ウィーン国立歌劇場アーカイヴ(60)
昨日配信された「ドン・カルロ」はもう一組の公演と纏めて取り上げることとして、今日は22日夜(日本時間)から配信されているムソルグスキーの「ホヴァンシチーナ」を紹介しましょう。このアーカイヴは24日の夜11時まで視聴できるとのことです。
最初にお断りしておきますが、私がこのオペラ全曲を見るのも聴くのも今回が初めて。かなり以前にギャウロフが主役を歌った映像をテレビで見たような記憶がありますが、内容は全く覚えていません。
そもそもこのオペラが本格的に上演されるのは、ロシア以外では珍しいことかと思われます。ウィーン国立歌劇場ではクラウディオ・アバドが指揮した公演のDVDとCDが出ているようですが、残念ながら私は見ていません。アバド指揮のものはデータによると1989年の舞台だそうで、今回配信されている2014年11月21日の公演が同じ演出かどうかも判りません。
最初にキャストを列記すると、
イヴァン・ホヴァンスキー公(銃兵隊の指導者)/フェルッチョ・フルラネット Ferruccio Furlanetto
アンドレイ・ホヴァンスキー公(イヴァンの息子)/クリストファー・ヴェントリス Christopher Ventris
ヴァシーリー・ゴリーツィン公(皇后ソフィアの愛人)/ヘルベルト・リッパート Herbert Lippert
ドシフェイ(古儀式派の指導者)/アイン・アンガー Ain Anger
マルファ(古儀式派、アンドレイの以前の恋人で占い女)/エレーナ・マクシモヴァ Elena Maximova
フョードル・シャクロヴィートゥイ(大貴族)/アンドレイ・ドッバー Andrej Dobber
スサンナ(古儀式派の老女)/リディア・ラスコルブ Lydia Rathkolb
代書屋/ノルベルト・エルンスト Norbert Ernst
エンマ(ドイツ人でルター派の娘)/カロリーネ・ウェンボーン Caroline Wenborne
ヴァルソノフィエフ(ゴリーツィン公の腹心)/マーカス・ペルツ Marcus Pelz
クーシカ(若い銃兵隊員)/マリアン・タラバ Marian Talaba
ストレーシネフ(伝令、ピョートル1世の家臣)/ヴォルフラム・イゴール・デルントル Wolfram Igor Derntl
銃兵隊員1/ハンス・ペーター・カンマラー Hans Peter Kammerer
銃兵隊員2/イル・ホン Il Hong
ゴリーツィン公の使者/ベネディクト・コーベル Benedikt Kobel
合唱/ウィーン国立歌劇場合唱団、スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団
指揮/セミョーン・ビチュコフ Semyon Bychkov
演出/レフ・ドディン Lev Dodin
舞台及び衣装デザイン/アレクサンドル・ボロフスキー Alexander Borovskiy
照明/ダミール・イスマギロフ Damir Ismagilov
振付/ユーリ・ヴァシルコ Yuri Vasilko
登場人物に「ホヴァンシチーナ」という名前はありませんが、そもそもこのタイトルは「ホヴァンスキー事件」という意味だそうで、昔から使われているホヴァンシチーナというタイトルはそろそろ見直しても良いのじゃないでしょうか。
滅多に上演されないのには理由があって、第一にストーリーが複雑で難解。ボリス・ゴドゥノフ同様にロシアの史実に題材を取り、政治的かつ宗教的な問題がテーマになっていること。第二にはムソルグスキー本人は完成させることなく亡くなり、後世の作曲家たちが様々に改作したり編曲したりして複数の版が存在することが挙げられましょう。最初に完成させたのはリムスキー=コルサコフでしたが、結末を変更したストラヴィンスキー版、全体を見直して校訂したショスタコーヴィチ版、そのショスタコーヴィチ版を更にアレンジしたゲルギエフ版などというのも存在するそうです。
