読売日響・第593回定期演奏会

未だ12月に入っていませんが、クリスマス・カラーで彩られたサントリーホールで読響11月定期を聴いてきました。読響は12月定期がお休みなので、これが今年最後の定期となります。
このところ次々と新しい指揮者が客演する読響、11月は「チェコ期待の俊英 注目の初登場」というキャッチフレーズ、若手のネトピルが指揮台に立ちました。

モーツァルト/歌劇「皇帝ティートの慈悲」序曲
リゲティ/無伴奏チェロ・ソナタ
リゲティ/チェロ協奏曲
     ~休憩~
スーク/アスラエル交響曲
 指揮/トマーシュ・ネトピル Tomas Netopil
 チェロ/ジャン=ギアン・ケラス
 コンサートマスター/白井圭(ゲスト)

ネトピルは今回が初来日、かどうかは分かりませんが、少なくとも私は初めて聴く指揮者。読響では既に先週末、マチネー・シリーズに登場してモーツァルトやヤナーチェクを振っていました。
そのモーツァルトも「ドン・ジョヴァンニ」序曲とプラハ交響曲ですから、チェコの指揮者であることを明確に打ち出したプログラミング。定期で冒頭に取り上げる序曲も、モーツァルトが死の年にプラハ国立劇場で初演した皇帝ティートの慈悲ですから、納得の選曲でしょう。
そのプラハ国立歌劇場の音楽監督を務めていたネトピル、長身を翻して颯爽と登場した時から、自身に溢れた様子が伺えます。またイケメンなんだ、これが。ホームページを見た方が早いかも。

http://www.tomasnetopil.com/

序曲は、その指揮姿を映し出すようにキビキビとした推進力に溢れた演奏。多少古楽的なアプローチを加味しながらも、強弱のアクセントを巧みに付けて初顔合わせのオーケストラを見事にドライヴしていました。
スタートからして、将来性の大きさを感じます。序曲だけは指揮棒無しでした。

ここでオーケストラの楽員は一斉に退場。大きなチェロ台が持ち込まれ、譜面台の代わりにタブレットが据えられます。今時のスタイルですね。
定期には珍しく無伴奏チェロ曲が演奏されるのですが、リゲティのような作品になると途中で譜捲りができません。まさかピアノのように横に譜捲り係を置くわけにもいかず、かと言って暗譜するのも厳しい。電子楽譜の登場が、演奏家にとってどれだけレパートリーの拡充に寄与しているかは計り知れないものがあります。伝統は新たに作り出されていくもの。

リゲティのソナタと協奏曲を一遍に演奏してしまうケラスは、日本でも大人気のチェリスト。これまたイケメンで、11月定期は美男子競争曲の様相を呈していました。客席が満席とならなかったのは残念でしたが、リゲティと聴いたことのないシンフォニーじゃ仕方ないか。

ハンガリー語を母語とするユダヤ人の家庭に生まれたリゲティは、いわば国際人。その作風も年代、世界の潮流によって様々に変化してきました。無伴奏チェロ・ソナタは亡命以前のハンガリー時代の作品で、2つの楽章から成ります。実は2つの楽章は別々の時期に書かれ。第1楽章「ディアローゴ」(対話)は学生時代の1948年作。第2楽章「カプリッチョ」が5年後の1953年に書かれて一つの作品として纏められたもの。第2楽章の中間部で第1楽章が回想され、全体の統一が図られています。ディアローゴはメランコリックなメロディーが特徴で、ほとんど小節間の縦線がありません。ということは拍子が存在しないのも同然で、演奏者の感性に委ねられる、ということでしょう。
演奏が困難ということで、初演は1983年になってから。ケラスは圧倒的な力量で披露してくれました。

続いて楽員が再登場し、協奏曲。この夏、私は川崎ミューザのフェスティヴァルでピアノ協奏曲を聴きましたし、来年の夏はヴァイオリン協奏曲を聴くことになっています。ほぼ1年の間にリゲティの三大協奏曲が聴けるわけで、今回のチェロ協奏曲もその一環という形で聴きました。この3曲もリゲティの各年代を代表するもので、チェロ協奏曲はリゲティが世に出た「アトモスフェール」と同時期、1969年の作品です。
リゲティを有名にした微分音の集積からなるトーンクラスターを駆使した作品で、これぞリゲティ・ワールド。私の青春期と同期していて、難解というよりは懐かしい思いで胸が一杯になりました。

楽譜を見て唖然としたのは、冒頭に記されている「p」の数。プログラム誌でも指摘がありましたが(柴辻純子氏)、何と8つも並んでいるんですね。ここ、ケラスは本当に pppppppp で弾き始めましたよ。凄い!!!
全体は2楽章、連音符の数も半端じゃなく、7・8・9は当たり前、10・11・12などが犇めいてトーンクラスターを構成します。
最後がまた独特。もうここは5線譜ではなくなり、朧げな音程と秒数、楽器の扱い方が記されているだけで、客席にも届かないほどの弱音と細かい動きがホールに減衰していくのでした。

さすがにこれで終わり、じゃないでしょう。ケラスが日本語で「どうもありがとうございます。アンコールはバッハのくみきょく、えーと1番」と語りかけて親指を突き出しました。日本とは異なる指数えに客席も大喜び。
ということでバッハの無伴奏チェロ組曲第1番からサラバンドがアンコールされました。ケラスにブラヴォ~。

後半は、私が最も聴きたい曲の一つ、スークのアスラエル交響曲です。この作品を知ったのは、確かターリッヒ指揮のLP盤。それに魅せられ、CD初登場のノイマン盤。更にヘフリッヒから復刻スコアが出版されたのを知って、価格を顧みず即アカデミアに発注。そして遂に、定期会員でもないのに都響でフルシャが指揮する会に出かけたものでした。
思えばフルシャも、今回のネトピルも共に故ビエロフラーヴェクの弟子たち。ビエロフラーヴェクで聴けなかったのは残念ですが、二人の後輩による競演に接することが出来、これ以上の満足感は無いでしょう。

チェコ人なら誰でも経験し、知っているという死の天使アスラエル。その動機が全編を通じてライトモチーフのように出現し、ドヴォルザーク(レクイエム)の引用もある。全5楽章、演奏時間も1時間に近いという、初めての聴き手には試練かもしれませんが、作品を熟知したネトピルの情熱的、かつ構成を大きく捉えた指揮でアスラエルの真価が伝わったのではないでしょうか。
チェコの作曲家とは言え、民族的な要素は稀薄、というより殆ど感じられないスークの作品群。今ではチェコの三大作曲家と言えばスメタナ・ドヴォルザーク・ヤナーチェクでしょうが、かつてはスメタナ、ドヴォルザークに次いで第3の作曲家に挙げられたほどのスーク。そろそろ大規模なルネサンスがあっても良いのでは、と確信した定期演奏会でもありました。

今回のコンマスは、ゲストの白井圭。年男として今年最後となる良い仕事をしていました。
演奏後、指揮者とソリストのサイン会が行われたようです。イケメンが並んだサイン会もさぞ盛り上がったことでしょう。

ところでネトピル、プログラムには来年2月にウィーン国立歌劇場で「フィデリオ」新演出を指揮すると紹介されていましたが、正しくはフィデリオの初稿、いわゆる歌劇「レオノーレ」を指揮します。この公演はオッタヴァ・テレビのライブ・ストリーミングで放映されることになっており、今から楽しみにしている所。リングにある国立歌劇場で「レオノーレ」が上演されるのは史上初ということで、大役を任されたネトピルが読響に戻ってくることに期待しましょう。

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