、毎月ここで定期演奏会を開いているオーケストラは気の毒だと思いますし、定期会員の皆様は本当にご苦労様です。
それでも敢えて出掛けたのは、日本では、いや世界でも聴く機会が少ないと思われるマスネのエロディアードが聴けるから。もちろん私は初体験で、27日と28日の二日間に亘って行われた演奏を聴かれたファンは真にラッキーだったと思います。
オペラと言っても今回は舞台上演ではなく、二期会が去年から導入しているセミ・ステージ形式で上演するコンチェルタンテ・シリーズで、去年の「ノルマ」に続いて2演目目。恐らく舞台上演ではかなり大掛かりなセットが必要となるオペラですから、先ずこの形で作品を知ってもらうのは賢明な処置だったと言えるでしょう。2公演は別キャストで、私が聴いた二日目は以下の配役。
マスネ/歌劇「エロディアード」
ジャン/渡邉公威
エロデ/桝貴志
ファニュエル/北川辰彦
ヴィテリウス/薮内俊弥
大司祭/水島正樹
寺院内からの声/吉田連
サロメ/國光ともこ
エロディアード/池田香織
バビロニアの娘/徳山奈奈
管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/ミシェル・プラッソン
合唱/二期会合唱団
舞台構成/菊池裕美子
他
日本初演ではありませんが、珍しい作品なので作品の紹介から始めましょうか。この日手渡されたプログラムは極めて簡素なもので、手掛かりになるのはオペラ研究家・岸純信氏が執筆された「マスネ『エロディアード』について」という短文のみ。これもあらすじはなく、各幕の聴き所が紹介されている2ページのみでした。ここでは個人的に当たったウイキペディア博士の解説なども参考にして照会しておきましょう。因みに日本初演は2012年6月に新国立劇場で行われた東京オペラ・プロデュースの公演とのこと。
さて二期会では今期「二つのサロメ」と題して、今回のエロディアードと6月のリヒャルト・シュトラウス「サロメ」をセットで楽しんでもらうという企画を立てました。同じストーリーをフランス・オペラとドイツ・オペラとで比較しようという試みですね。タイトル・ロールのエロディアードを歌う池田香織は、何とシュトラウスでも同じヘロディアスに挑戦するという楽しみもあります。シュトラウスでお馴染みのサロメ物語、岸氏の解説を要約すると、
①洗礼者ヨハネの首を求めた娘の話は新約聖書のマルコ伝とマタイ伝に登場するが、その名は無く、単にヘロディアの娘とするのみである。
②この娘に「サロメ」という名を与えたのは帝政ローマ期の文人フラウィウス・ヨセフスなる人物だが、その「ユダヤ古代誌」ではサロメとヨハネの死とは無関係である。
③サロメがジャン(シュトラウスではヨカナーン)を愛するという設定になったのは、マスネのエロディアードが最初。
④マスネのオペラはフローベルの短編「エロディアス」(出版は1877年)を基に、ポール・ミリエ Paul Milliet とアンリ・グレモン Henri Gremont が台本を書き、オペラ製作過程の中で有名なストーリーが創作された。
ということのようです。因みにマスネとフローベルは面識はあったそうですが、フローベルは1880年に没しており、1881年12月19日のブリュッセル・モネ劇場での初演を見ることは出来ませんでした。
序に余談。
私が勝手に調べた資料では、サロメを題材にしたオペラでは、他にチチェッティ、ピエロッティ、プッチーニ、ヤノフスキ、ルピという無名の5人の作曲家が手掛けているようですが、その内容については全く分かりません。3番目に挙げたプッチーニとは、オペラの大作曲家と同じジャコモ・プッチーニと言い、ルッカで繁栄した音楽家家系の先人。大ジャコモはその5代目で、詳しくは判りませんが親戚筋であることは間違いないでしょう。その先代プッチーニのサロメは1741年の作品とありますから、岸氏の解説通りとすれば、サロメとジャン(ヨカナーン)の恋物語は出てこないことになりましょうか。
