第386回・鵠沼サロンコンーサート

師走に入って最初の演奏会は、サロンの中のサロン、鵠沼海岸にあるフレンチ・レストラン、レスプリ・フランセで月1回、平日の火曜日の夜に行われている鵠沼サロンコンサートです。
首都圏でも紅葉が盛り、いや少し過ぎた位かな、ということに気が付き、久しぶりに鎌倉経由で出かけました。

鎌倉に行くときに利用している横須賀線、今月から相鉄線と埼京線も乗り入れているとあって、余り見かけない車両が走っているのにビックリ。これで益々コンサート行の範囲が広がるじゃないか、という懸念も浮かんできました。
先ずは北鎌倉で下車し、目の前の円覚寺。台風の影響もあって今年の紅葉は今一でしたが、それでも平日にも拘わらず多くの方が訪れていました。
再び横須賀線で鎌倉へ移動。目的は、なんことはない、干物を買うため。序に近くの蕎麦屋で早目の夕食を摂りましたが、庭にあるサルスベリの古木で店員氏と話が弾みます。
頃は良し、江ノ電で江ノ島に向かい、小田急の江ノ島海岸駅まで軽い散歩。一駅で鵠沼海岸駅に到着しました。

今年最後の、今回で386回を迎えたサロン・コンサートは、超大物の登場で期待も膨らむ次のプログラム。

ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品30-1
シューベルト/即興曲ハ短調D899-1
ショパン/マズルカ第15番ハ長調作品24-2、第17番変ロ短調作品24-4
     ~休憩~
サン=サーンス/序奏とロンド・カプリチオーソ作品28
ラヴェル/ヴァイオリン・ソナタ ト長調
 ヴァイオリン/レジス・パスキエ
 ピアノ/金子陽子

パスキエ/金子のリサイタルは、レスプリ・フランセでも、私が聴くのも二度目。前回は2016年5月の第353回(ブラームス、プロコフィエフ、サン=サーンス!)で、前回参加された方は誰もがリピートしたくなる素晴らしいサロンでしたね。
ピアノの金子氏は単独でフォルテピアノのリサイタル(去年4月)でも聴いており、彼女の鍵盤楽器は3度目。聴かずとも、リサイタルの楽しさが想像できましょう。

今回も多くの方が、それも出足速く集まっていましたが、最初にプログラムの他にニュース原稿が一枚配られました。
見ると、鵠沼室内楽愛好会を主宰されている平井満氏が、第6回JASRAC音楽文化賞を受賞された由。選考委員の顔ぶれには大手マスコミの編集委員などがズラリと並び、受賞理由の大きな柱は、当然ながら鵠沼サロンコンサートの企画・運営でしょう。それだけサロンは全国規模で名を馳せているということで、単に日本国内での評価だけに留まらない、というのが今回のサロンでも証明された形。まさに時期に適った受賞であることを喜び、平井氏の活動に感謝の意を捧げたいと思います。平井さん、おめでとう!

ということで、例会の通りサロンは平井氏の解説でスタート。当然ながらいつもより一段と熱い拍手で迎えられます。
パスキエ氏は2回目。前回は仙台のコンクールに合わせての来日で、その序で(と言っては失礼ですが)に鵠沼海岸でも手頃なギャラで弾いてくれたそうな。今回も当初は藝大の仕事を兼ねて立ち寄る予定だったそうですが、本来の目的が一ヶ月早まってしまい、時期を遅らせて態々来日されたとのこと。今回は鵠沼の他にはもう一ヵ所あるだけだそうで、それでも鵠沼に足を運ぶのは、サロンの素晴らしい運営と雰囲気があるからこそ。「鵠沼サロンコンサート」は、世界でも類を見ない上質な演奏会として、その名が轟いているのであります。

前回も紹介された、かつてダヴィッド・オイストラフが使用していたという1734年製のグァルネリ・デル・ジュス「クレモナ」を手ににこやかに登場されたパスキエ、コンビを組む金子とのアイ・コンタクトからベートーヴェンが始まります。
サロン一杯にグァルネリの美音が響き渡り、いつしかウィーンのサロンの雰囲気が出現したかのよう。特に第3楽章、ややピアノの序奏が長い第6変奏では左手の楽器、右手の弓を回すように感情を表現していくパスキエさんでした。眼前で見なければ味わえない、音楽の楽しみの一コマ。