私もこの辺りの経緯は全くの素人で、今回の鑑賞に当たってはウィキペディアの記事を参照しました。この日本語版ウィキはかなり詳しいもので、初めて体験される方はこれを利用されると便利でしょう。何しろロシア史を多少は知っていないとオペラの理解は困難。加えて今回の配信では字幕が出ませんので(音声もモノラル)、何の知識もなく見てしまうと手も足も出ませんから覚悟してくださいな。
ウィキにも紹介されていますが、本来ならオペラの主役になる筈のピョートル1世も、ソフィア皇后も登場しません。当時のオペラではツァーリをオペラに直接登場させることはご法度だったそうな。
オペラは、1682年に実際に起きた反政府軍の銃兵隊(ストレルツィ Strelsky と呼ばれる)の反乱が舞台で、ツァーリの後継争いに加えてクレムリンでのロシア正教内の宗教論争も絡んでいるので話はややこしい。
ロシア正教会の改革を行う=総主教派(改革派) vs これに反発する古儀式派=保守派 という構図で、銃兵隊には古儀式派支持者が多い。最後には宗教論争に敗れた古儀式派の集団自決事件で幕切れとなるというもの。
実際の史実は長年に及んだ闘争だそうで、オペラでは皇帝も皇后も登場させられないので、シャクロヴィートゥイという貴族の立場が曖昧になっている、という難点もあるようですね。
以上を前置きとして、今回の公演は恐らくショスタコーヴィチ版を基本にしていると思われます。冒頭で演奏される有名な前奏曲「モスクワ川の夜明け」はショスタコーヴィチのオーケストレーションでした。
それでも例えば第2幕のルター派牧師の場面はカットされていましたし、最後も集団自決で終わっており、資料で見るショスタコーヴィチ版とは異なっていたようです。
ドディンという人の演出はかなり思い切ったもので、全5幕の全てで3階建ての建築工事現場のようなセットが組まれ、前後2層構造になっている。人物の出入りは全て3階建てセットが上下することで行われ、舞台袖からの出入りはありません。歌手たちは皆このセット上で余り演技することなく歌うのですが、舞台上演というより演奏会形式を発展させたような舞台だと感じました。
典型的だったのは第2幕の3公会議の場。最上階にゴリーツィン公、真ん中にイヴァン・ホヴァンスキー、最下階にはドシフェイ(実はムィシェツキー公)が3つの階に縦に並んで議論するものの纏まらない。分離された階での三重唱は、そんな不毛な論争を象徴しているのかもしれません。
この会議での大論争の後、ホヴァンスキーを歌っていたフルラネットにアクシデントが発生し、第3幕と第4幕の間にある休憩の後、その旨のアナウンスがありました。それでも何とかフルラネットは歌い切りましたが、第4幕第1場で殺害される役なので、却って苦しそうな様子が真に迫っているようにも見えましたが如何でしょうか。フルラネットは前日配信された「ドン・カルロ」のフィリッポⅡ世(2017年)では相変わらずの堂々たる歌い振りでしたから、ホヴァンスキーの事故は一時的だったのでしょう。
一概にイヴァン・ホヴァンスキーが主役とも言えないオペラで、アイン・アンガーが歌うドシフェイの役はかつてシャリアピンが歌ったという程に重要な役。アンガーは、ウィーンではローエングリン(ハインリッヒ)やラインの黄金(ファゾルト)などワーグナーを歌っていましたし、英国プロムスで演奏会形式上演されたホヴァンシチーナ(同じくビチュコフ指揮)でもドシフェイを歌っていました。
アンドレイ・ホヴァンスキーのヴェントリスもウィーンではジークムントでお馴染みですし、重要な女性役のマルファを歌うマクシモヴァも、プロコフィエフ「賭博者」でブランシュ役として注目を浴びたばかり。今回も独特な風貌とスタイルの良さで魅せてくれました。
政治と宗教がテーマですが、第3幕で銃兵隊員のクーシカが歌う「ゴシップ女の歌」はコミカルでエロチックなもの。同様に、第4幕第1場にある有名な「ペルシャ奴隷の踊り」もかなりきわどい。また第4幕第2場ではドシフェイとマルファが愛人関係であるようなシーンがありましたが、これは演出家独自の考えなのでしょうか。
この公演は全体で3時間半ほど、第1幕と第2幕の間、第3幕と第4幕の間に休憩が二度入ったようです。
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