読売日響・定期聴きどころ~08年10月
10月定期は下野竜也の指揮、ヒンデミット・プログラムの2回目です。曲目はシンフォニア・セレーナと「愛する人々へのレクイエム」の二本立て。下野がプロデュースするヒンデミット・シリーズ、去年の第1回はヌシュ・ヌシ舞曲と画家マチス交響曲というヒンデミットの名声が上り坂だった時の作品でしたが、今回は共にヒンデミットがアメリカに渡ってからの作品です。
アメリカ時代のヒンデミットは、“もはや何の問題意識もない、ただ演奏者に音楽する喜びを与える朗々と快く響く音楽になり切った”(柴田南雄/西洋音楽史4)という評価がなされてきました。果たしてそうか、そこを皆様の耳で確かめてもらうのが最大の聴きどころでしょう。
個々の曲の聴きどころに入る前に、ヒンデミットの音楽史上の位置を再確認しておきましょうか。
ドイツ音楽は、19世紀末から第一次世界大戦直前にかけ、爛熟の極みに達していました。戦争が終わった1918年から第二次世界大戦の終結まで、いわゆる両大戦間はロマン派音楽への反動から、反ロマン主義、特に反ワーグナー的傾向の音楽が主流になります。その一つに新即物主義と呼ばれる一派がありました。ヒンデミットはクルト・ワイルと並んでその代表的存在です。
そもそも「新即物主義」という文言は美術用語から転用されたものです。美術における新即物主義は、ル・コルビジェやグロピウスなどが代表。音楽について言えば、明るく極めて運動的な音楽、演奏家気質の充満した音楽という定義になりましょうか。ワーグナーとは対極の世界です。
ヒンデミットの音楽をもう一つ別の視点で捉えると、彼はブラームスからレーガーに受け継がれた系譜の継承者でもあります。3人とも北ドイツ系のプロテスタントの音楽家で、南ドイツやオーストリアのカトリック圏の音楽家と対立していました。こちらはリスト、ワーグナー、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、シェーンベルクに代表されます。上記「西洋音楽史4」の中で柴田氏は、プロテスタント・コラールの伝統に属する作曲家は全体として調性世界から脱却できず、一方のグレゴリアン・チャントの伝統を受け継いだ作曲家が調性に対して自由で、遂には無調に至ったのとは全ての点で対照的、と論じているのは非常に興味深い指摘です。
更にヒンデミットは職人的な経歴から出発した作曲家であるということを忘れてはなりません。フランクフルト歌劇場のヴァイオリニストからスタートし、アマール弦楽四重奏団のヴィオラ奏者、指揮者としての活動(バイロイト音楽祭での第9交響曲の指揮、ウィーンフィル初来日の時の指揮者等々)と、演奏現場で経歴を重ねています。
更には、教育者として作曲技法を体系化した「作曲の手引き」などの著作活動での実践から、“調性的な拘束のない音集団を発見することは不可能” とし、反十二音的立場に立って調性音楽を支持しました。時に不協和音を多用しても、それはあくまでも「拡大された調性」の範囲内でした。彼の作品は、新音楽とも実用音楽とも呼ばれ、“音楽は社会生活の必需品”と断定しています。
ヒンデミットは反面でピアノを打楽器的に扱う打楽器主義や、新しい楽器(トラウトニウム)にも興味を示す機械主義にも分類される作曲家です。ヒンデミットは「アンファン・テリーブル」から出発し、最後はアヴァン・ギャルドの作曲家たちから「超保守的」とまで言われた人。歌劇「画家マチス」を頂点とし、ナチによる追放以後、作品は次第に折衷主義に堕していったというのが一般的評価でしょう。
以上を前置きとして、定期の演奏曲目に移りましょう。
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さて最初のシンフォニア・セレーナ。日本初演と特定は出来ませんが、プロのオーケストラ定期初登場はこれです。
1983年2月23日 NHKホール ホルスト・シュタイン指揮NHK交響楽団第894回定期演奏会。これは翌日も演奏されました。
またこれとは別に第2楽章のみを、同曲の原曲であるベートーヴェンの行進曲と並べて演奏されたこともあります。同じN響をヘルベルト・ブロムシュテットが指揮した回。1996年のN響ベートーヴェン・チクルスの一環でした。
続いてオーケストラ編成。
