日本フィル・第715回東京定期演奏会

1年を通して音楽会が最も賑わうのが11月。今や東京におけるコンサートの中心地となったサントリーホールでは、11月最初のオーケストラ・コンサートとして日本フィルの東京定期が行われました。桂冠指揮者兼芸術顧問のラザレフ将軍登場です。
プログラムは、「ラザレフが刻むロシアの魂 Season Ⅳグラズノフ5」と題された以下のもの。

グラズノフ/交響曲第6番ハ短調作品58
     ~休憩~
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「火の鳥」全曲
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 ソロ・チェロ/辻本玲

通い慣れたる赤坂のサントリーホール、ホワイエに足を踏み入れると、いつもとは違って通路の壁にホール創設者である佐治敬三氏に関する写真パネルや動画が並んでいました。そう、このコンサートが行われる11月1日は佐治氏の生誕100年記念の当日だったんですねェ~。思わずパネルに感謝の一礼を捧げてしまいました。そして有名な「佐治シート」にも。

演奏会が始まる直前に場内アナウンスがあり、今日が佐治氏の生誕100年に当たっていること、東京のオーケストラで一早くサントリーホールで定期演奏会を始めたのが日本フィルであったことを紹介し、この日のコンサートが佐治氏に捧げられると告知されました。
日本フィルがサントリーホールで開催した最初の定期とは、1989年9月7日に行われた小林研一郎指揮によるマーラーの交響曲第3番。私も1階席の後方で実際に体験したことを思い出します。

追憶は更に進み、あの当時私は久し振りに東京に戻ることができ、何処かのオーケストラの定期会員に復帰しようと、春頃からいくつものオーケストラを聴き歩いていたものでした。最終的に日本フィルと決めたのは、学生時代を通して会員だったこと、直前のディーリアス(グローヴスが指揮した人生のミサ)が素晴らしかったことも要因でしたが、やはり秋から定期演奏会の会場をサントリーホールに移す、という案内文を見たことが決定打でしたね。
それ以来現在まで、日本フィルの定期演奏会に通い詰めているメリーウイロウです。故渡邊暁雄氏の指揮で定期に通い続け、クラシック音楽を生涯の道連れにする喜びを教えてくれた日本フィルへの感謝の気持ちでもあります。この生活は死ぬまで続くでしょう。

少し長くなりますが、東京のオーケストラとサントリーホールの関係を自分なりに調べてみると、最初に定期演奏会をサントリーホールで開催したのは、実は日本フィルではなく、今は東フィルと吸収合併した新星日響で、1987年の秋から散発的に、上野の東京文化会館と交互に行うスタイルでした。
そんな状態を変えたのが、1989年9月の日本フィルだったわけ。以降1989年11月から都響(上野と交互で)、1990年4月からの読売日響と続き、1991年7月からは東京シティ・フィルも加わります。
その後東京シティ・フィルは初台に会場を移しましたが、サントリーへの参入は1992年の東響、1999年2月のN響と膨らんでいきます。手元の資料が欠落しているので正確な時期は判りませんが、東フィルと新日フィルも2000年以降にサントリー定期をスタートさせ、今日に至る、ということでしょうか。

演奏会が始まる前に飛んだ連想が膨らんでしまいました。
さてラザレフ将軍、今回も、と言ってよいでしょう。「我が辞書に退屈の2文字は無い」と言わんばかり、あっという間の2時間弱でした。

今回、日本フィルとマエストロの共演は11月の東京定期だけですが、実は先週、ラザレフは群馬交響楽団に客演し、新装成った高崎芸術劇場での群響定期をスタートさせたばかりでした。どんなコンサートだったのか、新ホールの響きはどんな具合だったのか興味津々ですが、いずれ伺う機会もあるのでは、と考えています。
その東京定期、ロシアの魂シリーズの一環としてグラズノフとストラヴィンスキーの組み合わせ。どちらも聴く機会が少ない作品で、ただ音符を音にしただけでは退屈感からは逃れられそうもありません。ところが然さに非ず、目からも耳からも鱗が落ちる驚きの名演が繰り広げられるのでした。

