二期会公演「ホフマン物語」

昨日は久し振りに劇場に足を運んできました。二期会創立60周年を記念した演目の一つ、オッフェンバック唯一のオペラ「ホフマン物語」です。
劇場とは、初台の新国立劇場オペラパレス。

最近はオペラに出掛ける機会は少くなってしまいました。今年は同じ二期会の「こうもり」以来。以前は定期的に聴いていた新国立劇場も、この前が何時だったか即時には思い出せないほどご無沙汰していました。
それでも大劇場、今はオペラパレスと言うそうですが、取れた席(1階10列中程)に座ると、ここで見た(聴いた)様々なオペラのシーンを思い浮かべます。
今回の公演を見て、もっと頻繁に来なきゃね、と痛感した次第。4日間公演の初日、2組の内、私が見たのはこのキャストの面々です。

オッフェンバック/歌劇「ホフマン物語」
 ホフマン/福井敬
 ミューズ/ニクラウス/加納悦子
 リンドルフ/コッペリウス/ダペルトゥット/ミラクル博士/小森輝彦
 オランピア/安井陽子
 ジュリエッタ/佐々木典子
 アントニア/木下美穂子
 スパランツァーニ/吉田伸昭
 クレスペル/斉木健詞
 アントニアの母の声/与田朝子
 シュレーミル/ヘルマン/門間信樹
 アンドレ/フランツ/大川信之
 ルーテル/狩野賢一
 ナタナエル/新海康仁
 コシュニーユ/ピティキナッチョ/坂本貴輝
 ステラ/今村たまえ
  管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団
  合唱/二期会合唱団
  指揮/ミシェル・プラッソン
  演出/粟國淳

多少日本のオペラを齧ったことのある方なら、おお、何と豪華な、と思われる配役でしょ。しかも適材適所と言うか、現在の日本で考えられる最高のメンバーじゃないでしょうか。
もちろん1日と4日に予定されているメンバーも、これからの日本オペラ界を背負って立つべき面々。どちらかの公演を聴いて決して損はないキャストだと思います。

とにかく面白い。そして音楽が、もちろん歌も素晴らしい。二期会の総力を結集した記念公演と称するに相応しい出来栄えだったと言えましょう。

第1はやはり演出でしょう。
粟國演出の舞台は、私は以前にびわ湖/神奈川のトゥーランドットを観たことがあり、その時に演出家本人のトークや生い立ちなどを知りましたが、真にオペラのツボを心得た演出だと改めて感心しました。

舞台の上に更に回り舞台が設置されていて、それを巧みに回転させたり前後に移動して効果を引き出す。オランピアの場面は、トゥーランドットでも使われたメカニックな装置が印象的で、機械人形を操作するパネルが活躍します。
安井陽子のコロラトゥーラも絶好調。演技も含め、見て楽しめる舞台作り。

ジュリエッタの場面は、ダペルトゥットが歌う「輝け、ダイアモンドよ」に因むダイヤのカットを連想させるような装置で、回り舞台で登場する鏡の扱いが秀逸。ホフマンの影を奪うという場面は、まるで手品の様。
佐々木典子にもこういう役作りがあるのか、という新発見も。

今回はアントニアの場面が最後となるシューダンス版での上演。プラッソンの拘りだそうで、やはり音楽的にも頂点となる最終幕は今公演のハイライト。基本的にはこれまでの2幕を引き継いだ舞台を用い、前の場面で活躍した鏡には大きな赤い布地が掛けられ、下手にはアントニアの母の肖像画が据えられています。
舞台にはピアノが置かれ、他にも様々な楽器がズラリ。これはやはり「音楽」の象徴であり、ホフマンが音楽家であることに改めて注意を喚起する仕掛けでもあるのでしょう。アントニアのアリアにミラクル博士がヴァイオリンで伴奏する演技にも演出家の意図が感じられます。
木下美穂子は正に嵌り役。欧米で活躍する機会の多い木下ですが、現地でもアントニアは適役と進められてきた由。今回が初役とは思えないほど「決まって」いました。
最後に回り舞台全体が後方に下がり、恰も全てがホフマンの遠い思い出だったように映るのは流石。

忘れてならないのは、やはり大御所プラッソンでしょう。最近は若手指揮者にも軽々に「マエストロ」という称号を与えますが、彼こそが真のマエストロと呼べる存在。
東フィルがフランスのオケに変身してしまったのでは、と思えるほどに色彩感豊かなハーモニーを創り上げていました。
凄いのは、音楽が決してギクシャクしないこと。肩に丸味が感じられる音楽作りこそ、フランスの巨匠の持ち味でしょう。プログラムにも紹介されていたように、彼はシャルル・ミュンシュの薫陶を受けた指揮者。師の「同じ曲を何度指揮しても、いつも新しい姿を思い描いて接する」という教えを忠実に守り続けた音楽家であることが良く理解できる演奏でした。

もちろんホフマンを歌った福井敬は二期会のエース。60周年記念公演でもトゥーランドット、パルシファルに続くタイトル・ロール。イタリア語であれ、ドイツ語であれ、フランス語であれ何でも来い、の名テナーですが、今回のホフマンの衣裳や容貌を見ていると、何となくオッフェンバックその人を連想してしまうのが不思議。
そもそも「ホフマン物語」というオペラは、作家E・T・A・ホフマンの短編からバルビエとカレの二人が合作した戯曲が台本の基礎。この短編はホフマン自身の体験談が盛り込まれているそうで、この戯曲を見てオペラ化を思い立ったオッフェンバックにも自分と重なる部分を見出したのではないでしょうか。
オッフェンバックは作品に名前だけ登場する「クラインザック」という名が気に入り、飼い犬にこの名を付けていたそうな。残念ながら作曲は完成を待たずに他界しましたが、それだけ思い入れの強いオペラだったと想像します。

そうしたことも踏まえて、ホフマン=オッフェンバックという飛躍も有り得ようし、彼が恋した3人の女性も実は一人の女性、という種明かしにも通じるのじゃないでしょうか。
粟國淳演出の特徴は、先ず本学の本質を捉えること、と評価されていますが、今回のホフマン物語でもその姿勢は健在、いや一層深まっているようにも感じました。
オペラを観て聴いて、ただ楽しかっただけでは物足りません。そこから一歩踏み込んで、作品や作曲家の本質に一歩でも近づきたいという気持ちを起こさせてこそ、そのオペラは成功したと言えるでしょう。

二期会のホフマン物語、見るべし。

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