紀尾井ホールのクァルテット・プラス

今年最後の室内楽、ということで紀尾井ホールに行ってきました。実は大晦日恒例のベートーヴェン後期弦楽四重奏全曲演奏会のチケットも購入してありますが、行くかどうかは思案中。ラズモ3曲と後期全曲は老人には体力的に無理、途中からゆるゆると出かけることになりそう。感想を書く予定もありませんし、書いたとしても年を跨いでから。従って、これが今年最後の室内楽レポートとなります。

紀尾井ホールに出掛けるのは随分久し振り。会場へは四谷から歩く方が大半だと思いますが、10年以上前の勤務先が赤坂見附だったこともあり、私は地下鉄銀座線を利用します。弁慶橋を渡って清水谷を抜け、紀尾井坂に。
周りは歴史上の名跡ばかりですが、紀尾井の急坂を上るとコートが邪魔になるくらいポカポカしてきました。寒風が吹き付けるホールの前で少し時間待ちをしましたが、少しも寒くないわ。

この日のコンサートは、クァルテット・エクセルシオが最近力を入れている「クァルテット・プラス」シリーズの一環。そう名乗っているのは晴海の第一生命ホールと紀尾井ぐらいですが、先日も入善ではホルンとのプラスがあったばかりだし、来春にかけて晴海と浦安でダブル・クァルテット、トッパンホールでもクラリネットとの共演が待っています。
今回はクァルテットにオーボエとハープを招いての演奏会。そんな編成の曲があるのかと思いましたが、さすが、こんな選曲で一晩のコンサートを創ってしまいました。

カプレ/エドガー・アラン・ポーの「赤死病の仮面」によるハープと弦楽四重奏のための「幻想的な物語」
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」
     ~休憩~
モーツァルト/オーボエ五重奏曲ハ短調K406
ドビュッシー/神聖な舞曲と世俗的な舞曲
クヴィエシュ/オーボエ、ハープと弦楽四重奏のための六重奏曲「フルビーン変奏曲」(日本初演)
 クァルテット・エクセルシオ
 オーボエ/吉井瑞穂
 ハープ/景山梨乃

それにしてもクヴィエシュって誰? と思いますが、それは最後に。
手渡されたプログラム誌は至ってシンプル。真嶋雄大氏のコンサートに寄せて、というエクセルシオへのオマージュと、簡潔な曲目解説。あとは出演者のプロフィールで構成されていました。
私がオーボエの吉井瑞穂を知ったのは、何年か前にプロムスでマーラー室内管弦楽団を聴いた時。滅茶苦茶巧いオーボエがいるな、と思ったのですが、それが吉井でした。彼女のナマ演奏に接するのは、不覚にも今回が初めて。
ハープの景山梨乃も初のナマ体験?だと思いますが、東京交響楽団の首席ハーピスト。何処かで聴いたかもしれませんが、ソリストとしては初めてです。

曲目を一瞥すれば分かるように、極めて多彩な選曲。というか、この組み合わせなら当然でしょう。逆に、こういう機会でなければ聴くチャンスがないような作品ばかり。編曲作品が多いのも自然な成り行きで、そこを逆手に取ったプログラミングと言えなくもない。時代を超えた繋がり、共通点もあって、謎解きも楽しめる演奏会でしたね。順に行きましょうか。

冒頭はアンドレ・カプレ。カプレと聴いて先ず思い浮かべるのは、ドビュッシー作品の編曲や補完をした人。長いタイトルが付いた「物語」は、オリジナルの管弦楽曲を室内楽版に編曲したものでもあります。エクはかつて晴海でも取り上げたことがあり、私は二度目の体験。
今回の曲目解説では全く触れられていませんでしたが、作品にはストーリーがあり、テキストはアラン・ポーの恐怖小説。「赤死病」とは「黒死病」をもじったもので、国王が伝染病を恐れて城に閉じこもるという内容。ところが真夜中、12時の鐘が鳴ると赤死病が城内に侵入しており、全員が病に倒れるというミステリーでもあります。
作品の真ん中辺りで奏される舞曲風の3拍子は、城内で興じられる宴の様子。ところがハープの低音で12時の鐘が描写されると、音楽は凍り付き、恐るべき緊張感に包まれる、という一品。解説にストーリーが紹介されておらず、12時の鐘も余り強調されなかったため、単に斬新な響きの音楽としか感じられなかった方も多いのじゃないでしょうか。少し残念でした。弦楽四重奏の真ん中にハープが位置し、エクが景山を取り囲んでの演奏。

