ウィーン国立歌劇場公演「ローエングリン」

ウィーン国立歌劇場からのライブ・ストリーミング、新年の3演目めは待望のワーグナーです。去年の5月にライブ・ストリーミングが始まって以来、最初のワーグナーでしょう。
個人的にはアンドレアス・ホモキの演出が興味津々で、既に何度もウィーンでは舞台に掛けられているようですが、私は初めて全幕を通して見ることが出来ました。

ドイツ国王ハインリッヒ/アイン・アンガー Ain Anger
ローエングリン/ピョートル・ベチャラ Piotr Beczala
エルザ/コーネリア・べスコウ Cornelia Beskow
テルラムント/エギルス・シリンス Egils Silins
オルトルート/リンダ・ワトソン Linda Watson
王の伝令/ボアツ・ダニエル Boaz Daniel
4人のブラバント貴族/ヴォルフラム・イゴール・デルントル Wolfram Igor Derntl 、マーティン・ミュラー Martin Muller
           ヨハンネス・ギッセル Johannes Gisser 、ドミニク・リーガー Dominik Rieger
4人の小姓/貫見恭子 Kyoko Nukumi 、カヤ・マリア・ラスト Taya Maria Last
      バーバラ・ライター Barbara Reiter 、ディムフナ・メイツ Dymfna Meijts
指揮/ミヒャエル・ギュトラー Michael Guttler
演出/アンドレアス・ホモキ Andreas Homoki
舞台及び衣装デザイン/ヴォルフガング・グスマン Wolfgang Gussmann
照明/フランク・エヴィン Franck Evin
ドラマトゥルグ/ウェルナー・ヒンツェ Werner Hintze

ホモキの演出と言えば、私は新国立劇場で「フィガロの結婚」、神奈川県民ホールの「ばらの騎士」、日生劇場で行われた二期会の「こうもり」を楽しんできました。どれも見るもの聞くものに作品の新たな視点を提供するもので、開幕前から幕が上がっているのが共通していました。フィガロでは段ボールで舞台を組み立て、劇が展開するにつれて舞台が傾いていく。これか貴族社会そのものの崩壊を意味していることは明らかでした。
ばらの騎士も主役の女性歌手がやたらに脱ぐのが特徴で、それは単に服を脱ぐだけでなく、因習や古くからの仕来りを脱ぎ捨てることを象徴しているのです。こうもりも同じ。楽しいオペレッタのはずが、作品の中に悲しみを見出し、夫婦生活の崩壊が舞台上の主役のことではなく、観客全員のことでは、と問いを投げかけるアイディアが秀逸でしたっけ。

ということで今回の「ローエングリン」も、ワーグナーの最も美しいとされるオペラから斬新な意味を引き出し、思い切り楽しめる内容になっています。現地では1月9・12・16・19日の4日間行われた公演のうち、最終日の模様です。なおスターツオバーのホームページには、この舞台はチューリッヒ歌劇場との共同制作と明記されていました。
幕が開く前、マイヤー総裁が登場して指揮者の交代を告げました。予定されていたワレリー・ゲルギエフ Valery Gergiev に替り、ドイツの若手指揮者ギュトラー。なんだゲルギエフは振らないのか、とガッカリされたのではと思いきや、当のギュトラーが登場すると、未だ何も演奏していないのに客席からは大変な拍手と歓声。これはチョッと意外でしたね。ギュトラーは去年11月にエフゲニ・オネーギンで登場していましたし、今年の5月にはドン・ジョヴァンニを指揮する予定になっています。

予想通り、前奏曲が始まって間もなく幕が上がり、紗幕の向こうで寸劇が二つ演じられます。一つは故ブラバント公の葬儀で、テルラムントがエルザの保護を申し出るも断られるシーン。もう一つはテルラムントとエルザの結婚式の途中で、エルザが拒否して逃げ出す場面。これによってテルラムントがエルザに対する憎悪を募らせていたことが判ります。エルザが落とした花束をオルトルートが拾い、彼女の野心を膨らませることも暗示。オペラ本編の前史を見せることによって、ローエングリン物語の理解が深まることになるでしょう。

舞台は台本に指定されているアントワープではなく、合唱団はバイエルン地方と思われるの民族衣装で登場。場面設定を19世紀または20世紀初頭の小さな山村に移し、物語を今日の自身の経験として観客に語り掛けます。 全3幕とも、舞台は三方が木の壁で囲まれた部屋で展開するのが如何にもホモキ流。舞台の中央の壁にハートが二つ燃え上がる様を描いた絵が飾られ、「es gibt ein gluck」の文字が刻まれています。この文言は「幸福になる」というような意味で、第2幕第2場でエルザがオルトルートに向けて語るシーンで歌われる台詞から取ったもの。「人を信じる喜びを、あなたにも教えてあげましょう。私の信仰に改宗しなさい。そうすれば幸福を得られるのだから」によるものと思われます。

