英国競馬1959(2)

一方、牝馬のクラシック第1弾の1000ギニー。こちらはプチット・エトワール Petite Etoile が優勝。馬主のアリ・カーンにとってはクラシック・ダブルを達成する快挙となりました。
現在から見ればプチット・エトワールの1000ギニー制覇に何の疑問も無いように見えますが、当時はそんなに単純な結果ではありませんでした。
プチット・エトワールはタブーン同様アガ・カーン/アリ・カーンによって生産されましたが、調教されたのはヘッド厩舎ではなく、イギリスに送られてノエル・マーレス厩舎に所属していました。
彼女は2歳時に4戦2勝。全て5ハロン戦に出走しての成績ですが、この時点でプチット・エトワールが1000ギニーに勝つと予想した人は一人としていませんでした。彼女の血統には超快速馬のレディー・ジョセフィン Lady Josephine がインブリードされており、そのスタミナには常に疑問符が付いていた為です。
明けて3歳になったプチット・エトワールは、シーズン初戦にニューマーケット競馬場のフリー・ハンディキャップを選びます。ここでトップ・ハンデを背負い、ジョージ・ムーア騎乗で人気は9対1ながら2着に3馬身差を付けて楽勝。それでも馬券ファンが彼女に注目することはありませんでした。
こうしてプチット・エトワールは1000ギニーに駒を進めましたが、アリ・カーンの主戦騎手ムーアはヘッド厩舎のパラグアナ Paraguana に騎乗することを選択します。4月にメゾン=ラフィット競馬場でアンプルーダンス賞を楽勝し、1000ギニーでは5対2の2番人気を集めていた馬です。
プチット・エトワールを管理するマーレス厩舎は4頭を出走させてきましたが、主戦騎手のレスター・ピゴットはコリリア Collyria を選びます。まだ2戦目という未知数ながら、厩舎最大の期待が掛かる良血馬です。
1000ギニーの1番人気は、前走のフレッド・ダーリング・ステークスを圧勝したロザルバ Rosalba 。アスター卿の持ち馬で、ロバート・ジョン・コーリング師がクラシック初制覇を狙う期待馬です。
ムーアでもなく、ピゴットでもなく、結局プチット・エトワールに騎乗したのはダグ・スミス騎手。4度もチャンピオンジョッキーに輝いた名手です。
レースは早目に抜け出した本命ロザルバをきっちりマークしたプチット・エトワールの末脚が爆発、2着ロザルバに1馬身差を付けて優勝、3着はパラグアナという結果でした。これで競馬ファンは、初めてプチット・エトワールの強さに目覚めたのです。
3歳牝馬の次なるクラシックはオークスですが、それでもまだファンはプチット・エトワールに半信半疑でした。そう、彼女のスタミナに大きな疑問があり、ピゴットが彼女への騎乗を決めたにも拘らず、最終的にオークスでの人気は11対2に留まっていました。
オークスで1番人気に支持されたのはカンテロ Cantelo という馬。2歳時に5戦全勝、特に1マイルのロイヤル・ロッジ・ステークス(アスコット競馬場)の優勝が高く評価されていました。
カンテロは血統から長距離向きと判断され、1000ギニーには目もくれずに、シーズン初戦にチェッシャー・オークスを選びます。これを6馬身で圧勝し、オークスでも人気を背負うことになりました。
本番のオークス、当日のエプサム競馬場は固い馬場となり、これが幸いしてかプチット・エトワールが圧勝します。
先行逃げ切りを策したカンテロをぴたりとマークし、最後の勝負所でピゴットの出したスパートの合図に応え、あっという間にカンテロを3馬身切って捨てたのです。
プチット・エトワールはこの後3戦、ロイヤル・アスコットは欠場したものの、グッドウッド競馬場のサセックス・ステークス(1マイル)、ヨーク競馬場のヨークシャー・オークス(1マイル半)、ニューマーケットのチャンピオン・ステークス(10ハロン)をいずれも楽勝します。
結局プチット・エトワールは血統面からスタミナを疑問視され、二つのクラシックでは一番人気になりませんでした。終わって見ればこれほど固い中心馬はなかったわけで、馬券ファンとしては気が付いた時は既に遅し。
血統云々と言っても、母スター・オブ・イラン Star of Iran の全兄弟ミゴリ Migoli は凱旋門賞馬ですし、父のぺティション Petition もエクリプス・ステークス(10ハロン)の覇者。バランスから考えれば、プチット・エトワールが1マイル半を克服しても何の不思議も無かったことになります。

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