クァルテット・エクセルシオのベートーヴェン弦楽四重奏全曲チクルス(1)
2017年4月に開館した浦安音楽ホール、ベートーヴェン生誕250年を記念する年にホール主催で開催するベートーヴェン弦楽四重奏全曲チクルスがスタートしました。当初の予定では9月16日に開幕するはずでしたが、コロナ禍に伴い一部の日程が先送り。昨日10月14日に無事に開幕を迎えたものです。
もちろん全曲演奏を任されたのは、同ホールのレジデンシャルアーティストを務めるクァルテット・エクセルシオ。本来なら日本だけでなく世界各地で予定されていたベートーヴェン・チクルスですが、何と無事に開催できるのは、ここ浦安ぐらいのものじゃないでしょうか。その意味でも室内楽ファン、クラシック音楽愛好家にとって聴き逃せない連続演奏会であることは間違いないでしょう。その初日は、以下の3曲が取り上げられました。
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第11番へ短調作品95「セリオーソ」
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第9番ハ長調作品59-3「ラズモフスキー第3番」
~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第12番変ホ長調作品127
クァルテット・エクセルシオにとって、ベートーヴェンは活動の中核を成す作曲家。一般的には彼らにとって二度目の全曲演奏会と承知されるでしょう。その最初の機会は、毎年(確か2011年からでしたっけ)サントリーホールで6月に開催されているチェンバー・ミュージック・ガーデンでのこと。この音楽祭(と言って良いでしょう)はベートーヴェンの弦楽四重奏全曲演奏会が目玉企画で、世界の錚々たるクァルテットが挑戦してきました。
クァルテット・エクセルシオが任されたのは、2016年。その年までサントリーホール室内楽アカデミーのコーチング・ファカルティー(現セカンドの北見春奈もアカデミー受講生だった)を務めてきた活動の集大成としての全曲チクルスでした。
しかしエク(クァルテット・エクセルシオの愛称)にとってベートーヴェンは、言ってみれば主食。その全曲演奏、実はサントリーホールが初めてではありません。2016年のチクルスに先立って、大友チェロの本拠地である千葉県・長柄町のゴーシュ音楽院で4月に試演会の意味も込め、サントリーと同じプログラムで全曲演奏会を試みていました。それが現在の長柄の春・室内楽の和・音楽祭に繋がることになります。
そのほか彼らの定期演奏会も、毎回ベートーヴェンを取り上げることでスタートしたものですし、並行して行われているCDのための録音も、ベートーヴェン解釈を練り上げるうえで重要なステップだったはず。その全曲CDは、つい先日、目出度くこの浦安音楽ホールで収録が完了したやに聞いています。
そうした諸々を数え上げれば、期間は様々ながら少なくとも5回目を数えるのが、浦安音楽ホールでのベートーヴェン弦楽四重奏全曲チクルスということになるでしょう。
ベートーヴェン全曲と言えば、ファンにとってはそのプログラム構成が注目点。2016年のサイクルは、全5回に初期・中期・後期の作品を鏤め、更に各回ごとに調性や音程関係を考慮しつつバランスよく配置したもの。たとえ1回だけ聴いたとしても、ベートーヴェンの弦楽四重奏世界を凝縮して楽しめるように配慮されたものでした。
今回は、最終回となる第5回にベートーヴェンの最高傑作と言われる作品131と作品132を並べて締め括りとし、その前の第4回には初期の作品18を2回に分けて6曲全曲を紹介する。残る第1回から第3回までは、中期と残る後期作品を組み合わせるという形で、夫々にラズモフスキーの3曲を配置することになっています。当初9月に予定されていた第1回が後にずれ込むことにはなりましたが、その変更は全体の企画に影響を及ぼすことにはならなかったようです。
従って今回のチクルスは、2016年とは異なり、最初から5夜を通して鑑賞することが前提となる全曲演奏会と言えるのじゃないでしょうか。そしてもう一つ、サントリーが短期集中型だったのに対し、今回は10月・12月、そして年を越して2021年1月・2月・3月に至るロングラン。必ずしもベートーヴェンの記念イヤーには拘らない、というのも特徴でしょう。