ここでハープは一旦片づけられ、弦楽四重奏にセッティング替え。演奏されたのはエクの中核を成すベートーヴェンですが、通称「ハープ四重奏曲」というのは如何にもでしょ。さっき聴いたばかりのハープの音を、弦のピチカートで再現していきます。
紀尾井ホールは弦楽四重奏にはやや広過ぎる空間ですが、それでも高い集中力で弾き切りました。特に最終楽章が変奏曲であることも、第10番を選んだ理由かも。プログラミングを解く伏線でもありましょう。

後半はオーボエも加わってのクァルテット・プラス。最初はファースト・ヴァイオリンの位置にオーボエを据えてのオーボエ五重奏曲です。と言ってもこれはオリジナルではなく、最初の形は管楽合奏によるセレナード。ケッヘル番号では388が付されている作品で、恐らく吉井はオリジナルの楽曲での演奏経験があるでしょう。管楽アンサンブルなら定番の名曲。
モーツァルトは後年、これを弦楽五重奏にアレンジし、現在は弦楽五重奏曲第2番K406としても知られています。今回の演奏は、この五重奏版を更にハンバート・ルカレッリという人がオーボエ五重奏にアレンジしたものだそうで、基本的にオーボエは第1ヴァイオリンのパートを演奏します。もちろん私は初体験でしたが、弦楽合奏と管楽セレナーデを上手く合体させた、と聴きました。
改めてこの作品、第3楽章メヌエットのトリオに当たるカノンが秀逸で、オーボエが弦のパートの逆行形を吹いていく面白さ(セレナードでも第1オーボエが、弦楽五重奏では第1ヴァイオリンが担当するパート)。このアレンジの醍醐味と言えそうです。第4楽章が変奏曲になっているのもミソで、前半のベートーヴェンとの接点でもあります。ハ短調と変ホ長調、同じ♭3っつというのも偶然ながら面白い共通点。

吉井瑞穂の膨よかで切れのあるオーボエ、何より締めの一吹きがピタリと決まる妙技に酔い、再びハープと弦楽四重奏に。ドビュッシー作品が書かれた20世紀初頭、ハープの半音階を出す工夫を巡ってプレイエル社とエラール社がライヴァルとして鎬を削っていたエピソードは、さすがに曲目解説でも触れられていました。
結局は競争に敗れて現在では使われなくなったクロマティック・ハープ(プレイエル)のコンクール用に書かれたのが二つの舞曲。これも元来はハープと弦楽合奏のために書かれた一品ですが、今回はハープと弦楽四重奏のための「編曲もの」。原曲にあるコントラバスのパートはチェロと同じか、ハーモニーの支えに徹しているため、このような形で演奏されることも多いようです(ハープと弦楽五重奏というアレンジも存在するほど)。
グレゴリオ聖歌風のメロディー(解説によると、ポルトガルの作曲家F.ラチェルダのコンクール優勝曲を引用した由)が流れる神聖な舞曲から、最後の4音が自然にワルツに変貌する世俗的舞曲にそのまま流れ込む。二つがアタッカで結ばれているというのも聴き所でしょう。聖と俗は、その境目が面白い。