マスネとシュトラウスは大筋では同じですが、決定的に異なるのは、マスネ版では最後にジャンがサロメの愛を受け入れることでしょう。最終第4幕で囚われたジャンがサロメと抱き合いますが、処刑の道連れとすることは拒否。ジャンの死を知ったサロメが自害するという幕切れで、マスネでは生首もサロメの踊りも出てきません、念のため。
初演時は3幕5場構成だったそうですが、その後改訂され、現行は4幕6場構成。今回も4幕版で演奏されましたが、第4幕に登場するバレエ音楽は省略されていました。このバレエはエジプト人の踊り、バビロニア人の踊り、ガリア人の踊り、フェニキア人の踊り、フィナーレの5曲から成りますが、オペラの進行とは直接関係が無く、演奏時間の関係からカットされたと思われます。
登場人物ではユダヤ王のエロデ、その妻で王妃のエロディアード、エロディアードの娘ながら事実は知らされていない踊り子のサロメ、ユダヤ国の占星師ファニュエル、預言者ジャンの5人が主役と言える存在で、敵対するローマ総督のヴィテリウス、大司祭やバビロニアの娘が脇を固めます。
このストーリー、中東の複雑な現況に置き換えてみることも可能で、歴史を超えた普遍性を有しているとも言えましょう。ユダヤ王はエロデであるけれど、政治の実権はファニュエルが握っている。一般大衆を先導するジャンは、言葉では自由を叫んでいるものの実態はテロリストではないか、とも。エロデの台詞にはセクハラ発言が満載。
今回のコンチェルタンテ、舞台前面にオーケストラが並び、奥に合唱団が待機。オーケストラと合唱団の間のスペースに中舞台が設置され、登場人物たちはそこで歌うという構成。最後のジャンとサロメの愛のシーンのみ、二人がオーケストラの前、客席に近いステージで歌いましたが、客席側が牢獄の中という設定でしょうか。
舞台奥をスクリーンに見立てて各幕の舞台を連想させる画像が映し出されますが、大半は静止画像で、最後にジャンの処刑を表現する場面で血液が流れ出る映像でそれを暗示する。前奏曲・第1幕と第2幕で70分、20分の休憩を挟んで第3・4幕が60分というタイム・テーブルでした。
さてマスネのエロディアード、その音楽の美しいこと。いや、美し過ぎるオペラでしょう。主役級の5人はもちろん、脇を固める歌手たちも見事な歌唱でマスネの魅力を十分に堪能することが出来ました。特にタイトル・ロールのエロディアードを歌った池田は圧巻で、その強い表現力、“母よりも女”の面を強く押し出した、ドラマティックでありながらも繊細な歌唱に舌を巻いた次第です。
そして何よりもプラッソンを称えずにはいられません。彼は同じ二期会の「ファウストの劫罰」や「ホフマン物語」でも接しましたが、現在85歳とは思えない矍鑠とした指揮、揺るぎない推進力で東フィルからフレンチ・トーンを引き出して見せました。エロデイアスも録音している巨匠、今回の上演には欠かせない存在でした。
カーテンコールでは女性3人に囲まれてご機嫌な様子。サクソフォーンの女性奏者を態々引っ張り出して大サービスするなど、ラザレフのフランス版といった振る舞いで客席を沸かせていました。
ところで休憩時間にホワイエで息を吐いていると、普段は余り見かけないコーナーが目に飛び込んできます。今シーズンの二期会にも協賛しているグヴィド GVIDO が電子楽譜を展示しているのでした。日本発、世界初の楽譜端末として最近見かけるようになったグヴィドは、今回も合唱団が使用しているとのこと。後半は合唱団に注目していましたが、全員ではないものの何人かが明らかに電子楽譜を見ているのが確認できました。
最近は音楽の電子化が進み、今回のエロディアードにしても、私の予習はネットでダウンロードしたフル・スコアを見ながら、ナクソス NML にアップされているプラッソン盤を聴くというもの。パソコン1台で譜面を見、音楽を聴くというスタイルが定着しています。私の中では紙ベースの楽譜、スピーカーを通して聴くCDは姿を消しつつあり、音楽界の変化をも実感したオペラ鑑賞でした。
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