前半のグラズノフ。えッ、交響曲第6番って聴いたことない、という人がほとんど。余程ロシア音楽好きのファンならアマチュアが取り上げたかもしれませんし、録音ならいくつも聴くことは出来ましょう。しかしプロのオーケストラが取り上げた記録があるのか?
そこで古い資料を繙いてみると、ありましたね。何と1930年5月、新響(現N響)がニコライ・シフェルブラットの指揮で取り上げた記録があるのを見つけました。定期以外、例えば海外オケの公演などで演奏されたことはあるかも知れませんが、私が知り得た限りでは実に89年振りの第6交響曲ということになります。

当然ながらナマ初体験のグラズノフでしたが、冒頭からラザレフは違う。もちろんCDではパパ・ヤルヴィ盤、尾高盤などで知ってはいましたが、第1楽章序奏部で低音から始まる短調主題の弱音に先ず驚かされます。
ラザレフは時に、ピアニシモを殆ど聴こえないほどに落とすのですが、そのラザレフ・マジックを冒頭から爆発させました。そこからは完全にラザレフの、いやグラズノフの虜。

中間の二つの楽章、第2楽章の変奏曲はシューベルト風、第3楽章のインテルメッツォはメンデルスゾーン風などと勝手に思い込んでいましたが、当然ながら全てがロシアの香りで満たされているのでした。
ハ短調からハ長調へ、と言えばあの名曲を思い浮かべますが、グラズノフの場合、フィナーレはもうお祭り。4拍子系と3拍子系とが交互に入れ替わりながら突き進む、結構複雑な音楽ですが、ラザレフの手に掛かると高揚感が進むにつれてクレッシェンドして行き、そのスリリングな展開に思わず手に汗を握る。例によって最後は “どうだァ~” の決めポーズ。客席からの大歓声。なんでこんな名曲、90年近くもお蔵にされていたのかしら、ね。

前半からして盛り上がる客席に向け、御大はスコアを客席に示して “どうだ良い曲だろ。俺じゃないぞ、グラズノフだぞ” と言わんばかり。
大きくため息を吐いて、後半のストラヴィンスキー「火の鳥」へ。

普段聴き慣れた組曲ではなく、オリジナルのバレエ全曲版という所がミソ。それもラザレフで、というところが聴き所でしょう。舞台下手にハープが3台並び、2階客席に真ん中と左右、3箇所にトランペットが陣取るサントリーホールの機能をフルに活用したシフトです。因みにトランペットが客席に陣取っているのは、スコアに「舞台裏」ではなく「舞台上」という指示があるから。そう、これはバレエ音楽なので、本来ならオーケストラはピットに入り、トランペットは舞台上で吹かれるが故なんですね。

ラザレフの火の鳥、グラズノフ同様に冒頭から目が覚めます。8分の12拍子で奏される低音のピチカート、これ普通はゆっくりと、指揮者は1小節を何とか12に振り分けて指揮しますが、ラザレフは3つの音を1拍で、つまり1小節を4つに振りました。結果、テンポは速い。
私は思わず “速ッ、” と口走ってしまいましたが、こんな出だし聴いたことない。以下、グラズノフの密なオーケストレーションと違ってストラヴィンスキーのそれは、各楽器のソロがふんだんに使われ、如何にも斬新。同じリムスキー=コルサコフの弟子ながら、グラズノフとストラヴィンスキーとでは個性も、時代も違うのだ、ということを改めて認識させられます。

日本フィルの名人芸が随所に炸裂し、気が付けば最後のフィナーレ。7拍子が炸裂する箇所のテンポの速いこと速いこと。私は又しても “速ッ、” を連発してしまいました。
思えばストラヴィンスキー本人、モントゥーやアンセルメの聴き慣れた演奏は、ラザレフを聴いてしまうと何と長閑でほんのりとした演奏だったことか。当時と比べればオーケストラの技術が桁違いに良くなったことも原因でしょうが、時の流れは緩慢ながらも気が付けば遥か彼方に。そんな思いを抱いたラザレフの東京定期でした。

御大の次回は、来年5月。それまで待てますか? こうなれば行きますね、来年2月の九州公演に。大好きな河村尚子と堀米ゆず子も聴けるんですから。

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