神奈川フィル・第16回音楽堂シリーズ

2月22日、巷では猫の日と呼ぶのだそうですが、しっかりとマスクを着用して神奈川フィルの音楽堂定期を聴いてきました。JR京浜東北線の桜木町駅で下車、紅葉坂の急坂を昇る途中に位置する神奈川県立音楽堂で開催されている定期演奏会シリーズです。今回が16回目。
今年創立50周年を迎える神奈川フィルハーモニー管弦楽団は、創立当初はこの県立音楽堂を定期演奏会の会場にしていました。その後神奈川県民ホール、みなとみらいホールなどが次々に開場し、現在の定期演奏会(創立時から続けている定期)は全てみなとみらいホールで行われています。しかし、古巣の県立音楽堂でも定期演奏会シリーズを再開しよう、と企てたのが現常任指揮者・川瀬賢太郎。1000席強、木で囲まれた、ややデッドながら温かみのあるホールで神奈川フィルを聴く楽しみが復活したのでした。思えばこのホール、出来た当初は「東洋一」と絶賛されたことを覚えておられる方も多いでしょう。

川瀬が最初に企画したハイドン・シリーズ、私も3回ほどお邪魔しましたが、どの回もオーケストラの魅力が間近で楽しめ、極めて満足度の高い定期でした。2018年の4月からホール改修のため1年間休館され、再開したのがモーツァルト・シリーズ。そこは川瀬のこと、単にモーツァルトの名曲を並べるだけではなく、一味加えたモーツァルト・プラスであるのが好奇心をそそるところで、2019-20シーズンで私が真っ先に注目したのがこの回でした。

モーツァルト/歌劇「魔笛」序曲
細川俊夫/月夜の蓮~モーツァルトへのオマージュ
     ~休憩~
モーツァルト/ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488
 指揮/川瀬賢太郎
 ピアノ/菊池洋子
 コンサートマスター/石田泰尚

今回のプラスは、もちろん細川作品が選ばれたこと。事前に行われた指揮者によるプレトークでも、最初の話題は細川氏と川瀬氏の出会いから。川瀬が札幌のPMFで副指揮者を務めていた時に参加されたのが細川で、自身の作品の演奏に川瀬を抜擢された由。それ以来川瀬は細川作品を数多く取り上げており、先月も広島で細川のオペラ「班目」を指揮したばかりです。
神奈川フィルの音楽堂シリーズでもハイドンに細川作品が組み合わされたことがありました。その時は川瀬の師匠に当たる広上淳一の指揮で「瞑想」が取り上げられましたが、事前のプレトークでは広上・細川両氏に加え、出番のない川瀬氏が司会役として登場し、実に面白いトークを聞かせてくれたものです。

その川瀬がモーツァルトへのオマージュとして書かれた「月夜の蓮」を振り、オマージュの対象でもあるモーツァルトのイ長調ピアノ協奏曲をセットで演奏するのですから、クラシック音楽ファンなら聴かないわけにはいかないでしょ。ということで、今回の感想は細川作品から始めましょうか。

「月夜の蓮」は2006年、モーツァルト生誕250年に合わせて北ドイツ放送が4人の作曲家に新作を委嘱したものの一つ。選ばれた作曲家がモーツァルト作品のジャンルから1曲を選び、それと同じ編成で新作を書くという条件でした。初演は2006年4月7日、児玉桃のピアノ、準メルクル指揮北ドイツ放送交響楽団よって、ハンブルグで行われています。
細川が選んだのが、ピアノ協奏曲第23番。同じ編成ですから、管楽器はフルート1、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2で、オーボエが無いのが特徴。もちろんトランペットもティンパニも使われません。

ということは、演奏前のチューニングにオーボエがないということ。コンマス石田がピアノのA音を鳴らし、クラリネット主導でのチューニング。客席は、ここにも注意を払いたいものです。
ただし打楽器だけは別で、「月夜の蓮」には二人の打楽器奏者が舞台上手と下手に分かれ、様々特殊打楽器を響かせます。特に注目したいのは、第1奏者(舞台下手)が担当する仏教で用いる「リン」。これをティンパニの上に置いてそっと叩くのです(ティンパニは一切鳴らしません)。第2奏者(舞台上手)の特殊楽器は風鈴。英語では、リンは Buddhistic metal bowls と、風鈴は Japanese Windglocken と表記されています。