そして最後に、日本初演となるクヴィエシュという作曲家の六重奏曲。この作品、誰が何処から探し出してきたのでしょうか。ハープの世界では、あるいはオーボエ奏者の間では知られている曲なのでしょうか?
先ず作曲家オトマール・クヴィエシュ Otomar Kvech (e にはチェコ語の鍵記号が付きます)は、去年3月16日にプラハで亡くなったチェコの作曲家。プラハ音楽院でオルガンと作曲を学びましたが、父親がラジオ局の音響エンジニアだった故でしょうか、彼もラジオでの仕事が多かったようです。日本ではほとんど未知の存在と思われ、今回の日本初演はクヴィエシュの追悼演奏会にもなったようですね。作曲家自身のホームページを見つけましたので、興味ある方は色々なタグをクリックしてみてください。

http://kvech.cz/

それにしても不思議なのは、フルビーン変奏曲というタイトル。そもそもフルビーンってどういう意味なんでしょうか。残念ながら曲目解説には書かれていませんし、上記ホームページでも見つかりません。そもそも聴いた限りでは変奏曲とは思えません。ベートーヴェン、モーツァルトからの変奏曲繋がりかと思いましたが、どうやらこれは外れたみたい。
ホームページを色々読んでいると、何と楽譜をダウンロードできるページもあります。フルビーン変奏曲も無料で楽譜をゲットできるのでダウンロードしてみましたが、残念ながら第4楽章は空白。見たきゃ買え、ということですかね。

3楽章までの譜面を見、今回の演奏を聴いてみると、第1楽章 Molto moderat はヴィオラのソロで始まります。そのテーマは9度上昇して2度下がるという耳慣れないもの。吉田ヴィオラには聞けませんでしたが、音程が取り難くくってもう大変、という呟きが聞こえてきそう。案の定、この9度上昇と2度下降は作品全体を通して使われているようです。これが変奏曲の由来でしょうか。
いずれにしても4つの楽章は普通の弦楽四重奏曲のように伝統的なパターンのようで、第2楽章 Allegro molto vivo e risoluto はスケルツォ、第3楽章 Adagio molto は緩徐楽章で、第3楽章からアタッカで繋がる第4楽章 Allegro risoluto は冒頭のモチーフが高らかに奏される結論楽章でしょう。緊張が大きく高まったのち、主に弦楽器の高音が消えるように閉じられます。

第1楽章は200小節ほどですが、オーボエが登場するのは6割ほど進んでから。それまではハープ五重奏のような音楽で、楽章の最後にはハープの短いカデンツァが置かれています。
第2楽章は8分の9拍子を主体とするスケルツォで、弦楽器はスル・ポンティチェロ、コル・レーニョ、ピチカートを繰り出す斬新な響き。中間部と最後にはオーボエの独壇場があって、最後はセカンドが弦を擦ったり、ハープの過激なグリッサンドも登場しての華麗な音絵巻、この組み合わせでなくては聴けない響きが楽しめました。
第3楽章は一種のダージ(挽き歌)でしょうか、葬送行進曲のリズムがトリルを伴って奏され、冒頭の9度・2度が絶叫する。第4楽章は譜面が真っ白なので分かりませんが、冒頭モチーフの高揚と鎮静がテーマと聴きました。今回は弦楽四重奏が通常の順で下手に並び、ヴィオラの隣がオーボエ、右端にハープという設置でした。並び方に特に指定は無いようです。

そもそもクヴィエシュが何故にこの編成で六重奏を書いたのは謎。解説にもありましたが、クヴィエシュにはラヴェルのクープランの墓をオーボエとハープ用にアレンジした作品があり(スプラフォンに音源もある)ますし、オーボエの作品がかなりあるようです。ラヴェルこそ、ハープ開発騒動でドビュッシーとは反対のペダル・ハープ側についた作曲家でした。この編曲の仕事と六重奏曲には何か関係があるのか、フルビーンとは何か。
色々考えていると、コンサートの最初がアラン・ポーのミステリーだったことに思い当たりました。謎解き、変奏曲繋がり、ハープ戦争の顛末、編曲作品が主体、単に珍しい楽器編成による珍曲を並べたコンサート、だけじゃなかったのかも。

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