ピッコロ、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バス・クラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン2、チューバ、ティンパニ、打楽器4人、チェレスタ、弦5部です。打楽器は、トライアングル、タンバリン、グロッケンシュピール、小太鼓、シンバル、大太鼓、ウッドブロック2。
弦楽合奏については特別な指示があるのですが、それは個々の解説で。
冒頭でも紹介したように、戦後直ぐのアメリカ時代の作品。ダラス交響楽団からの委嘱により作曲、1947年2月1日と2日にアンタル・ドラティの指揮で初演されました。
全体は4楽章。アメリカを意識してか、速度表記などは全て英語で書かれています。演奏時間は、スコアによれば25分ほど。
第1楽章は Moderately fast 。中庸な速さで、ということでしょうか。この楽章の聴きどころは何といっても中程、練習記号「O」から。二つのウッドブロックと大太鼓の打ち出すリズムに乗って、第2主題に相当する付点音符を含むメロディーが様々な木管楽器に受け渡されていく箇所でしょう。ややエキゾチックな響きが楽しいところです。
この楽章は、去年聴いた交響曲「画家マチス」の最後を連想させるように、堂々たる和音のフェルマータで終了します。
第2楽章は Rather fast 。タイトルが付いていて、「ベートーヴェンによる速い行進曲」。副題もあって、「管楽器のみによるパラフレーズ」。タイトルの通り、ベートーヴェンの作曲した行進曲を自由に変奏していく音楽です。
ベートーヴェンの原曲は、行進曲へ長調「ボヘミア国防軍のための」 WoO 18 というもの。1809年の作品です。木管と金管の掛け合いで進行しますが、ベートーヴェンのテーマは金管楽器が受け持ちます。
リズムに注目して下さい。ベートーヴェンというより、ヨハン・シュトラウス父の「ラデツキー行進曲」に似ていると思いませんか?
中程からチェレスタが加わり、更に後半にはティンパニ、グロッケンシュピール、小太鼓も参加、ラストはシンバルの一発とトライアングルのトリルも登場します。
副題の「管楽器のみ」という看板には偽りありですが、固いことは言いますまい。
第3楽章は一転、弦楽器のみの音楽です。このように、一つの作品の中で弦楽器のみの楽章と管楽器のみの楽章を対比させるものに、ヴォーン=ウィリアムスの第8交響曲がありますよね。シンフォニア・セレーナも、こうした事例の代表作と申せましょう。
その弦楽器のみによる楽章は Quiet 。これもタイトルがあって、「対話」。英語の Colloquy ですが、討論という意味に取った方が相応しいかも知れません。副題は、「二部に分かれた弦楽オーケストラ」。
オーケストラ編成の紹介で触れたように、いろいろ仕掛けのある面白い楽章ですから集中して聴いて下さいね。
まず構成。第1グループが弓(arco)で静かな音楽を奏でます。36小節。続いてオーケストラの中のソロ・ヴァイオリンと、舞台裏左側に置かれたソロ・ヴァイオリンが、同じパッセージをエコーのように演奏します。一種のレシタティーヴォと看做せばよろしい。
これが終わると、弦の第2グループがピチカートでスケルツァンドを始めるのです。まるでシュトラウス兄弟のピチカート・ポルカのよう。これは72小節。
これにも後奏があって、今度はオーケストラの中のソロ・ヴィオラと舞台裏右側のソロ・ヴィオラの対話。これもエコーです。
そしていよいよ結論。ここでは第1グループ(弓)と第2グループ(ピチカート)が同時に、先ほどと同じ音楽を演奏するのですね。速いピチカートはゆっくりの弓の2倍の速さ。従って、72小節と36小節はピッタリ重なるという仕掛け。最後に2小節のオマケが付きますがね。
どうです、面白いでしょ。漫然と音だけ聴いていても決して判る仕掛けじゃないんですが、スコアを詮索して初めて発見すること。普通の解説書(この曲の解説自体がほとんどありませんけど)には出てこない、読響ファンだけにコッソリ教えるスペシャル聴きどころです。
第4楽章・フィナーレは Gay 。最初と最後にファンファーレ風の「額縁」が賑やかに演奏されます。主部は、高い音から低い音まで駆け回る主題が中心。これが「管弦楽のための協奏曲」風に、様々な楽器のソロで出てきます。
汽車が止まるように音楽の流れがスローダウン、弦とピッコロ・フルートが晴朗な(セレーナ)響きに収斂した後、速いコーダに突入します。
ヴァイオリンとヴィオラに乗ってピッコロが鳥の囀りを模倣し、最後は陽気な(Gay)ファンファーレで一気に幕。
