初演記念日の「コジ・ファン・トゥッテ」

“人生において過去は記憶の中にあって存在せず、未来は想像の中にしか存在致しません。唯一の存在である今この瞬間の連続である音楽を聴く事によって無情に流れる時間を人生の喜びや憂愁に満ちた豊かな時間や空間に変換する事が出来るのではないでしょうか”
これは日本モーツァルト愛好会の代表を務める朝吹英和氏が、2020年1月26日に第一生命ホールで行われたモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」プログラムの挨拶として書かれた一節ですが、正にそれを実感するような時間と空間を体験してきました。たった7名による舞台です。

フィオルディリージ/増田のり子
ドラベッラ/向野由美子
デスピーナ/九嶋香奈枝
フェルランド/渡辺康
グリエルモ/青山貴
ドン・アルフォンソ/押川浩士
ピアノ/朴令鈴

1790年1月26日、ウィーンのブルク劇場でモーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」が初演されました。晴海の第一生命ホールに「コジ」が響いたのは、その初演から230年目に当たる2020年1月26日。
モーツァルトが生まれたのは、1756年1月27日。それから224年後の1980年1月27日に、日本モーツァルト愛好会が創設されたのだそうです。ということは、今年が愛好会にとって創立40周年を意味し、本公演は愛好会創立40周年記念例会でもありました。新春を寿ぐと同時に、愛好会の40年も同時に言祝ぐことになりましょう。

私はこれまで何度か愛好会の例会に参加させていただきましたが、会のモットーである『ツウでも、ツウでなくても楽しめる会』に相応しく、会場は和気藹々とした雰囲気に包まれます。この日も700の客席が埋め尽くされるほどの盛況で、個人的に良く知る顔にいくつも出会うことが出来ました。
やや早めに晴海入りしましたが、既にホール前には開場待ちの長い列。日本人の癖として、ついつい列の最後の並んでしまいます。

手渡されたプログラムも充実したもので、18ページから成る小冊子も全て愛好会会員の手作りと思われます。「あらすじ」や作品に纏わる様々な評価が紹介されていましたが、出演者諸氏からのメッセージ「私にとってモーツァルトとは」というコーナーが秀逸。如何にモーツァルトが演奏家にとって大切な存在であるかが、改めて確認できました。
また神戸モーツァルト研究会代表の野口秀夫氏が寄せられた一文は、恐らくプロフェッショナルにとっても貴重な資料になりそう。タイトルを「コシ」と読むか「コジ」と発音すべきか、はてまた「コスィ」か「コズィ」か、から始まり、モーツァルト作品はコピーだらけという博覧強記のテーマまで、開演前の暫し、プログラムに読み入ってしまいました。

プログラムには1枚のチラシが挟まれており、出演者変更のお知らせ。フェルランド役を予定していた小堀勇介が健康上の理由で降板し、上記の渡辺康に交替する由。プログラムには小堀氏と印刷されていましたから、かなり急な交代劇だったと思われます。実際に舞台を見終わって分かりましたが、実力も経験もなければ容易ではなかったはずの代役。渡辺はスペインで同役を歌っており、見事にフェルランドを演じていました。
降板した小堀は、一昨年の日生劇場「魔笛」のモノスタトスで注目していたテノール。期待の一人でしたが、今回は止むを得ないこと。スターは、別のスターの代役から羽搏くのが音楽界の常と受け止めましょう。

事前に小芝居がある、と聞いていましたが、どうして大芝居と言ってよいほどの本格的な舞台。アリアや重唱はもちろん、レシタティーヴォもイタリア語で、字幕は舞台奥の壁面に映し出されます。
その字幕も単なる対訳ではなく、本公演の現代風アレンジに合わせたもので、オリジナルでしょう。プログラムには字幕製作者や演出家の名前は明記されていませんでしたが、恐らく出演者や愛好会有志による手作りヴァージョンだったものと想像します。
愛好会は言わばアマチュアの集まり。日本はどの分野でもそうですが、アマチュアの熱意が時にプロフェッショナルを上回るような成果を出すことがあります。それを思うと、舞台の進行中、思わず目頭が熱くなるのを感じてしまいました。

現代風アレンジと書きましたが、舞台はナポリではなく、国籍不明(もちろん日本でしょうが)のバーのような設定。バーテンダー(デスピーナ)が座るカウンターとストールが4脚という簡素な舞台。4は、もちろん二組のカップルの象徴でもあります。
登場人物の衣裳も自前なのでしょうか。フェルランドとグリエルモはゲームオタクと軍事マニアという設定で、変装後もアルバニア人ではなく、マッチョとチャラ男と読み替えられます。出演者たちがアイディアを出し合う内に興が乗り、現代の若者たちのアクションをも取り入れた結果の「コジ」と見ました。

私がこれまで生演奏で接したことがあるのは二人だけ。フィオルディリージの増田は実相寺演出のパミーナでしたし、コバケンの第9で聴いたこともあります。グリエルモの青山は日生劇場のレポレルロやパパゲーノで、また神奈川県民ホールのオランダ人で客席を沸かせた二期会のヴェテラン。
第1幕の難曲「岩のように動かず」を安定した歌唱で見事に歌い上げた増田、第2幕の「恋はくせもの」でドラベッラのキャラクターを巧みに歌った向野を筆頭に、6人の歌手たちは歌唱力はもちろん、バランスも見事で、あっという間の3時間でした。個人的には演技も抜群のデスピーナ九嶋が大収穫。オーケストラから合唱まで、一人でピアノで表現した朴も大健闘。

それにしても声楽の威力はナマで聴いてこそ。今回のようなピアノ伴奏では、却って声の力、魅力を120%楽しめることになるのでしょう。押川ドン・アルフォンゾの登場第一声から音楽のパワーに圧倒されてしまいました。
これでオーケストラと若干の合唱が入り、セットを少し付け加えれば本格的な舞台公演になるでしょう。

終演後の拍手喝采も熱烈なもので、客席も演奏会を創り出す重要な要素。私は僅かしか体験していませんが、モーツァルト愛好会としても40年間の総決算とも言える大成功だったのではないでしょうか。
改めてアマチュアとプロフェッショナルの協力が生んだ成果を満喫、過去でも未来でもない豊かな時間を体験できた空間でした。

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