日本フィル・第710回東京定期演奏会

日本フィルの5月定期は、桂冠指揮者兼芸術顧問のアレクサンドル・ラザレフの指揮。今回マエストロは横浜定期には出ないので、先週行われたオール・チャイコフスキー・プログラムも聴いてきたばかりです。
その定期、思わずエッと言ってしまう選曲。殆ど初めて聴くような協奏曲に、ラザレフ指揮のオペラ初体験。そのオペラもロシア作品ではなく、何と何とイタリア・オペラのカヴァレリア・ルスティカーナというから驚くじゃありませんか。前半も後半も興味津々で出掛けました。

メトネル/ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品50
     ~休憩~
マスカーニ/歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」(演奏会形式)
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 ピアノ/エフゲニー・スドビン Yevgeny Sudbin
 トゥリッドゥ/ニコライ・イェロヒン Nikolay Erokhin
 サントゥッツァ/清水華澄
 アルフィオ/上江隼人
 ローラ/冨岡明子
 ルチア/石井藍
 合唱/日本フィルハーモニー協会合唱団
 コンサートマスター/田野倉雅秋
 ソロ・チェロ/菊地知也

前半のメトネルを弾くのは、英国のテレグラフ紙が「必ずや21世紀の偉大なピアニストになるであろう」と称賛したというスドビン。北欧レーベルのBISと専属契約しているサンクト・ペテルブルク生まれの俊英で、1997年以後は英国在住だそうです。自身のホームページはこちら↓

http://www.yevgenysudbin.com/

個人的な記憶を辿れば、オスモ・ヴァンスカ指揮のミネソタ管弦楽団がBISにベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音する際、ソリストとして選ばれたのがスドビン。あ~あの時の、ということで思い出す方がおられるかもしれません。
スドビンは既に多くのCDを録れており、今回取り上げるメトネルのピアノ協奏曲も全3曲を完成させています。特に第2番に付いては、献呈したラフマニノフが当時作曲中だったというピアノ協奏曲第4番とのカップリングで出ており、スドビンの拘りさえ感じるじゃありませんか。
そのスドビン、細やかなタッチと華麗な音色で、知られざる佳曲の魅力を十二分に引き出してくれました。ラザレフと日本フィルも、恐らくメトネルを日本のファンに知らしめるには最高のコンビ。40分になんなんとする大作ピアノ協奏曲がサントリーホールに蘇ります。

さてメトネル、聞く所によると日本フィル側からラザレフに提案があったのだそうで、それに合わせるならカヴァレリア、というのが猛将の答え。共にファンタジー溢れる作品という共通点があるそうな。
ニコライ・カルロヴィチ・メトネルは1880年1月5日にモスクワで生まれましたが、この日はユリウス暦では1879年のクリスマス・イヴに当たります。父は現在のエストニア生まれで、母はドイツ系。この母が音楽家のファミリーの出で、ニコライが音楽と出会ったのも、母親からピアノを教わったのが最初でした。

モスクワ音楽院時代にラフマニノフと親しくなり、ラフマニノフ同様にロシアを離れて活躍、言わばロシアからの海外流出組の一人でもありました。各地を転々とした後に英国に定住。この地でメトネル協会も設立され、確かSP時代に自身のピアノ、ドブロウェン等がフィルハーモニア管弦楽団を指揮してメトネルのピアノ協奏曲3曲の膨大なアルバムが出ていたはずです。
それでも「名旋律の無いラフマニノフ」などと悪口を言われ、最近になって漸く再評価され始めている作曲家でしょう。その先駆けになったのが、第3ピアノ協奏曲を委嘱したベンノ・モイセヴィッチじゃないでしょうか。

