読売日響・定期聴きどころ~09年3月

続いて3月定期はベートーヴェンの大曲、ミサ・ソレムニス1曲だけ。一曲だけなら聴きどころも簡単だろう、と思われるかもしれませんが、事はそう単純ではありませぬ。

実は私はこの作品に一種のトラウマがありまして、余程聴きどころは止めようと思ったほど。
私が通った高校は一般の私学で、音楽専門校でも何でもありません。ですが教養課程で受講した「音楽」の先生が極めて厳しい人。ある学年では来る週も来る週もベートーヴェンのミサ・ソレムニスを聴かせ(カラヤン指揮フィルハーモニア盤)、レポートを何度も書かせた挙句に期末試験もミサだけ。

この体験が、暫くの間ミサ・ソレムニスに対する嫌悪感を増幅してしまったのです。さすがに今となっては懐かしい思い出にしか過ぎませんが、イザ聴くとなれば構えてしまうのはこの体験故。

ですから何とか聴きどころを書きますが、偏見に満ちた内容になるに違いありません。あれこれ穿鑿しないように・・・。

という前置きで、日本初演はこれです。

1928年12月22日 奏楽堂 S.ラウトルップ指揮・東京音楽学校、ソプラノ/立松ふさ、ソプラノ/黒沢真子、アルト/斎藤静子、テノール/木下保、テノール/薗田誠一、バス/徳山、バス/沢崎定之

何故アルト以外は独唱者が二人なのかは不明です。これは音楽の友社刊「ベートーヴェン」に掲載されているデータです。

この曲の編成は、独唱が4人、ソプラノ、アルト、テノール、バスと混声四部合唱。それにオーケストラが、

フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、オルガン、弦5部。

トロンボーンが使われていますが、バロック時代はこの楽器は教会専用の楽器でしたから、ベートーヴェンはここでは堂々と使っているのも聴きどころです。

「ミサ・ソレムニス」はミサ通常文に付けられ、キリエ-グローリア-クレド-サンクトゥス-アニュス・デイ の5楽章からなっていますから、もちろん教会で演奏することも可能です。
しかしミサ作曲の切っ掛けから判断しても、これは教会というよりはコンサートホールで演奏する方が相応しい作品であることは事実でしょう。

もう一点、ベートーヴェンの宗教観。これについてはよく判らないようですが、キリスト教世界に育った人間として、「神」に対しては普通に信仰心があったと思われます。
しかし「キリスト」に対しては些か一般の人とは違っていたようです。何しろ国王とすれ違った時には王に道を譲らせたり、王に謙ったゲーテを悪く言ったりした人。キリストに慈悲を請うたとしても、実現しなければキリストの喉下を締め上げてしまう位の気概があったようです。

ですから、Christ という語句に対しては3度(3度音程や3度進行)を用いて、キリストの肩に腕を回し、“やぁ~、キリスト。元気か!”と言わんばかりの馴れ馴れしさが感じられます。

以上の前提を踏まえての「ミサ・ソレムニス」、ベートーヴェンならではという箇所にスポットを当てることで聴きどころに代えたいと思います。

まず問題は調性でしょう。
スクロヴァチエフスキは名曲シリーズで♭系の作品を並べましたが、これは♯系の音楽。神の栄光を讃えるのに相応しく輝かしい二長調が主調ですね。♯二つ。
この♯二つは、そのまま短調にすればロ短調です。ロ短調と言えばバッハの高ミサ。ベートーヴェンはこれを意識したのではないでしょうか。

最初のキリエは、キリエ・エレイソン Kyrie eleison -クリステ・エレイソン Christe eleison -キリエ・エレイソン Kyrie eleison の三部形式です。
この「3」という数字が三位一体に通ずるように、夫々が父(神)・子(キリスト)・精霊に準えて構成されているのが特徴でしょう。
即ち単なるA・B・Aの三部形式ではなく、二度目のキリエ・エレイソンは最初のキリエの変奏曲として作曲されています。これが如何にもベートーヴェン。

