ウィーン国立歌劇場アーカイヴ(37)

この感想文は長くなりそうです。長い文章は読みたくないという方は、ここで戻るボタンを押してくださいな。

ということで、ワーグナー「ニーベルングの指環」が終わった直後にアーカイヴ配信されているのが、ウェーバーの「魔弾の射手」です。この演目は5月10日にも配信されましたが、別キャストによる公演が20日から放映される予定だったため、2種類の舞台を纏めて取り上げる積りでした。
ところが今朝ストリーミングのホームページを見ると、何と10日に配信されたものと同じ日の公演が配信されているじゃありませんか。実は当初、ウィーン国立歌劇場が発表した配信予定では、20日はアクセル・コーバー指揮となっていましたが、いつの間にかトマーシュ・ネトピル指揮の公演に変更。更には配信直前になって既にオンエアされていた2018年9月11日の公演、セバスチャン・ヴァイグレ指揮のものに差し替えられたようです。

理由は想像するしかありませんが、恐らく今回のキャストにも関係があるのじゃないでしょうか。そのキャストとは、

マックス/クリストファー・ヴェントリス Christopher Ventris
カスパール/トマーシュ・コニェチュニー Tomasz Konieczny
アガーテ/アンナ・ガブラー Anna Gabler
ザミエル/ハンス・ペーター・カンマラー Hans peter Kammerer
エンヒェン/チェン・レイス Chen Reiss
オットカール侯爵/サミュエル・ハッセルホーン Samuel Hasselhorn
クーノー/クレメンス・ウンターライナー Clemens Unterreiner
隠者/フォルク・シュトラックマン Falk Struckmann
キリアン/ガブリエル・ベルムデツ Gabriel Bermudez
指揮/セバスチャン・ヴァイグレ Sebastian Weigle
演出/クリスティアン・レート Christian Rath
舞台装置/ゲーリー・マッキャン Gary McCann
照明/トーマス・ハーゼ Thomas Hase
映像/ニーナ・ダン Nina Dunn
振付/ヴェスナ・オーリック Vesna Orlic

配役の名前を見て気が付くのは、二度に亘って配信された「ニーベルングの指環」に参加していたメンバーと共通する歌手たちが多いこと。主役と言えるマックスを歌うヴェントリスは「ワルキューレ」のジークムントでしたし、重要な役所のカスパールを歌うコニェチュニーも一貫してヴォータンを歌い演じてきました。更にアガーテはフライアとして、またグートルーネとしても登場したガブラーであり、隠者を歌うシュトラックマンも昨日のハーゲンで感銘を受けたばかり。
つまり、「魔弾の射手」という作品がワーグナーに大きな影響を与えたドイツ・オペラであり、ウィーンではワーグナーこそウェーバーの後継者である、という評価になっていることと関係があるのじゃないでしょうか。アーカイヴ配信のプログラムがどのような過程で選ばれるのは判りませんが、この辺りが度重なる変更の理由だったのじゃなかろうか、と憶測する次第。

さて肝心の「魔弾の射手」ですが、序曲の後半で幕が上がり、舞台上で意味不明とも思える黙劇が始まります。これには予備知識が必要。本来、ウィーン国立歌劇場は丁度この時期に「魔弾の射手」が舞台に掛かりライブ・ストリーミングされる予定で、事前に荒筋や見所などがホームページに掲載されていました。
それを私が翻訳しておいた拙い一文がありますので、先ずはそれを紹介しましょう。

     *****

全てのオペラ作品の中で、ウェーバーの「魔弾の射手」ほど後世の評価が極端に、かつ頻繁に変わってきたオペラはありません。ある人はウェーバーを自然な民謡スタイルの創始者と見做していますし、最もドイツ的な作曲家と考えている人もいました(ワーグナー)。筋書きの中心が超自然的であるとみる人もいれば、運命や自然、特に森林が真に主導的な役割を果たしていると考える人もいました(プフィッツナー)。更に後の世代はウェーバーがフランス革命オペラの後継者であると言い、民謡を使うことでハイドンとベートーヴェンの後を継いだのだ、とも言います。こうした全ての考察とは関係なく、用語の最も広い意味でのロマン派オペラである『魔弾の射手』は、ドイツ語圏では人気があり、決定的な作品と言えるのです。

