クァルテット・エクセルシオ第39回東京定期演奏会
昨日の日曜日、久し振りに上野に行ってきました。その様変わりに些か面食らった次第。出掛けたのは東京文化会館でクァルテット・エクセルシオの東京定期を聴くためですが、思えば丁度1年振りの上野となります。6月の第38回定期は漸くコロナ自粛が緩和されようとしていた頃、主催者側は何とか開催を模索していましたが、最終的には中止に踏み切らざるを得ませんでした。
同じプログラム(モーツァルトのK590、バルトーク3番、ベートーヴェンの作品132)による札幌定期はギリギリで開催可能となり、7月1日に Kitara の小ホールで無事に開催。それが北海道では演奏会再開の皮切りとなり、大手マスコミでも取り上げられていましたっけ。東京から態々札幌まで聴きに出かけた猛者たちが少なからずいた、という噂も耳にしています。
ということで、エクの東京定期は去年の秋以来。京浜東北線に乗って上野を目指します。先ず溜息が出たのは、品川を出て高輪ゲートウェイという新駅に電車が止まったこと。この駅が開業したというニュースは知っていましたが、ここに停車する電車に乗ったのは初めてでした。それだけ東京方面に出掛ける機会が無かったことに改めて愕然としたワケ。
次いで面食らったのは、上野駅。ホームから階段を上って公園口で降りるはずが、改札口が無い。というか、この改札は改築するのか廃止するのか、少し鶯谷方面に移動していました。いつもなら文化会館前の信号で交差点を渡ってホールに向かうのですが、少し大回りするような感じで新公園口で降りる。しかも改札から上野公園には一直線で、信号を渡る必要はありません。いきなり目の前に公園が広がってるんですねェ~。
浦島太郎の気持ちになって聴いてきたのは、
ハイドン/弦楽四重奏曲第33番ト短調作品20-3
ラヴェル/弦楽四重奏曲ヘ長調
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽五重奏曲ハ長調作品29
クァルテット・エクセルシオ
ヴィオラ/柳瀬省太
暫く指定席だった東京定期でしたが、今回はコロナ感染対策の徹底ということで自由席に戻っています。自由席ということは良い席を求めて入場待ちの列が出来ること必至。3密を避けるために列が長くなることが想像できたので、良い席は最初から諦めて開場時間に到着するように時間を見て小ホールに入りました。チラシには連絡先を申告する用紙が挟まれていて、座った席を記入する仕組み。チケット半券はクラスター発生が無かったことを確認するまで保管しておくように、という指示。如何にも日本ならではの周知徹底ぶりだと感じ入ってしまいましたね。
オーケストラの演奏会とは違い、予定されていた曲目が変更されることが無いのが室内楽。大編成の弦楽四重奏なんて存在しませんからね。しかし今回はヴィオラを1本増加した大編成の弦楽五重奏曲がメイン。エクとは何度も共演している柳瀬省太がゲストです。
冒頭に置かれたハイドンは、このところエクが取り組んでいる作品20の中からト短調の第3番。プログラム誌によると、作品20の6曲では最後に残った1曲とのこと。初めて取り組むハイドン作品を楽しみました。
最初に出版された楽譜に太陽の絵が描かれていたから、という何とも単純な理由で全体を「太陽四重奏曲集」と呼ばれる作品20ですが、ハイドンは既に40歳になっていた言わば円熟期の作品。ハイドンが付けた名称は4声のディヴェルティメントですが、形は既に現在の弦楽四重奏曲として確立されたもの。この第3番は疾風怒濤を象徴するような短調で書かれ、特に第1楽章の Allegro con spirito が作品の性格を表していると言えるでしょう。
エクの演奏は奇を衒わず、正攻法。特に第3楽章の幻想的な曲想を丁寧に弾き、崇高な表情さえ感じさせてくれたのが大きな収穫でした。
続いてはガラリと趣を変えたラヴェル。私個人の中でエクのラヴェルは定評あるもので、確か蓼科のむさし庵、今は無い津田ホールでも聴いた記憶があります。特に蓼科では蝉時雨が時折聞こえてくる環境で、4つの楽章が同じ風景の春夏秋冬にも感じられたことを思い出します。
今回は新セカンド北見春菜のリクエストということもあり、定期では2002年以来だったとのこと。大友チェロによれば、ベートーヴェンを例外として、定期で一度演奏した曲はこれまで被らないようにしてきたとのこと。今回のラヴェルを含め2巡目となる曲がちらほら入ってきているということは、それだけエクの活動が歴史を重ね、熟成の度を加えているということの証でもありましょう。
そしてメインは五重奏。ゲストの柳瀬は舞台上手、向かって一番右側に座ってファースト・ヴィオラを担当。中央にチェロが位置しますから、左右対称のシンメトリーを形成し、両端にファーストが座る典型的な対向配置でもあります。
弦楽五重奏曲は作品18とラズモフスキー・セットの間に書かれたもので、正式な弦楽五重奏曲としてはベートーヴェン唯一のもの。名曲ではあるものの演奏機会は決して多くなく、やはり生誕250年記念の年の定期ならではの選曲と言えるでしょう。私もナマで接するのは、多分初めてかな?
ベートーヴェン特有の推進力、コン・ブリオの性格は無いものの、ベートーヴェンならではの歌謡性、美しいメロディーが散りばめられているのが魅力。その意味で、第2楽章 Adagio molto espressivo が最も印象的に聴こえました。
そして奇抜な第4楽章 presto 。プレストとは言いながら8分の6拍子の中に突如4分の2拍子のマーチが入り込んだり、3拍子の民謡風な楽節が飛び出したり(初めイ長調で、次は主調のハ長調で)と、ベートーヴェンとしてはかなり遊んでいる印象。ハイドンがディヴェルティメントと表記しながらも本格的な弦楽四重奏だったのに対し、ベートーヴェンは弦楽五重奏曲というしかつめらしいタイトルを付けながらもディヴェルティメント風に遊ぶ。ハイドンとベートーヴェンを対置させることで、プログラムの多様性を狙ったエクならではの選曲なのか、と改めて勘繰ってしまいました。
折角の五重奏、アンコールもベートーヴェンの弦楽五重奏のためのフーガニ長調作品137というもの。作品番号が137というのは出版社の都合のようで、実際はセリオーソと作品127の間の時期に当たる1817年の作品。僅か83小節の短いもので、恐らくベートーヴェンが後期の作品群に結実するフーガの技法を試していた名残なのではないか、と聴きました。
珍しいデザートが付いた盛り沢山な定期演奏会。このプログラムは11月13日に京都でも披露されますが、私共は遠征してもう一度聴く予定。京都の感想は遠慮しますが、2粒で4度くらい楽しめそうな定期です。
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