読売日響・第613回定期演奏会

2021年も残すところあと2週間チョッと、クリスマス飾りに縁どられたサントリーホールで読響定期を聴いてきました。個人的には今年最後のサントリーでもあります。
ところで読響12月定期は二転三転、最終的には指揮者とソリストに加え、曲目の一部が変更されて無事に開催されました。

この演奏会、本来は常任指揮者セバスチャン・ヴァイグレが6月に続いて指揮台に立ち、ピアノの名手キリル・ゲルシュタインとの共演でチャイコフスキーの名曲ピアノ協奏曲第1番、それも原典版で演奏する予定でした。パンデミックの中でもヴァイグレは度々来日し、読響ファンを喜ばせてくれていましたから、今回も熱演を期待していたものです。
ところが一月ほど前でしたか、読響から案内が届き、ヴァイグレとゲルシュタインは共に政府の入国制限などにより来日出来ないとのこと。指揮者はアルメニア出身でピアニストでもあるヴァハン・マルディロシアンが読響に初登場し、ソリストはこの秋、ショパン・コンクールで4位に入賞して大きな話題になっている小林愛実が登場、皆が待ち望んでいるショパンの第1番を弾くという。この知らせを聞いてガッカリした人も多かったでしょうが、逆に慌ててチケットを買い求めたファンも少なからずおられたでしょう。理由は説明するまでもありませんよね。

それが10日ほど前でしたか、再び通知が届き、今度は政府による新型コロナウィルス感染症のオミクロン株に対する水際対策の強化により、マルディロシアンも来日出来ないのだそうな。確かに変異株への警戒は理解できますが、いろいろな意味で鎖国政策には疑問もあります。そんなわけで、三転した結果は指揮者が高関健に替り、公演そのものは中止することなく開催。但し、キャンセルや払い戻しには応じられません。
ということで、実際に演奏されたのは以下の内容でした。

モーツァルト/歌劇「イドメネオ」序曲
ショパン/ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11
     ~休憩~
プロコフィエフ/交響曲第5番変ロ長調作品100
 指揮/高関健
 ピアノ/小林愛実
 コンサートマスター/小森谷巧

以上のような経過ですから、これは高関が提示したプログラムじゃありません。この2年間で海外の演奏家の来日中止、指揮者と演奏曲目の変更は日常茶飯事となった感はありますが、逆に日本人指揮者たちがフル回転で対応。中でも最も活躍が目立った一人が高関マエストロじゃないでしょうか。高関健は若い若いと思っていましたが、何と60台の半ばなんですね。楽譜への拘り、知的な解釈でオーケストラからの信頼も厚く、マエストロという称号を贈るに充分な本格派であることは皆さんご承知の通り。小林愛実人気の相乗効果でしょうか、久々にチケット完売の定期でした。
確かにいつものサントリーに比べてもファンの出足が早く、協奏曲は2曲目の演目であるにも拘わらず舞台中央にはスタインウェイが鎮座し、念入りに調律が行われている。この光景を珍しく感じた人も多かったようで、スマホを向ける人が目立ちました。へぇ~、チューニングってこうやるんだ、と。

調律が終わり、ピアノの屋根が一旦降ろされ、椅子はピアノ下に格納。準備が整ったところで拍手の中、楽員が登場します。指揮者の要望でしょう、弦楽器は対向配置。対向配置と言ってもセカンド・ヴァイオリンとヴィオラが入れ替わるだけで、チェロとコントラバスは通常の並びでした。
高関が読響定期を振るのはかなり久々のことじゃないでしょうか。私の記憶ではブログを始める以前にマーラーの第5交響曲に感心したことがありましたっけ。カラヤンの薫陶を受け、広響、新日フィル、大阪センチュリー、群響、札響、京都市響と様々なポストを歴任し、現在は東京シティ・フィル常任と仙台フィルかな。他にも富士山静岡交響楽団の首席や芸大フィル首席も兼ねています。今回も含めてピンチヒッターとしても大活躍で、様々なオケで「高関健」の名前を見ない月は無いほど。私も他のオーケストラを振る姿を何度も経験しています。少し仕事のし過ぎじゃないかと心配するほどですが、余計なお世話か。

