読売日響・第604回定期演奏会

新型コロナの感染拡大が続く中、日本のオーケストラ界も今年最後の月、12月定期が開催されつつあります。赤坂のサントリーホールを会場とする読響の12月定期は、何と言っても第10代常任指揮者セバスティアン・ヴァイグレが久し振りに来日を果たしたのが話題。恐らく東京中のクラシック・ファンが集ったのではないかと思えるほどの盛況でした。
それでも定期会員の中にも流行病を恐れて二の足を踏む方も多く、満席にはならなかったようです。ヴァイグレのブルックナーは聴きたいけれど、コロナに感染するのはもっと怖い。この不安感はいつ解消されるのでしょうか。

12月定期の曲目は、久方振りに予定されていたままのプログラム。但し予定されていたソリスト、キット・アームストロングは海外渡航規制の為に来日出来ず、日本の新鋭ピアニスト、岡田奏(おかだ・かな)に替わりました。

モーツァルト/ピアノ協奏曲第25番ハ長調K503
     ~休憩~
ブルックナー/交響曲第6番イ長調
 指揮/セバスティアン・ヴァイグレ
 ピアノ/岡田奏
 コンサートマスター/長原幸太

聴衆からの熱い視線が舞台に注がれる中、白く大きな衣装を纏った岡田に続いてヴァイグレが姿を見せると、いつも以上に大きな拍手が二人を迎えます。待っていたぞヴァイグレ、そんな期待が籠められた拍手と感じたのは私だけでしょうか。
ヴァイグレは11月中旬に日本に到着し、14日間の待機生活を経て、1年3か月振りに待望の読響の指揮台に立ったのです。インタヴューに答えた記事によると、「母国ドイツは感染拡大によって文化全体が隔離状態にある。政府が音楽や文化を気楽な娯楽の一つに数えてしまった」由。その点、「勇気を持って劇場やコンサートを続けている日本は素晴らしい」と評価。隔離中のホテルでは、日が次第に暮れていくのを美しいと感じながら窓の外を眺めていたそうな。そこまでして来日したマエストロの気概を聞き、どうしても拍手に力が入ってしまいました。

今回は代役となった岡田は、北海道函館市生まれ。8歳でリサイタル・デビューしたという逸材で、15歳で渡仏し、パリ国立高等音楽院を最優秀で卒業。ヨーロッパを中心に活躍されてきた方。読響とは2019年5月以来2度目の共演だそうですが、私は今回初めて接しました。
ヴァイグレ率いる読響の豪華にして引き締まったサポートに乗って奏でる岡田のスタインウェイは、プロフィールに紹介されていた通り瑞々しい感性と多彩な表現力で聴き手を魅了していきます。

ハ長調協奏曲はフルート1、オーボエ2、ファゴット2の木管と、ホルン2、トランペット2、ティンパニを動員する祝典的な性格の強い作品。第1楽章にだけカデンツァが入りますが、そのカデンツァもモーツァルト自作のものは残されていません。いろいろな録音を聴くとソリスト自身が自作したものを弾くケースが多いようですが、岡田が弾いたやや長めのカデンツァは誰の作なんでしょう。プログラムには一切触れられていません。
個人的にはアンダンテの第2楽章、ソロと木管、ホルンの掛け合いが素晴らしく、モーツァルトの管楽器の扱いの見事さに改めて溜息が出てしまいました。
活き活きとしたリズムが弾ける第3楽章ロンドが堂々と締め括られると、岡田は指揮者とオーケストラが素晴らしい、というジェスチャーで自らも拍手。ヴァイグレも、いや素晴らしいのはあなただ、という微笑ましい対応で答えます。

メインのブルックナーについてヴァイグレは、「祈りや愛する気持ちが溢れている作品。ユーモアも兼ね備えていて、本当に素晴らしい曲。第2楽章の美しさは格別。」と語っていたとのこと。第6交響曲はこの秋、本来なら東京交響楽団も定期演奏会でジョナサン・ノットが指揮する予定でしたし、来年は広上淳一が日本フィル定期で挑戦することにもなっています。
私がこの作品を初めてナマで聴いたのは、忘れもしないN響定期で岩城宏之が取り上げた時。当時ブルックナーでは4番や7番がなどの何曲かが知られているだけで、未だ6番は極めて珍しい部類でした。岩城氏も、有名な曲はドイツの巨匠に任せ、6番なら自分が指揮する余地があるのじゃないか、などと語っていたことを思い出します。

それを裏付けているのがレコード・カタログ。私が初めてブルックナーの名前を知ったのはレコード藝術誌で、「ブルックナーの交響曲は如何に聴くべきか」という記事でした。実際1950年頃の事典を見ると、全曲録音があったのは第4・5・7・8・9の5曲で、第1・2・3はスケルツォのみ、第6交響曲の欄には「録音無し」という注意書きがあるのみです。
私の記憶では、第6交響曲の世界初録音はヘンリー・スヴォボダ指揮ウィーン交響楽団によるウエストミンスター盤だったと思います。それから間もない頃に聴いたのが岩城指揮N響の第6でしたっけ。

あれから半世紀、今や1シーズンに複数のオーケストラが取り上げるようになった第6交響曲に感慨も一入。今回はソーシャル・ディスタンスを保持するため、指揮台の回りを広く取ることにより弦楽器は大幅に減らしての演奏となりました。1階席では確かな人数は確認できませんでしたが、恐らく弦は12-10-8-6-4だったと思います。通常の読響なら16型で演奏するはずで、弦楽器に関しては相当に不利な状態でのブルックナーだったと言わざるを得ません。
それでも弦楽器の音量に不足感が無かったのはさすがに読響。もちろん金管のパワーは相変わらずで、圧倒的なブラスの咆哮を背にしても、弦楽器は負けていませんでしたね。もちろんヴァイグレはそれを百も承知で、強弱の段階にきめ細かい配慮を加えていたのが、その指揮振りからも明らかでした。事前に語っていたように、第2楽章の祈りの音楽は今回の白眉でしょう。特に第2主題の深々とした表現にブルックナー音楽の真髄を見る思いでした。

演奏後の長い沈黙。やがて起きた割れんばかりの拍手にも、ヴァイグレは暫くオーケストラのメンバーに感謝の意を表し、楽員たちも微動だにしません。
そこからのカーテンコールは、私が体験した中でも最も感動的だったものの一つ。客席のスタンディング・オヴェーションと、何度も歓呼に応えるマエストロの感謝に満ちた姿。隔離期間を厭わず来日したヴァイグレにとっても、音楽の持つ力を確信した瞬間だったのじゃないでしょうか。

このあと我が首席指揮者は年末の第9を振り、そのまま留まって日本のクリスマス・年末・正月を体験し、1月定期を含めて3種類のプログラムを指揮するはず。今回の来日で読売日本交響楽団との絆がより堅固なものとなることに期待しましょう。

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