読売日響・第480回定期演奏会

昨日は読売日響の第46シーズン最後の定期演奏会を聴いてきました。大作、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」です。
ベートーヴェン/荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)二長調作品123
 指揮/スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
 ソプラノ/インドラ・トーマス
 アルト/シャルロット・ヘルカント
 テノール/ロイ・コーネリアス・スミス
 バス/ジェームズ・ラザフォード
 合唱/新国立劇場合唱団(合唱指揮/三澤洋史)
 コンサートマスター/藤原浜雄
 フォアシュピーラー/鈴木理恵子
このところの定期は曲目の所為でしょうか空席が目立つ会が多いのですが、さすがに今日はほぼ満席に近い入り。P席を合唱団が占拠していたためだけではないでしょう。欠席常習犯席を除いて完売だったと思います。
期待通り、実に面白いミサ・ソレムニスでした。スクロヴァチェフスキの合唱大作というのはこれまであまり聴いた記憶がありませんので、その意味でも興味深いコンサートです。
スクロヴァ氏自身あまり演奏機会が無いのか、今日は譜面台にスコアを置いての指揮でした。
冒頭のキリエ、ミスターSにしてはゆったりしたテンポで、特に第2部のクリステ・エレイソンは、あれっ、という感じ。
ところが、ほとんどアタッカで突入したグローリアの速かったこと。よくあんな速度に付いていくと思うほどですが、さすがはオケと合唱団。スクロヴァチェフスキのドライヴに食い下がります。
この快速が極限に達したのがクレドの第3部、終わりに近いアレグロ・コン・モート、“また来世の生命を信ずる”に入ってから。今年86歳を迎えるスクロヴァ翁の、来世を信ずる祈りだったのでしょうか。
ヴィオラの弦が切れたり、指揮棒を落とす事故があったのもこの箇所でしたね。
演奏という意味で、スクロヴァチェフスキの目が最も輝いたのが続くサンクトゥスでしょう。実体変化の不思議な音楽の後、合唱団に座って歌うことを指示するのです。再び彼らが立ち上がるのは、オザンナの応唱に入ってから。
ミスターSの細やかなオーケストラ・ドライヴが光ります。
それは最後のアニュス・デイも同じ。前半のロ短調の痛切な祈りを三度繰り返すのですが、繰り返す度に表情を変え、音楽はより豊かに響いていくのでした。
そしてドナ・ノービスへの流れ込みの素晴らしさ。
ここでも三度繰り返される戦争の音楽が、その終焉を願わずにはいられないほどに劇的に進行していきます。意外なほどに簡潔なパーチェムの連呼。
音楽が終わり盛大な拍手が起きましたが、私のこの日の不満は、盛んに飛び交うブラヴォーの連呼。これは全く作品に相応しくない。
最近の読響の聴衆は何かと言うと “ブラヴォー、ブラヴァー、ブラヴィー” 感動の表現であることは理解できますが、物事にはTPOというものがあるでしょ。冷やかにお義理の拍手だけというのも感心しませんが、これでは“過ぎたるは、なお、及ばざるが如し”。
ミスターSも閉口したのか、いつもより早くコンサートマスターの手を引いて退場。サッサとお開きにしていましたっけ。
折角の感動にも水を差された気持ちで会場を後にしました。

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