今日の1枚(69)

暖かかったのも一日だけ、今日はまた冬の寒さに戻ってしまいました。関西は天気が悪くても暖かいようですが、この所の東京は気温が10度を下回る日ばかり、三寒四温ならぬ六寒一温です。

昨日はブルックナーの第1交響曲、消化不良の感が残りましたので、もう一日この曲と付き合います。当のスクロヴァチェフスキで口直しをしましょう。
手元にあるのはアルテ・ノヴァの全集セット。その3枚目に収められているブルックナーの交響曲第1番です。現在はエームズ・クラシックスというレーベルから出ているはずですが、同じものでしょう。
アルテ・ノヴァのセット、74321 85290-2 というもの。スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団の演奏。
(このオーケストラは政府からの資金援助がカットされ、他のオーケストラと合併して今や存在しないようです)

1995年6月13~18日、ザールブリュッケンのコングレスザールでのディジタル・ステレオ録音。
エクゼキュティヴ・プロデューサーが Dieter Oehms 、レコーディング・プロデューサーが Thomas Raisig 、エンジニアは Erich Heigold とクレジットされています。
録音・演奏とも遥かにアバド/ウィーンのデッカ録音を上回っています。
弦の配置はアメリカ式。ブックレットに掲載されている演奏中の写真(ピアノ協奏曲のリハーサルのようです)でも確認できます。

録音は極めて自然なもので、何の小細工も施していません。この全集は曲によってライヴ収録と思しきものも混在しますが、これはスタジオ録音でしょう。
演奏は真に素晴らしいもの。もちろんザールブリュッケンはウィーン・フィルのようなヴィルトゥオーゾ・オケではありませんが、良い演奏には必ずしも名人オケは必要ない、という生きた証拠。
昔誰かが言った“悪いオーケストラなど無い。悪い指揮者がいるだけだ”という言葉を思い出します。
ブルックナーの第1にはオーケストレーション上でバランスの悪い箇所がいくつかありますが、アバド/ウィーンがミキシング・ルームでエンジニアが調節しているのに対し、ここではスクロヴァチェフスキのオーケストラ・コントロールによって実際の演奏で見事なバランスを築き上げていることが一目瞭然。

ここでもリンツ稿(恐らくハース版。この曲ではハースとノヴァークにほとんど違いは無いと思います)を使用していますが、スクロヴァチェフスキならではの変更箇所がいくつもあります。全部書き出すわけには行きませんが、いくつか拾い出すと、
アバド盤でも触れた第1楽章のチェロ「ソロ」。58小節は斉奏、134小節は多分ソロ(他の楽器が被るので良く聴き取れません)、325小節はソロと、場所によって解釈を変えています。
第1楽章123小節目のティンパニをカットしているのは、次の126小節と整合を取っているためでしょうか。
第3楽章の73~78小節までの6小節間、ブルックナーは弦にアクセントを書き込んでいますが、スクロヴァチェフスキは73小節だけを実行して残り5小節はアクセントを無視します。その替わり、ブルックナーの指示が無い79と81小節にアクセントを置くのです。
もしかするとウィーン稿の指示かと思いましたが、ウィーン稿もリンツ稿と同じ。恐らくスクロヴァチェフスキ独自の解釈と考えてよいでしょう。
第4楽章も名人芸の連続ですが、圧巻は最後、364小節~366小節にかけて聴き取り難いオーボエの音型にトランペットを重ねてハッキリ旋律線を浮き上がらせていること。
以上に指摘した箇所は、スコアを虫眼鏡で見なければ判らないような加筆・減筆ですが、結果としてアバド盤では聴こえてこないような音が随所に聴かれます。ブルックナーが書いた音符を聴こえるように整える。これがミスターSの意図でしょう。オーケストラの非力などは全く問題になりません。
スクロヴァチェフスキとアバド、両者の実力差は決定的。

参照楽譜
ブライトコプフ&ヘルテル Nr.3616(リンツ稿、ハース版)

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