フェスタサマーミューザ2021・東京交響楽団(フィナーレ)
7月22日に開幕したフェスタサマーミューザ2021、8月9日に無事に閉幕を迎えました。いくつかの公演で出演者の変更はあったものの、全日程が予定通り開催されたことを喜びましょう。
興味が無いので気が付かなかったのですが、折しも東京オリンピックが行われていて、こちらは7月23日開幕・8月8日閉幕。何と川崎のフェスが一日早く始まり、一日長く開かれていたのですから驚くじゃありませんか。オリンピックより長い。
会場のミューザ川崎シンフォニーホールは、東京交響楽団の本拠地。フェスのオープニングとフィナーレはいつも東響が務めることに決まっています。7月30日からは英国の音楽の祭典・BBCプロムスが始まりましたが、こちらはBBC交響楽団がホスト。東京交響楽団は、プロムスのファースト・ナイトとラスト・ナイトを受け持つ(それだけじゃありませんが)BBC響と同じ立場と思えばよろしい。
今年のフェスタサマーミューザ、フィナーレは東響の正指揮者に就任した原田慶太楼の晴れ舞台で、如何にも彼らしいプログラムを組んできました。
ヴェルディ/歌劇「アイーダ」から凱旋行進曲とバレエ音楽
かわさき=ドレイク・ミュージックアンサンブル/かわさき組曲
~休憩~
アダムス/アブソリュート・ジェスト
吉松隆/交響曲第2番「地球(テラ)にて」(2002年改訂版)
東京交響楽団
指揮/原田慶太楼
弦楽四重奏/カルテット・アマービレ
コンサートマスター/水谷晃
プレトークでも開口一番、“ボクはプログラムの選曲に拘るんです”。様々な仕掛けが張り巡らされているようですが、ここでは詳しく書きません。今年のフェスも配信が行われていて、この日の模様もアーカイブ配信で見ることが出来ますから、気になる方はそちらをご覧ください。
プログラムにも記されていましたが、冒頭のヴェルディは今年が没後120年のメモリアル・イヤーであり、アイーダの初演から150年目に当たる節目の年であることからの選曲。また、このアイーダをベースにし、障害のある人を支援する英国の音楽団体ドレイク・ミュージックと川崎市、ブリティッシュ・カウンシル、東京交響楽団が協働するプロジェクトの集大成として演奏されるのが、前半の2曲目となる「かわさき組曲」でもあります。
本来ならこのプロジェクトに参加した生徒たちも演奏に加わるという企画だったようですが、現在のコロナ感染事情から叶わず、今回は客席での鑑賞となりました。
出来上がった作品は色分けされた4曲から成り、12ページから成る特別仕様の小冊子も配られました。演奏前には活動の記録がビデオとして放映され、演奏後には会場から暖かい拍手が送られます。一言で言えば、音楽におけるバリアフリー。これからは、音楽界にもこうした新しい流れが生まれていくことでしょう。
後半は現代音楽が2曲選ばれましたが、これもまた音楽界の新しい流れを象徴するような作品。少し前までの「ゲンダイオンガク」と言えば調性を否定し、メロディーも無い世界でしたが、ジョン・アダムスも吉松隆も、これまでの現代音楽を大きく揺り戻してきた作曲家。
プレトークでは、カルテット・アマービレを代表してチェロの笹沼樹がアダムス作品を語り、続いて吉松隆も自作について語りました。プログラムにも特別寄稿の形で、吉松が自作を紹介しています。
アダムスのアブソリュート・ジェストは、弦楽四重奏と管弦楽のための協奏曲のような作品。どうしても音量的にバランスを取ることが難しく、四重奏の4人はアンプで機械的に音量を増幅する装置を付けて演奏します。
これは今回だけの特別な処理ではなく、アダムス自身がスコアに推奨、という形で指示しているもの。実際に体験した印象では、音楽は機械的に増幅したようには聴こえず、アンプによる補助は最小限に抑えていたのかもしれません。音響バランスの優れたこのホールでは、作曲者の推奨を無視しても演奏可能では、と思えたほどでした。
笹沼と原田のプレトークで、偶々ですがこの作品の中に「アマービレ amabile」という表情記号があると指摘がありました。何処だろうとスコアを見ると、確かに238小節目の弦楽四重奏のパートに amabile と書かれています。
