ラトルと内田、究極のSDプログラム(オンライン)

今年のライブ・プロムス、3日目の放送を聴きました。因みに2日目はジョナサン・スコットが弾くオルガン・リサイタルで、定番のバッハ作品は一つも無く、全てオーケストラの名曲をオルガン・ソロにアレンジした作品が演奏されています。オルガン・ファンは是非ロイヤル・アルバート・ホールの大オルガンを楽しんでください。

さて8月30日に無観客で開催されたコンサートは、

8月30日
ジョヴァンニ・ガブリエリ/サクラ・シンフォニア~第7旋法と第8旋法による12声のカンツォーナ(エリック・クリース Eric Crees 版)
エルガー/序奏とアレグロ
ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第14番「月光」第1楽章
クルターク/…quasi una fantasia
ジョヴァンニ・ガブリエリ/サクラ・シンフォニア~第9旋法による12声のカンツォーナ(エリック・クリース Eric Crees 版)
アデス/Dawn(BBC委嘱・世界初演)
ヴォーン=ウイリアムス/交響曲第5番
 ロンドン交響楽団
 指揮/サー・サイモン・ラトル Sir Simon Rattle
 ピアノ/内田光子

英国域のファンは映像付きで楽しめたようですが、日本ではネット音声番組のみ。サイモン・ラトル指揮のロンドン交響楽団にピアノの内田光子が競演するという、今年のプロムスの中で最も注目される一晩でしょう。
ソーシャル・ディスタンスを意識したプログラムは日本でも様々に工夫が凝らされていますが、さすがにラトル、究極のSDプログラムと言える選曲で聴き手をアッと驚かせてくれましたね。

ラトルの着目点は、距離を単に演奏者の物理的な配置だけに求めたのではなく、作品の歴史的距離にも置いていることでしょう。冒頭に、そして後半(演奏会そのものは休憩がありませんでしたが)の幕開けにも取り上げたジョヴァンニ・ガブリエリの作品集は、1597年に出版されたもの。ヴェネツィアのサン・マルコ寺院の楽長を務めたジョヴァンニ(叔父のアンドレア・ガブリエリと共にヴェネツィア楽派を代表)は、寺院の左右にオルガンと合唱席が置かれている特殊構造を生かし、今日のステレオ感に溢れた音楽を発展させてきました。
今回演奏されたものは、クリースという人が金管アンサンブル用にアレンジした版だそうで、サン・マルコ寺院を模してアルバート・ホールの空間を一杯に使ったSD配置で吹奏されています。

ガブリエリに続いて間髪を入れず演奏されたのは、エルガーが1905年に自作のみの演奏会のために書き下ろした弦楽合奏曲。弦楽四重奏と2群の弦楽アンサンブルという、正にSDにはうってつけの音楽でしょう。
ガブリエリとエルガーには300年を超える時間的な距離が置かれています。もちろん金管と弦楽器という音色的な距離効果も考えられていることは間違いありません。

続いて内田光子登場。ベートーヴェンとクルターク作品が休みなく続けられましたが、ここにも仕掛けが施されています。
クルタークの作品は、題名から想像できるように、ベートーヴェンの月光ソナタに根拠があり、「幻想曲風に」という同じタイトルを持つ一種のピアノ協奏曲。タイトルだけではなく、クルターク作品もまた作品27-2という番号が与えられているのですね。ベートーヴェンのソナタは1801年作、クルタークは1987年から1988年にかけて作曲されていますから、200年弱の距離が置かれています。

因みに、クルターク作品はピアノ協奏曲と言ってもピアノはオーケストラの一員として書かれており、内田がオーケストラ・プレイヤーとして演奏するのは今回がデビューなのだそうです。もちろんチューニングのために「A」を鳴らしたのも初めてでしょう。

再度ガブリエリの金管によるファンファーレ風な響きが無観客のホールに響き、正にこの日のために作曲されたトーマス・アデスの新曲が世界初演されました。
演奏前にアデスへのインタヴューが流されましたが、作品のタイトル「夜明け」が何を意味するかは自ずと理解できるでしょう。短い作品ですが、一貫して3拍子で書かれているようで、言わばパッサカリア。感動的なクライマックスの後、ラトルが「トム!」と呼びかけて作曲者を称賛する声も聞き取れました。

最後はフル・オーケストラによるヴォーン=ウイリアムスの第5交響曲。1943年の作品ですから時間的な距離は然程ではありませんが、国難の時期に作曲されているという意味で、アデスの新作と共通するところがあります。ロイヤル・アルバート・ホールで初演された、という共通項もありましょう。
更に愚見を付け加えれば、第5交響曲はハッキリ「ニ長調交響曲」と表記されていますが、実際にスコアに♯2つのニ長調が明記されているのは第4楽章のみ。この楽章がパッサカリアであることも、当然ながらアデスの頭の中にあったものと想像できます。困難の中にも希望を見出す2つの作品。ヴォーン=ウイリアムス作品が自身の歌劇「天路歴程」の素材を多く用いている、ということも暗示的ではないでしょうか?

それにしてもサイモン・ラトル、ベルリン・フィルを辞してからの活躍は目を瞠るばかり。世の中が落ち着いたら、ロンドン響の来日公演を聴くもよし、ロンドンに出掛けて満喫するも良し、希望を繋ぐプロムスでした。

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