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続いて大作「愛する人々へのレクイエム」。
様々な表記があるようですが、三省堂のクラシック音楽作品名辞典によれば、「前庭に最後にライラックが咲いたとき」-愛する人びとへのレクイエム、ということになっています。
作品の概要はプログラムをご覧下さい。アメリカの詩人、ウォルト・ホイットマンの詩集「草の葉」からリンカーン大統領の暗殺に関する詩の一部を採用し、1945年のルーズヴェルト大統領の死と第2次世界大戦の犠牲者への哀悼を籠めて作曲したものです。
テキストはもちろん英語。原作をレクイエム用に編纂したのはチャールズ・ヤコブス Charles Jacobs という方です。世界初演は1946年5月5日、ニューヨーク・シティー・センターで行われました。
これに続くヨーロッパ初演は1948年9月26日、ペルージア(イタリア中央部)で作曲者自身の指揮で行われました。合唱を受け持ったのはウィーンのジングアカデミー。このときはヒンデミット自身のドイツ語訳が使用され、ヒンデミット全集版のスコアには、英語とドイツ語が併記されているのです。
今回はオリジナルの英語版による演奏のようです。
冒頭にも書きましたが、ヒンデミットと同じ北ドイツ・プロテスタントの先輩作曲家ブラームスがレクイエムを書くに際してカトリックの典礼文に拠らずドイツ語でドイツ・レクイエムを作曲したように、ヒンデミットもまたレクイエムを亡命先の言語である英語で作曲したことに、何か通ずる部分があるように感ずるのは私だけでしょうか。
日本初演と思しき記録は、
1988年6月7日 東京文化会館 若杉弘指揮東京都交響楽団第273回定期演奏会。メゾ・ソプラノは伊原直子、バリトンが勝部太、合唱が都響創立20周年記念合唱団です。この合唱団についてはいろいろ曰くがあるのですが、それには触れません。
メゾ・ソプラノ、バリトンのソロと混声四部合唱の他の管弦楽編成は、
ピッコロ、フルート、オーボエ、イングリッシュホルン、クラリネット、バス・クラリネット、ファゴット、コントラファゴット、ホルン3、トランペット2、トロンボーン2、チューバ、ティンパニ、打楽器3人、オルガン、弦5部、他に舞台裏で軍隊ラッパが吹かれます。打楽器は、大太鼓、チャイム、シンバル、グロッケンシュピール、ゴング、パレード・ドラム、スネア・ドラム、トライアングルです。(楽器名の表記は、スコアの扉に書かれたもの)
楽器の種類は多いのですが、編成としてはさほど大きなものではありません。主要な木管楽器は全て1本づつ。変則的2管編成と言えましょうか。
聴きどころを探す前に、まず作品の構成を紹介しておきましょう。管弦楽のみによる前奏曲と11曲の内訳は、
オーケストラのための前奏曲
1.When lilacs (バリトンと合唱)
2.アリオーソ In the swamp (メゾ・ソプラノ)
3.行進曲 Over the breast of the spring (合唱とバリトン)
4.O western orb (バリトンと合唱)
5.アリオーソ Sing on, there in the swamp (メゾ・ソプラノ)
6.歌 O how shall I warble (バリトンと合唱)
7.序奏とフーガ Lo! body and soul! (合唱)
8.Sing on! you gray-brown bird (メゾ・ソプラノとバリトン)
9.死のキャロル Come, lovely and soothing Death (合唱)
10.To the tally of my soul (バリトンと合唱)
11.フィナーレ Passing the visions (バリトン、メゾ・ソプラノと合唱)
途中に態々一行あけたのは、パウゼが入る箇所。例えば第1曲から第3曲まではアタッカで続けて演奏するように指示があるのです。全部で12曲の構成ですが、前奏曲と5つの部分からなるレクイエムとして聴かれると、全体の構図がより明確になるのではないでしょうか。
私はこの作品をナマで聴くのは初めてですし、ホイットマンの詩の内容も難解なものです。曲目解説や聴きどころは、むしろ私が教えて欲しいくらい。しかし適当な資料も見当たらず、プログラムも未だ手元にありませんので、スコアとCDとで何とかでっち上げました。多少の参考になれば幸せです。