グローリアは「神への賛歌」、堂々たる二長調です。
ここで全体の構成を先取りすると、ミサの核心は続く「クレド」でしょう。ここは♭二つの変ロ長調で書かれています。次の「サンクトゥス」で再び調は二長調に回帰しますので、グローリア・クレド・サンクトゥスは調的感覚で言えばアーチ型を形成していることになります。
これは偶然ではなく、ベートーヴェンが意識して構成したと考えてよいと思います。この中心3楽章をそういう意識で聴かれることをお勧めしておきましょう。

さてグローリア。この楽章自体も三部形式で書かれています。言うまでもなく、三位一体。
第一部に相当するグローリア・インエクセルシス Gloria in excelsis は「神」への讃歌。注目したいのは、少し先に出るラウダムス・テ Laudamus te 、べネディシムス・テ benedicimus te 、アドラムス・テ adoramus te の連呼です。
ラウダムス(讃え)、べネディシムス(祝し)が ff で歌われるのに対し、アドラムス(礼拝し)がガクンと pp に落とされて歌われること。同じことが二度繰り返されます。

グローリア第一部の絶頂、パーテル・オムニポテンス Pater omnipotens で初めてトロンボーンが登場し、fff が響き渡ります。この直後に Jesu Christe という文言が出ますが、ここは3度。

グローリアの第二部はクイ・トーリス Qui tollis から。ここは言うまでもなく「キリスト」讃歌です。
第二部の最後、ミゼレレ・ノービス miserere nobis の文言の前に、独唱者には O, が、合唱団には ah, が添えられているのは通常文にはないこと。ベートーヴェンが敢えて付け加えた感嘆符であることを聴き逃さないように。

クオーニアム・トゥー Qouniam tu から始まるグローリア第三部は、「神」と「キリスト」讃の合体と言えるもの。最後には大フーガが沸き起こって、長大なグローリア楽章を閉じます。

こんな調子で書いていると何時まで経っても終わりませんから、後は簡潔にポイントだけ。

「クレド」は全曲の中心。これもまた三部形式で構成されています。全体は「信仰」を謳う楽章ですが、第一部は神への信仰。第二部(エト・インカルナトゥス et incarnatus から)はキリストへの信仰、第三部(クレド・インスピリトゥム Credo in Spiritum から)は精霊と教会への信仰が歌われます。教会を讃えるだけあって、終始トロンボーンが活躍するのも聴きどころ。

ベートーヴェンの「サンクトゥス」は、いきなり「聖なるかな」と絶叫するのでなく、暫くは夢見心地の音楽に先導されるのが特徴。讃歌はプレニ・スント Pleni sunt からです。
小フーガによるホザンナに続いて「実体変化の音楽」という不思議な器楽曲が置かれているのも珍しいところ。
この後、有名なヴァイオリン・ソロが美しく天上から降りてきます。光が降りる、即ち「光臨」。
サンクトゥスは二長調には戻らず、ト長調で終えます。

「アニュス・デイ」はバッハの調であるロ短調から始まります。これがドナ・ノービス・パーチェム dona nobis pacem で二長調に転調するところは感動的。
ベートーヴェンはこの楽章で「平和」を祈願しますが、それは「心の平和」だけでなく「地上の平和」をも祈っているところがベートーヴェンとその時代を思わせるところですね。
即ち、中ほどで戦争を表すような激しい音楽が鳴らされるのです。ナポレオン戦争に明け暮れた当時のウィーン。現実の平和祈願はベートーヴェンにとっても、当時の市民にとっても切実な問題だったのです。

この平和は「ミサ・ソレムニス」の中では成就しません。ベートーヴェンの心の平和は、第9交響曲のアダージョまで待たなければならないのです。

ベートーヴェンの時代から200年、地上の平和は未だに達成されていません。“パーチェム”と叫ばなければならない現実は、現代でも共通の課題でしょう。
心してベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」に耳を傾けたいと思います。

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