その構想は、会場で手にしたプログラム誌にも反映されていて、冒頭に音楽ジャーナリスト渡辺和氏の「はじめから難しかった楽譜たち」と題する長大なエッセイが掲載されています。何と6ページにも亘る力作で、序章と5つの章から成る、まるで後期の弦楽四重奏曲のような構図。とても演奏前の30分で読み切れるものではありません。内容は、ベートーヴェンの生涯と弦楽四重奏曲との関りを掘り下げたもの。永久保存版になること間違いなし。
続いては各回の曲目解説が続き、肩の凝らない読み物として「エク、ベートーヴェンを語る」という座談形式の、いわばエク語録が添えられています。これは過去にエクが定期などで取り上げた際にプログラムに掲載されていたコメントの採録ですが、途中でセカンドが交替したこともあり、新たに語り起こしたものもあるようですね。
中々本題に入れませんが、今回のチクルスは、各回毎に公開リハーサルが行われるのも興味深いところで、今回の第1回については10月14日に「リハーサル及び実況中継」という前代未聞のスタイルで公開されました。
私もこれに参加しましたが、エクは普段通りのリハーサルをしている。それをプログラムも書かれた渡辺和氏と、ヴァイオリン奏者の高橋渚氏が横で見ながら実況、解説を加えるというもの。テレビで放映されている将棋の実況中継の弦楽四重奏版と思えばよろしい。高橋渚は、エクのセカンドが交替する狭間で、長柄音楽祭でセカンドを代演した経験があり、いわば隠れセカンドでもあります。
初めての企画で立案者には不安があったようですが、これ、実に面白かった。このリハーサルでは、時間も限られているのでセリオーソと作品127の夫々第1楽章冒頭が取り上げられました。
その一例を紹介すると、プログラム「エク、ベートーヴェンを語る」のセリオーソで大友が語る「難しいのは、楽譜に書いてあることを、ちょっと読み替えないといけない。書いていない方法がある。」という箇所。会場(浦安音楽ホール4階のハーモニーホール)にはスクリーンにスコアが映し出され、セリオーソ冒頭でエクのメンバーたちが弾いては止め、止めては弾きながら侃々諤々の議論。それに渡辺氏が突っ込みを入れ、高橋氏がエクとの共演体験を交えながら解説をしていく、というもの。公開リハーサルの日程と参加方法については、浦安音楽ホールのホームページを見てください。また、このリハーサルのダイジェスト映像がユーチューブでも配信されています。クァルテット・エクセルシオで検索し、チャンネル登録しておくと便利ですよ。
ということで前置きが長くなり過ぎました。待ち望んだファンたち、演奏会の座席制限が解除されて新たにチケットを入手できたラッキーな聴衆も交えて、セリオーソの「怒ったアレグロ」でチクルスの幕が切って落とされました。
以下、細部については省略。全体的な印象を記しておくと、今回のチクルスは、3つの余裕に支えられ、エクのベートーヴェン表現は更に大きさを加えているように感じました。
3つの余裕とは、第1にこれまでの経験の積み重ね。冒頭で紹介したように、彼らはこれまで何度もベートーヴェン弦楽四重奏全曲を演奏してきました。晴れの舞台もあり、スタジオでの孤独な作業もあったでしょう。その度に、今回の公開リハーサルで展開されてきた4人の間の意思疎通があったはず。その数えきれない切磋琢磨が演奏に反映されているのは、間違いありますまい。
余裕の第2は、チクルスの日程。2016年が短期集中だったのに対し、今回は6月間でチクルスを弾き通す。もちろん一気に演奏するのはそれなりに意義はありますが、回ごとに間隔があくということは、1曲づつ丹念に仕上げるという利点がありましょう。それは鑑賞する側も同じ。怒涛のようにベートーヴェンに浸かる快感がある一方で、1曲づつジックリ味わうには、今回の方が余裕を感じることが出来ましよう。
第3は、ホール。ここは天井が高く、周囲の壁は木製。しかも壁の向こうが階段などの空間になっている構造のお陰で、壁際で聴いても煩わしい反射音が無いのが特徴。その余裕ある音響空間が、弾き手にとっても聴き手にとっても一つのゆとりとなって作用しているはずです。
豊かな気持ち、先の見通しが良い環境で始まったクァルテット・エクセルシオのベートーヴェン弦楽四重奏全曲チクルス。もちろん私は同一座席で聴き通す予定ですし、各回もなるべく簡潔にレポートしていく積りです。
次回は12月16日(プログラムには11月16日とありますが、これは誤植です)、公開リハーサルは12月4日、演奏曲目は第10番「ハープ」、第8番「ラズモ第2」、作品135の3曲。
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