ハ短調のピアノ協奏曲第2番は、通常の3楽章形式。各楽章に副題が付いており、第1楽章(ハ短調)はトッカータ、第2楽章(変イ長調)がロマンツァ、第3楽章(ハ長調)はディヴェルティスマンとなっています。第1楽章は変ホ長調で弾き出される第2主題が美しく、かなり長大なカデンツァが聴き所でしょう。
第2楽章も単純なロマンツァではなく、テンポが上がってオーケストラとのスリリングなバトルが展開するのが特徴。この楽章にも前半に短いカデンツァがあり、最後は微妙に、かつ美しく転調してアタッカで第3楽章に突入。この転調も作品のキモと聴きました。
基本3拍子のフィナーレは、途中からマーチ風の2拍子が挿入され、時に3拍子と2拍子が同時進行するという斬新さも聴かれます。ここにも短いカデンツァがあり、最後はヴィーヴォのコーダでティンパニとピアノの合わせ技でカッコよくフィニッシュ。また新しいピアノ協奏曲の名曲がレパートリーに加わりました。
一聴すると、やはりラフマニノフに最も近く、所によりチャイコフスキーとプロコフィエフでしょうか。全体的な印象ではロシアのブラームス、かな。

敢えて難曲と呼んで良いメトネルでしたが、スドビンは喝采に応えてアンコール。美しいアンダンテが流れ出しましたが、これ、バッハじゃなくドメニコ・スカルラッティのソナタロ短調だそうな。スカルラッティのソナタはほぼ550曲もあり、様々な整理番号が付けられています。アンコールで弾かれたのはK197ですが、この「K」はケッヘルではなく、カークパトリックによる整理番号。スカルラッティの整理番号は他にロンゴ(L)、ペステッリ(P)、ツェルニー(CZ)がありますが、このロ短調はLなら147番、Pでは124番に分類されているものですね。昨今は、些か文献的に問題が多いLに替わって、Kが使われることが多いようです。
何とも美しいスカルラッティをアンコールしてくれたスドビン、既にBISには2枚のスカルラッティ・ソナタ集のアルバムがあり、もちろんK197も聴くことが出来ますよ。

余談ですが、スドビンはメトネルもスカルラッティも暗譜ではなく、タブレット型の譜面を置いて弾いていました。以前なら紙ベースの楽譜を立て、横に譜捲り係を用意していましたが、現在はタブレットを足で操作して譜を捲る。私は弦楽四重奏や弦楽器奏者の演奏会、他の楽器の協奏曲(例えばフルート)などで経験していましたが、ピアノ協奏曲のソリストが使う風景は初めて見ました。

さてスカルラッティはナポリ生まれで、スペインに海外流出したチェンバロの名手兼作曲家でしたが、同じナポリに産まれたのがレオンカヴァルロ。その道化師とセットで上演されることが多いのが、ナポリからは大分北、イタリア中部の港町リヴォルノに産まれたマスカーニのカヴァレリア・ルスティカーナでしょう。それってこじ付けでしょ、と言われそうですが、はい、こじ付けです。

ということでカヴァレリア。俗に「Cav & Pag」と呼ばれるダブルビル、私はシミオナートやデル・モナコの絶唱で育った世代ですが、今回のラザレフ版はそうした記憶を全て一掃してしまうほどの素晴らしいカヴァレリアでした。
意外、と思われるラザレフのイタリア・オペラでしたが、その情熱溢れる指揮、要所では冷静さを失わない大人のメロドラマで聴き手の、特に女性陣の紅涙を絞ります。5人の歌手陣はどれも素晴らしい歌唱、要所とで見せる表情で客席を沸かせましたが、やはり役柄からトゥリッドゥのイェロヒンとサントゥッツァの清水が際立っていました。
幕切れ、赤毛の外人女性が上手から登場して“トゥリッドゥが殺された!”と叫びましたが、あの方は誰? もちろん歌ではないので名前はクレジットされていませんでしたが、カーテンコールにも堂々登場されて充分な存在感がありました。

そのカーテンコール、日本フィルではこれまで見たことのない大喝采に包まれました。拍手と歓声に混じり、空気を割くような指笛まで炸裂。日本フィルのオペラ演奏会形式、これまでインキネンがワーグナーでいくつか紹介してきましたが、ラザレフのオペラはこれからもどんどん取り上げていって貰いたいと思います。
差し当たっては来年5月にラフマニノフの「アレコ」が予定されていますが、この会も前半はピアノ協奏曲(ラフマニノフの1番)。ソリストは未定ですが、スドビンに再登場して貰っても良いですよ。

意表を衝いたプログラム、最後にサプライズという意外性もあり、土曜日も聴きたくなってしまう定期演奏会でした。

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