ここは全曲の丁度真ん中から少し前、フリースラント家を先祖に持つオルトルートが、代々の権力と宗教を復権させようとテルラムントを唆し、エルザに見知らぬ騎士の素性に関して疑惑を抱くように仕向ける重要な場面。いわば全曲の肝に当たる箇所なのですね。
オルトルートが信仰しているのは、キリスト教から見れば邪教。崇める神はヴォータンとフライアというのが面白いところで、これを改宗せよと言われればオルトルートの復讐心に火が点くのは当然の成り行きでしょう。

第1幕でのローエングリンの登場と、第3幕最後で白鳥に姿を変えられていたゴットフリートが姿を現す形がそっくりなのも意味がありそう。ローエングリンとゴットフリートは同一人物なのか、というヒントを与えてくれているのではないでしょうか。
慣習的な処置なのかもしれませんが、第3幕第3場、ローエングリンの名アリア「グラールの物語」の最後から白鳥の登場までの180小節弱がカットされていました。
また、ローエングリンの最後の言葉、「ご覧ください。これこそtが、君主としてあなた方を率いることになるブラバント公です。」は、舞台裏の遠方から歌われます。これによってドイツ語圏の人々には忌避されている「フューラー Fuhrer」という台詞が聴き取り難くなっているのは、あるいは意図してのことでしょうか。

ホモキ演出では、エルザもオルトルートも死ぬことはなく、幕切れまでゴットフリートは横たわったまま。エルザがブラバントの守護者の象徴たる剣と角笛を持ち、オルトルートがそれを手渡いように要求して冷ややかに見つめる終結。これは順当にゴットフリートがブラバント公に就任する将来を予見するものではなく、恰もオルトルートの勝利とも解釈できるような幕切れになっています。
ホモキの意図までは読み切れませんが、従来の解釈に対し、宗教上の常識が崩壊していくことをも暗示しているように感じましたが如何でしょうか。

カーテンコールの最中で再びマイヤー総裁が登場し、リンダ・ワトソンに宮廷歌手の称号を授与するセレモニーが行われます。マイヤー総裁の長いスピーチと、これに応えるワトソンの挨拶は全てドイツ語で、残念ながら聴き取れません。一言一句でなくとも、せめて概要だけでもホームページに翻訳を掲載して頂ければありがたいと思いました。

ローエングリンのピョートル・ベチャラは、先のトスカ公演の終わりに宮廷歌手の称号を受賞。2月のオペルン・バルでもゲスト歌手に選ばれたばかりです。そしてこの日に宮廷歌手に選出されたリンダ・ワトソンは、サンフランシスコ生まれのドラマティック・ソプラノ。ブリュンヒルデ、イゾルデ、伯爵夫人を得意とし、ウィーン国立歌劇場にはバーンスタインの「静かな場所」でデビューしていました。
エルザに抜擢されたコーネリア・べスコウはストックホルム生まれの若きソプラノで、故郷の歌劇場でドンナ・エルヴィーラを歌ってオペラ・デビュー。ワーグナーもジークリンデやゼンタなどで高い評価を得ている期待の星と言えるでしょう。
ラトヴィアのバリトン、エギルス・シリンスもバイロイトでヴォータンを歌っているほどのワーグナー歌手で、テルラムントの悪役ぶりを見事に描き出していました。堂々たる体躯でドイツ国王にピッタリのアイン・アンガーもエストニアのバス歌手。やはりワーグナーに定評があり、ウィーン国立歌劇場の日本ツアーにも参加していましたから、お馴染みのファンも多いことでしょう。

そして何と言っても忘れてならないのは合唱の素晴らしさ。ローエングリンは合唱オペラでもありますから、ウィーン国立歌劇場合唱団の威力を十二分に満喫できる舞台でもありました。
脇役たちの配役名まで列記したのは、小姓1として日本人ソプラノの貫見恭子さんが歌っているから。彼女はスターツオバー合唱団の第1ソプラノとして所属している方の由。第2幕でエルザにエプロンを着けているのが貫見さんです。

ウィーン国立歌劇場のワーグナー、このあとは3月にニーベルンゲンの指環ツィクルス、3月にもパルシファルがライブストリーミングされることになっていますから、大いに期待して待つことにしましょう。

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