二期会公演「ダナエの愛」

オペラは年に一・二回聴くだけのメリーウイロウですが、何故か今年(今シーズン)は劇場に出掛ける機会が目白押しです。例年とは異なる演奏会カテゴリーになりそう。
ということで先月は読響定期で「トリスタンとイゾルデ」の演奏会形式を堪能しましたが、昨日は二期会の舞台上演を楽しんできました。珍しい演目で、リヒャルト・シュトラウスの「ダナエの愛」。舞台上演としては日本初演だそうです。

リヒャルト・シュトラウス/歌劇「ダナエの愛」
ユピテル/小森輝彦
メルクール/児玉和弘
ポルクス/村上公太
ダナエ/林正子
クサンテ/平井香織
ミダス/福井敬
ゼメレ/山口清子
オイローパ/澤村翔子
アルクメーネ/磯地美樹
レダ/与田朝子
4人の王と4人の衛兵/前川健生、鹿野浩史、杉浦隆大、松井永太郎
小姓/大平媛
合唱/二期会合唱団
管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/準メルクル
演出/深作健太
その他

実はこの作品、舞台に掛けるのは今回が日本初演ですが、10年ほど前に演奏会形式で取り上げられたことがあります。私はそれも聴いていて、その時のプログラムも手元に残してありました。それを改めて紹介すると、
2006年1月22日(日)午後2時開演、会場は新宿文化センター大ホールで、若杉弘指揮の新日本フィルによる演奏。これが音楽としての日本初演。
キャストでは、この時ダフネを歌った佐々木典子が今回も二日目の公演で同じ役を歌うほか、前回クサンテとゼメレの二役を歌った平井香織が初日と3日目にクサンテ一役で参加しています。他では前回ミダスを歌った大野徹也が、今回は公演監督を務めているということも付け加えておきましょう。

その時の感想、正直な所ほとんど記憶していません。ただ慣習的なカットが施されていたことは、前回のプログラムにも明記されていました。今回の舞台上演ではカット無しの完全上演です。
プログラムを態々残しておいたのは、この台本のオリジナル作家であるフーゴー・フォン・ホフマンスタールが書いた「ダナエ もしくは 打算の結婚」という覚書の翻訳が挟まれていたから。この文章を翻訳した檜山哲彦氏が、今回のプログラムでも「打算の結婚/愛の結婚」という一文を寄せられており、二つを読み比べるのも興味あるところです。

事前に色々な方からメッセージが二期会ホームページ上にアップされていましたが、通念として定着しているのがシュトラウスの最後から2番目のオペラで、ザルツブルク音楽祭での初演はゲネプロまで進んでいながら音楽祭が戦争のためキャンセルされたこと。1952年8月に漸く初演されたものの、シュトラウスは既に世に亡く、シュトラウスが初演を見なかった唯一の作品であること、でしょうか。
シュトラウスがゲネプロに際し、招待客に「日落つる国 Abendland の文化が終焉を迎えている」と嘆き、ウィーン・フィルのメンバーにも「次はもっと良い世界で会おう」と語ったことが今回のプログラムにも引用されていた通り、シュトラウスはこれが最後のオペラになると自覚していたことも周知のこと。
そのことから、物語の幕引き役であるユピテルが、実はシュトラウス自身であるとの解釈も、多々語られてきたところではあります。

英国初演は世界初演の翌年、ロンドンのコヴェント・ガーデンでルドルフ・ケンぺ指揮で行われました。アメリカでは更に10年後、1964年にロサンジェルスで助演された由。
主役の歌が長く難しいこと、舞台としても問題があることなどから、日本初演のように演奏会形式で行われることが多く、私が所有している全曲CD(テラークのボットシュタイン盤)も演奏会形式のライヴ収録盤です。

そうした予備知識を得た上で、今回の公演初日を聴きました。海外でも上演機会が決して多いとは言えない作品、シュトラウス・ファンならずとも、ドイツ・オペラの黄昏を謳い上げた音楽の美しさに身を委ねてみることを薦めたい、というのが私の感想でした。
兎に角音楽の美しさは相変わらずシュトラウスの独壇場で、やや取り止めの無い筋書きに戸惑いながらも3時間強、日常のストレスを忘れて過ごすのは決して無駄じゃないでしょう。特に第3幕の第3場、挟まれた間奏曲から最後までのシュトラウス・ワールドは、巨匠の全オペラの中でも屈指の名場面と思慮しますがどうでしょうか?

作品は全3幕、喜劇の様に始まりながら、決して笑えるオペラじゃない。かといって悲劇かと言えば、常套的な滑稽場面もチャンと用意されている。ドイツ・オペラの真骨頂であるアンサンブルの魅力にも事欠かず、第1幕第3場(第1幕は全4場)の召使たちの踊り、第3幕第2場(第3幕は全3場)の4人の王女たちのカノン、債権者たちの輪舞などは、改めてシュトラウスの練達な書法に唖然とします。
もちろん主役3人のアリアや二重唱にも美しいメロディーが続々と出現。プログラムの作品解説(岡部真一郎)には明記されていませんでしたが、第3幕では先ずミダスにはダナエとの二重唱の間に挟まれる“In Syriens Glut”があり、第3場冒頭ではダナエが極めて美しいモノローグ“Wie umgibst du mich mit Frieden”を歌う。極め付けは最後、ユピテルが二人への餞として歌うような「マヤの物語」で、これはシュトラウスもスコアに Majaerzaehlung と明記しているほど。
こうしたメロディーを聴かずに一生を終えるのは何とも惜しいことだし、滅多に上演されない作品として黙殺してしまうには、如何にも勿体無い。

今回は準・メルクルの適切なリード、東フィルの優れたアンサンブルによって単なる紹介以上の成果を挙げたと思います。難役を堂々とこなした3人の主役、夫々の持ち分を適切に演じた初役の面々にも拍手を贈りましょう。
演出は極オーソドックスなもので、例えば冒頭の借金取りのシーンなど、ドイツならギリシャ債務問題を表に出すところでしょうが、そういう政治的な意図は敢えて避けていたようにも感じられました。
その一方第3幕では原子力汚染、災害による避難生活を連想させるような演出もありましたが、本質的な問題を投げかけているとも思えず、些か蛇足とも感じられたのが若干の瑕か。ユピテルが諦めざるを得なかったダナエの愛は、ミダスの子供を宿しているという暗示で表現。最後にダナエが植えた鉢植えの木に花が咲く、という演出も愛の象徴でしょうか。

今回の演出ではユピテルがシュトラウス自身という解釈は敢えて採用していないようでしたが、最後の幕でユピテルとミダスが歌い交わす場面はなく、実はユピテルとミダスは同一人物の裏表ではないか、と一瞬感じたのも事実でした。
ユピテルがヴォータンを思わせるような槍を持って堂々と登場し、最後はその槍を自分で折って神々から人間への未練を表現する所、明らかにシュトラウスはワーグナーの指輪物語の続編を頭の隅で意識していたのか、とも思える演出でもありましたね。

この公演は3日に別キャスト、4日にも2日と同じキャストで上演される予定。初日は未だ空席もあったようですから、是非折角の機会を見逃すことの無いように。

 

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