この二つの楽器、当日のプログラムに記載はありませんでしたし、プレトークでも触れられていませんでした。極めて静謐な響きの音楽、しかも登場するのは最後の方とあって、聴き逃し・見逃した方も多かったのじゃないでしょうか。実際にこの楽器が登場する部分では、私の周りからも微かな寝息が聞こえてきましたから、残念なことでした。
作品のタイトルから判るように、これは細川がシリーズのように書き続けている蓮の音楽の一環。これに連なるものとして、1月に鶴見のサルビアホールでクァルテット・エクセルシオが「開花」を取り上げたばかりですね。

作品の所々に日本語と英語・ドイツ語で内容を暗示する言葉が記されているのもそっくり。それを紹介すると、練習番号2で「ためらい」、4で「開花への憧れ」、9で「沈潜/泥の内で」、「泥の内から少しずつ頭をもたげる」、「月の光が、蓮に降りそそぐ」、12で「光と影」という具合です。これを先日の「開花」と比べると誠に面白く、私のエクセルシオ・レポートを参照していただければ幸いです。
更に深入りすると、作品はピアノ・ソロ、たった一つの音の弱音で開始されますが、この音はド♯。正にモーツァルト作品の第2楽章の最初の音でもあります。正にモーツァルトへの憧れを描いているのでしょう。

練習番号13からはピアノによるカデンツァ。そして19からは「夢」と題され、ピアノ協奏曲第23番第2楽章冒頭のテーマが微かに、殆ど聴き取れないほどの弱音で奏されます。モーツァルトの最初の2小節が、続いて弦の揺れ動く2小節に続いて、モーツァルトの第9・10小節の一節。この弦による揺れ動きの間、二人の打楽器奏者が僅かに響かせるのが、リンと風鈴なのです。
この息を詰めるような瞬間、正に「月夜の蓮」の神秘的な時間と言えるでしょう。川瀬/菊池のコンビは、来月13日と14日、名古屋フィルの定期でも「月夜の蓮」を取り上げますから、名古屋の皆さん、ここで眠ってしまうことのないようにお願いします。

ということで、後半は細川作品とセットで演奏することが望まれているモーツァルト。川瀬の活き活きとしたリズム感に乗って、菊池の軽やかなスタインウェイが踊ります。正にモーツァルトを演奏する喜びが弾けてくるような演奏。
第2楽章の後半は、ピチカート。これに乗るピアノのフレーズは譜面として残されているまま、最近流行の装飾音は一切付け加えられていませんでした。カデンツァもモーツァルトが書き残したもの。

温かい拍手に応え、アンコールとしてモーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスをリストがピアノ・ソロ用に編曲したものが弾かれました。リストは過去の、そして同時代の音楽を数多くピアノ独奏用にアレンジしていますが、選んだ作品の質の高さ、リストの慧眼に改めて感心します。川瀬も指揮台に腰を下ろして時間を共有していたのが如何にも川瀬らしいと感じました。

演奏会の幕開けとして魔笛の序曲が演奏されましたが、単なるオープナーではなく、誠に丁寧な演奏。トランペット、トロンボーン、ティンパニは序曲だけが出番でした。魔笛は「3」という数字がキーワードになっていますが、川瀬の指揮で聴くと、それが♭三つ、3回鳴らされる3和音のファンファーレだけに留まらないことを教えてくれます。一つのフレーズを3回繰り返して次に進む、という手順が何か所も聴き取れました。
そう言えば、メインの協奏曲も♯「3っつ」であることに気が付きます。これは冗談ですが、この日は「2が3っつ」繋がる一日でもありましたね。これ、意識して選んだのかなぁ~。だったら凄いぞ!

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