若き作曲家マックスはアガーテと結婚することになっていますが、結婚式の前にかかりきりになっているオペラを完成させなければなりません。懸命の努力にもかかわらず、彼は作品を完成することが出来ないのではないかという不安に苛まれ、仕事が捗りません。幻想と幻覚が彼を悩ませ、夢と現実の境目がぼやけて重なり合っているように思えるのでした。カスパールは、マックスが内に秘めている暗い想像力を差し出せば、作曲出来ないという状況を克服できる、と説得するのでした。カスパールの努力が、最後には報われます。先ずマックスはアガーテの世界から抜け出し、悪魔のような狼谷を探し出します。サミュエルを呼び出し、ある種の創造的な恍惚状態となって今や熱烈に追い求めている暗い想像力を手にするのでした。

アガーテは、マックスとの将来について懐疑的になっていました。エンヒェンと一緒に希望や憧れを感じますが、恐ろしい幻影も見てしまいます。しかし、周囲のプレッシャーに押されてマックスが最後の一歩を踏み出し、狼谷で手に入れた7番目のインスピレーションを使えば、奇跡が起きるのではないか、とも思えるのでした。

集合した同僚たちの前で、マックスは狼谷で時を過ごしていたことを認めてしまいます。オトカールによって課せられた罰は、マックスがオペラを作曲しなければならないという試用期間が隠者によって1年間に減じられます。マックスは再び、光明と暗黒の狭間で苦しむことになるのでした。

     *****

つまりクリスティアン・レートの演出は、いわゆる読み替え・深読み演出なのですね。マックスは猟師ではなく作曲家という設定。この演出には様々な仕掛けが施してありますので、歌詞や台詞と、実際に舞台で演じられる芝居とには噛み合わないシーンもありますので、それを頭に入れておかないと混乱することになりましょう。箇条書き風になりますが、私が気が付いた点をいくつか列記すると、

・いつも舞台にはピアノが置かれていて、楽譜も散乱している。スコアと思しきものが重要な小道具としても使われる。
・7つの魔弾は、7羽のカラスと7枚の楽譜とに象徴される。つまり7番目の魔弾とは、7つ目のインスピレーションに置き換えられる。
・クーノーの祖先の肖像画が登場しますが、描かれているのはウェーバー自身。この肖像画は第2幕のアガーテとエンヒェンの場面だけでなく、第3幕でも舞台上手にそれとなく置かれている。
・ザミエルと隠者は天上から出現する。特にザミエルは狼谷の場面で逆さ吊りで歌うだけでなく、第1幕や第3幕にも黙役として登場し、幕切れでは燃える楽譜を持って現れ、マックスとアガーテを見つめるところで幕。
・鳩、カラスなどの鳥を模した人物?たちが多数登場する。明らかに鳩はアガーテを象徴しているのでしょうが、夢にでも出てくるような赤い巨鳥が何を意味するのか?
・7時の鐘と12時の鐘が効果的に鳴らされる。7とは「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ」でもあり、真夜中の12は12音にも通ずる。この数字遊びがレート演出の原点かも?
・第3幕冒頭、原作では第2場に相当する狩人二人の噂話は、ザミエルと隠者との会話に置き換えられている。
・同じ第3幕にある有名な「狩人の合唱」は、全員がカスパールと同じ赤色のジャケットで歌う。この間にマックスにも同じ衣装が着せられ、マックスとカスパールとがそっくりな姿に。これは同一人物に内在する善と悪を意味するのか?

などなど、挙げ出したら限が無いのですが、今回の「魔弾の射手」は一度見ただけで “変なのオ~” と諦めず、マックス=作曲家という前提で繰り返し鑑賞されることをお勧めします(幸い、3日間視聴することが可能)。ワーグナーとの繋がりも含めて新しい発見があるのではないでしょうか。
アガーテのガブラーは、新国立劇場公演のアラベラを歌ったそうですし、マックスのヴェントリスもウィーン国立歌劇場来日公演で当たり役のジークムントで登場したそうですから、実際にナマで聴かれたファンの皆様にはより親しく感じられるでしょう。

ところで昨日から配信中に宣伝がある「そうだ、ウィーンに行こう」キャンペーン、前日はビリー・ジョエルでしたが、今日はフアン・ディエゴ・フローレス。何でも最初に勉強したのがベートーヴェンの「アデラーイデ」だったそうで、冒頭の一節を歌ってくれたりもします。
そろそろ外出自粛も緩和され始めたウィーンにとって、音楽は大切な観光資源。2020年のベートーヴェン・イヤー残り半年に向け、ウィーン縁の音楽家たちが総出でキャンペーンに加わるのでしょう。このあとジョシュア・ベル、ジュリアン・ラクリン、ユジャ・ワン、ヴァレンチナ・ナフォルニツァなどが続々登場すると予想されます。幕間のコマーシャルもお見逃しなく。

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