読売日響・第512回名曲シリーズ

3月はスクロヴァチェフスキ月間です。常任指揮者の契約を1年延長したマエストロ、来日のたびに3種類のプログラムを準備し、真に考え抜かれた選曲で楽しませてくれるのです。全てのプログラムを、その意味も考えながら聴くのが聴衆の義務というもの。この日は、
ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲
モーツァルト/ピアノ協奏曲第27番K595
     ~休憩~
ブルックナー/交響曲第1番
 指揮/スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
 ピアノ/アンヌ・ケフェレック
 コンサートマスター/小森谷巧
 フォアシュピーラー/舘市正克
このプログラムを見て思い当たるのは、全て♭系の調を主調とした音楽。しかし聴いてみて、それだけではないことに思い当たります。
それは、一言で言えば、「室内楽的アプローチ」。
冒頭のブラームスは大変な名演奏。私はこの作品が大好きで、“もし無人島に一曲だけ持っていくとしたら・・・”という質問があれば、間違いなくこの曲を候補の筆頭に上げるかもしれません。
それだけに中々優れた演奏を聴く機会がありません。演奏者自身が本当に愛情を持って作品に接しないと、正体がバレてしまう恐さがあります。
その意味で私が体験したハイドン変奏曲では、スイトナー/N響の名演と双璧だったと思います。
オーケストラのバランスの絶妙なこと、あたかも室内交響曲を演奏しているように全てのパートが浮き立つ。
次のモーツァルトでは編成を大幅に落とします。コントラバスは首席の星秀樹ただ一人。これをベースに、チェロが1プルト、ヴィオラ2プルト、第2ヴァイオリンは3プルト、第1ヴァイオリン4プルトという構成。
その結果、「ピアノ協奏曲」というよりも内容は完全な室内楽。それは室内楽「風」の演奏というレヴェルを遥かに超えていました。
ピアノとオーケストラのバランス、オーケストラ内の管と弦のバランス。モーツァルトが書き付けた音符の全てが透けて見えるような透明感と静謐な響き。これぞスクロヴァチェフスキが目指した世界でしょう。
ピアノのケフェレックも恐らくスクロヴァチェフスキのアプローチに寄り添ったのでしょう、これがスタインウェイかと疑いたくなるほどに暖かく、インティメートなモーツァルトを紡ぎます。
K595の協奏曲は、モーツァルトが最後に到達した透徹の世界。それまでの協奏曲とは別のものと考えなければなりません。そのことをケフェレックとスクロヴァチェフスキは見事に音にして聴かせてくれました。
メインのブルックナー。これも基本的な姿勢は前半2曲と同じでしょう。もちろんオーケストラの音量は飛躍的に大きくなりますが、スクロヴァチェフスキはブルックナーが書いた音符を尽く聴き手の耳に届けようとするのです。
良い例として第4楽章の第1主題を挙げましょうか。もしここをブルックナーが書いたように全て強音で塗りつぶしてしまえば、旋律のラインが覆い隠されてしまうのです。
マエストロは楽器間のバランスを微妙にコントロールすることによって、ブルックナーが「言わんとした事」を聴こえるように手助けする。
第1楽章のチェロ・ソロの扱い、フィナーレでのトランペット加筆なども、その「読み」の結果でしょう。
スケルツォ後半の弦のアクセントは、スクロヴァチェフスキの独自な解釈。マエストロ自身の手になるパート譜を持ち込んでの演奏であったことは間違いないと思います。
スクロヴァチェフスキの室内楽的アプローチが最も成果を上げていたのは、言うまでもなく第2楽章のアダージョ。
これほど見事なブルックナー初期交響曲を聴けるのは、恐らくスクロヴァチェフスキと読売日響の組み合わせだけでしょう。オーケストラのレヴェルを含めて、今やウィーンでもベルリンでも聴けないブルックナーと言うべきか。

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