ところでアダムス作品の多くはブージー・アンド・ホークス社から出版されていますが、ブージーには「Online Score」というサービスがあり、会員登録(無料です)するだけでスコアを閲覧できます。アダムス作品の多くが自由に閲覧できるので、家のパソコンで楽譜を見ながら音楽を聴く習慣がある方にはお勧め。アブソリュート・ジェストにはベートーヴェン作品、特に後期の弦楽四重奏曲からの引用がいくつも出てきますが、実際に音で聴くよりスコアを目で見て楽しむ方が楽しい、という側面もあるようです。
この珍しい機会に挑戦したカルテット・アマービレ、拍手に応えてベートーヴェンの作品135から第2楽章ヴィヴァーチェをアンコールしたのは当然でしょう。何しろこの楽章からの引用が最も目立って聴こえてくるのですから。
この日のメイン、そして今年のフェス最後を飾るのが、吉松隆の第2交響曲。これもプレトークで知ったのですが、この作品の一部が今年のオリンピック開会式で使用された由。原田はトークで「知らなかった」と言っていましたが、噓でしょ、オリンピックで話題になるからフェスタでも取り上げて大いに盛り上げようと目論んだに違いない、と。
ところが、どうやら原田君は本当に知らなかったみたい。流石に吉松氏は演奏許可が必要だったはずで知っていたようですが、ご本人はテレビ観戦していたものの肝心なところで寝てしまい、後で録画で見た、と告白していました。この辺りのやり取りもアーカイブ配信で確認しましょう。
「At Terra」という副題が付いた第2交響曲がオリンピックでも、フェスタサマーミューザでも選ばれたのは、作品が地球の東西南北の四幅からなる音の壁画で、全体がレクイエムとして書かれているからに他ならないでしょう。多くの命を奪った災厄を克服した証、として演奏するに相応しい大作。
正確な日時は忘れてしまいましたが、私は以前、この交響曲を藤岡幸夫指揮日本フィルの定期で聴いたことがあります。定期初日が面白かったので、翌日も前売り券の列に並んで連日体験したものでした。
従って、今回は3度目。前回のプログラムを手元に残しておらず、記憶も薄れてしまいましたので、あの時聴いたのはオリジナルの1991年版だったのか、それとも2002年に第2楽章として「北」が加わった改訂版だったのか。
いずれにしても初体験で気に入り、当時出版されていた全音楽譜のスコアを入手、更に藤岡が英国のオーケストラと録音したCDもゲットして時々楽しんできました。手元のあるCDも楽譜もオリジナルの3楽章版。4楽章から成る2002年版を体験したのは、今回が初めてかも知れません。
新たに書き加えられた第2楽章は、多分8分の6拍子を基本とするスケルツォ楽章。第3楽章「西」がヨーロッパ風ミサ曲の形式を模した緩徐楽章の性格を持つことから、改訂によって4楽章制の交響曲としての構成がより明確になったと言えそうです。
第4楽章「南」は、冒頭からマリンバとシロフォンが同じリズムを最後まで延々と叩き続け、次第にクレッシェンドして大きなクライマックスを作り上げる構図。恐らくこの楽章の後半がオリンピックに使用されたものと思われます。大音量が鳴り響いてもビクともしないミューザ川崎シンフォニーホール。フェスタは大きな感動の裡に大団円を迎えました。
鳴り止まない拍手が、2階正面最前列に陣取った吉松隆を讃えるところで一際大きくホールに満ち溢れます。
私は1階席で聴いていたのですが、振り返って吉松氏を見上げると、恰幅の良い白髪が、マスク越しで良くは見えないけれど、にこやかに聴衆に応える様子。これってもしや、最晩年のブラームスがウィーン楽友協会で聴衆の歓呼に答えた光景に似ているのじゃないか。ふと、そう思いましたね。後世の記録で歴史的瞬間、と書かれるかもしれない。
ということで2021年のフェスは終了しましたが、全公演が8月一杯アーカイブ配信で楽しめます。ナマでは聴けなかった公演を楽しむも良し、あのプレトークをもう一度聞いて確認したい。
特にオープニングでノットが指揮した「パリのアメリカ人」が、今まで聴き慣れた演奏とは違って少し長かったのは何故なのか、神奈川フィルの公演で鈴木秀美が指揮した新発見のドヴォルザークの新鮮な演奏、曲名が判らなかったアンコールは何だったのか等々、これからゆっくりとチェックしていこうと思います。
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