前奏曲はバスクラリネット、ファゴット、コントラファゴット、ティンパニ、大太鼓、オルガン、コントラバスの低い嬰ハの持続音で開始。この音が54小節間鳴り続け、レクイエムの主調が嬰ハ調であることが提示されることにまず注目しましょう。
第1部と目されるのは、第1曲から第3曲まで。
第1曲の冒頭でバリトン・ソロが歌い出す歌詞、これが作品のタイトルになった「前庭に最後のライラックが咲くとき」 When lilacs last in the door-yard bloom’d です。バリトンと合唱が、春は「三位一体」をもたらすと告げ、ライラックと星に関する詩が歌われます。
第2曲はメゾ・ソプラノ・ソロによるアリオーゾ。鳥についての歌です。メゾ・ソプラノが常に鳥について歌っていることにも注目。
一般の訳詩ではただ「小鳥」となっています。しかし、隠者(hermit)とか、ツグミ(thrush)という単語が使われていますから、恐らくアメリカに棲息するチャイロコツグミ(hermit thrush)のことではないかと思われます。何分にも私は鳥類学には不案内なので、憶測に過ぎません。詳しい方のフォローをお願いします。
第3曲はバリトンと合唱による行進曲。ゆったりとした2拍子の行進曲ですが、所々に3拍子が挟まれる構造になっています。「柩の行進」です。バリトンが、柩にライラックを捧げる、と悲痛な嘆きを歌います。
続いて第2部に相当する第4曲と第5曲。
第4曲は、バリトンと合唱による星についての歌。合唱の出番はごく僅かで、ほとんどバリトン・ソロの楽章。
第5曲では、メゾ・ソプラノのソロだけが歌う二度目のアリオーソ。これも星と鳥についての歌です。僅かに16小節の楽章ですが、極めてゆっくりとした音楽。木管楽器の後打ち付点リズムが特徴です。弦楽器はほとんど室内楽。
第3部にあたる第6曲と第7曲が、このレクイエムの中心と考えて良いかと思われます。
第6曲はバリトンと合唱による墓の歌。
そして第7曲、合唱による長大なフーガに入ります。歌詞にはマンハッタン、オハイオ、ミズーリなどの地名も使われ、いわばヒンデミットのアメリカ讃歌でもありましょう。
ここで一旦小休止に入るのが一般的な演奏スタイルと思われます。
第4部の第8曲と第9曲も極めて重い内容を持っています。
第8曲では合唱は休み、メゾ・ソプラノとバリトンのソロだけで進められます。メゾは引き続き鳥を歌い、バリトンはレシタティーヴォで人々の生活を謳い上げます。
ここで弦楽合奏のみが「愛する人々のための讃歌」 hymn,“For those we love”をひっそりと奏でます。僅かに8小節ですが、作品の副題となっている重要なテーマ。レクイエムの核と考えられる箇所ですから、どうか聴き逃さないように。
讃歌の最後に被さるようにバリトンが「死」について歌い、オーケストラが ff で讃歌を唱和。ここから音楽は冒頭に回帰し、メゾ・ソプラノとバリトンの二重唱に入ります。メゾ・ソプラノはソロと同じ歌を繰り返し、バリトンも鳥の歌で寄り添っていくのです。
第9曲は合唱のみによる、正に「死のキャロル」。全ての人にやがては訪れる「死」の頌歌でもありましょう。前半はコラール、後半は速い3拍子の音楽で構成されています。
最後を構成する第10曲と第11曲。
第10曲はバリトンと合唱が再び小鳥と兵士たちの死について歌っていきます。序奏に続き、二度目の行進曲。
特に最後、兵士の死に関する箇所では、舞台裏から軍隊ラッパが響いてくるのに耳を澄ませましょう。ド・ミ・ソだけで構成されるシンプルなメロディー(ソーソドー、ソードミー、ドーミソー、ミードーソー、ソーソドー)、これは帰営ラッパでしょうか?
終曲は、主にバリトン・ソロが歌う“幻影が過ぎ去り”に始まります。やがて音楽は With Melancholy に変わり、愛する死者を想う歌を支えるホルン・ソロとフルート・ソロが美しく響きます。
そして結末。合唱が、“Lilac and star and bird”と三つの重要なキーワードを確認し、メゾ・ソプラノとバリトンの二重唱が冒頭の詞“When lilacs last in the door-yard bloom’d”を重ねて、1時間を超えるレクイエムを閉じるのです。
最後の和音、主調である嬰ハと、同時に嬰トが鳴らされます。つまり空虚5度。長調であるか短調であるかを巧みにぼかした終結に籠められた意味は・・・?
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