最初からブラヴォ~の飛び交うサロン、ここで一旦ヴァイオリンはお休みとなり、金子さんのソロでシューベルトとショパンを。ここでも直ぐに演奏に入るのではなく、前回のフォルテピアノ・リサイタルでも披露してくれた楽しいスピーチから。
実はこの秋、オランダでシューベルトの即興曲集全曲と楽興の時をレコーディングした由。その時に使用したのが、シューベルトが作曲していた当時に使われていたグラーフ社製の6オクターヴ半の楽器だそうで、現代のピアノとは違ってペダルが5本もあるそうな。特にピアニッシモの表現に使われるペダルが2本もあって、今回はレスプリ・フランセのニューヨーク・スタインウェイで如何にピアニッシモを弾き分けるかが挑戦である、と語られます。
更にはプログラミングにも触れ、ショパンがポーランドを離れて最初にやってきたのがシューベルトが亡くなって間もないウィーンで、恐らくショパンもグラーフのフォルテピアノを弾いたのに違いない。実際、初期のマズルカはウィーンで作曲されたことも指摘され、このあとショパンはパリに移動する。そういうことでプログラム前半はウィーンのサロンから始まり、次にパリに移動。後半はフランス音楽を楽しんでいただくという音楽紀行でもあり、自分でも自信のあるプログラムだ、と力説されました。

以上、金子さんの解説は彼女のホームページにも一部紹介されています。前回の来日に関係する記事もありますから、こちらを参照してください。

そうか、なるほど。これでシューベルトのピアニッシモ、特にペダルの使い方に目が行ってしまいます。転調の素晴らしい、そして何よりもフォルテピアノで作曲したであろうアンプロンプチュの美し響きに耳が奪われます。金子陽子さん、あなたはペダルの天使です。これは正に、シューベルトも降臨していると錯覚するようなサロンの体験でした。
続くショパンにも当時のサロンを思い浮かべ、後半へ。

再びパスキエ氏が登場し。先ずは誰でも知っている華麗なるサン=サーンス。大喝采が巻き起こり、最後のラヴェルへ。ここで何かモゾモゾと二人の間に遣り取りがあり、パスキエ氏が何か話したい様子。
開口一番、“日本語は話せません”、これで笑いを誘い、金子さんの通訳で音楽之友社と行なわれたインタヴューの話題へ。パスキエの師であるフランチェスカッティは、ラヴェルとコンビを組んでツアーを行ったこともある。ところがラヴェルはピアノが下手で、一度でお払い箱になったそうな。パスキエ氏は、フランチェスカッティを介してラヴェル自身の書き込みがある譜面を譲り受けていて、大切に保管されているとのことでした。

こんなエピソードに続いて聴くラヴェル。どんな演奏か言わなくても判るでしょ。伝統とエスプリ、名人芸と品格、あらゆるものがバランスされた至高の名演を、60人で聴く贅沢。
このあともパスキエ語りは続き、父親ピエール・パスキエはフォーレの前でヴァイオリンを弾いたこともあり、フォーレ自身から暖かいコメントを貰った話。レジス・パスキエ本人も、メシアンとの思い出等々。前回もブーランジェ姉妹など様々な音楽家との交流を楽しく聞かせていただきましたが、大ホールでのコンサートではあり得ない、演奏家と聴衆が目と目を合わせ、親密に音楽を共有できるサロン・コンサートを200パーセント楽しめる素敵な夜となりました。

フォーレに因み、アンコールは「ロマンス」。これ、涙が出ましたね。
最後は楽器を置いて拍手に答えたパスキエと金子両氏、終わってもスピーチは続きます。その皮切りは、“金子さんは日本語を喋ります” というユーモア。続いて平井氏の受賞を称え、何よりもサロンという音楽の場を作ってくれた氏の功績を高く評価されました。音楽家は大きなホールでも演奏するけれど、何より楽しみなのは、鵠沼のように直接聴き手と触れ合えるサロンで弾くこと。皆さん、音楽はサロンで演奏されることから始まったのです。これからも鵠沼サロンコンサートが少しでも長く続くように、というところでは拍手爆発。氏が言われたとおり、室内楽はサロンで聴くのが本筋でしょう。大ホールでの室内楽は邪道と言わざるを得ません。

今回は開場でのCD販売は無く、それでもプログラムにサインを貰う熱心なファンの長い列ができていました。

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