楽譜に拘るマエストロ、モーツァルトの序曲は如何に。イドメネオは後宮やドン・ジョヴァンニ同様、序曲はそれだけで完結せず、そのままオペラの幕が上がるように書かれています。イドメネオ序曲を単独で、演奏会で取り上げるのは珍しい機会ですが、マエストロの選択はオペラ上演と同じ。ニ長調で輝かしく始まったものの、最後は短調への傾斜も見せながら静かに終始するもの。モーツァルトが書いた音符だけを指揮しました。
ライネッケが編纂した演奏会用に賑やかに終止する終結版を見たことがありますが、高関氏、これは採用しませんでした。そもそもヴァイグレはどんなエンディングを予定していたのでしょうか。

序曲が終わると直ぐにピアノの屋根が挙げられ、椅子を定位置に。ショパン・コンクールの第1次予選、小林は椅子のことでスタッフと揉めていたことを思い出しましたが、今回はそんなことはありません。
期待の小林登場。客席の拍手も心なしか一層大きくなったような気がします。ドレスから振る舞い、チョッとした仕草まで2か月前に繰り返しショパン・インスティテュート・チャンネルで視聴した光景と同じ。人はかつて経験したことを目の前で再体験することで安心する生き物なのでしょうか。

読響の豪華な響きによる長い序奏が終わり、スタインウェイがホ短調のテーマを奏で始めます。その最高音、高い「ミ」が鳴り響くと、私も「あ、小林愛実の音だ」と実感するほど。繊細にショパンの心情を歌い上げる第2楽章、躍動感溢れる煌びやかな第3楽章と、満席の客席が息を潜めながら聴き入っている緊張感さえ聞き取れるほどでした。
一拍あって割れるような拍手。マスク越しにもファンの笑顔が判ります。直ぐにアンコールに入り、コンクールでもその集中力に驚嘆した24の前奏曲集作品28から、17番目の変イ長調が弾かれました。私も彼女はナマ初体験でしたが、とても初めてとは思えないほど親近感が沸くショパン。

あくまでも個人的な感想ですが、小林愛実のショパンはサントリーホールのような大きなスペースではなく、例えばサロンのような小さく、親密な空間で聴きたいと感じたのが正直なところ。そもそもショパンの音楽って極めて私的なメッセージが籠められているのではないでしょうか。ショパンが本格的な協奏曲を若い時の2曲しか残していないのは、そんなところにも理由があるのじゃないでしょうか。
ところで二つあるショパンのピアノ協奏曲。今回はプログラム誌に掲載されていた通り「第1番」と書きましたが、現在は番号を付けずにホ短調協奏曲、へ短調協奏曲と表記するのが主流になっているようですね。
解説(澤谷夏樹氏)にも、タイトルこそ第1番と大書されていましたが、解説の中身ではあくまでも「ホ短調協奏曲」で通し、番号には触れていません。歴史の通過点での折衷案でしようが、後の世代には2021年当時では未だ第1番と呼んでいたんだ、解説も苦労していましたね、という証拠になるかも。ショパン・ファンに限らず、これからもプログラムには注目していきましょう。

番号がもっと話題になっても良さそうなのが、後半のプロコフィエフの交響曲じゃないでしょうか。交響曲は古典交響曲の名前で知られる1番から7番までありますが、第4番は別の曲かと思えるほどの改訂版がありますし、第7交響曲にも2種類の終結部が残されています。それだけで数えても交響曲は9曲ある。(他に未完成のものや、出版されていない番号無しもある)
そもそもプロコフィエフ作品、先輩のラフマニノフやストラヴィンスキー、後輩にあたるショスタコーヴィチに比べて演奏される機会が少ないように思います。交響曲に限れば、第1と第5以外では第7が偶に取り上げられる程度。ラザレフの奮闘で一応7つの交響曲は全てナマで体験しましたが、それ以前もそれ以後もプロコフィエフの真髄に迫れる機会は滅多にありません。

昨今はツェムリンスキーに始まり、コルンゴルトやフランツ・シュミットなど忘れられた作曲家のリバイバルが盛んですが、プロコフィエフこそ見直されて然るべき作曲家じゃないでしょうか。その人物像などにももっと光が当てられて良い。
第5交響曲と雖も久し振りのナマだったので、出掛ける前にチラッとスコアに眼を通しましたが、実はこの大作、音量ではフォルテ二つ、ff が最大なんですね。確かにシンバルやドラが炸裂しますが、あくまでも音量指示は ff 止まり。プロコフィエフと言えばスキタイ組曲に代表されるように耳を弄するほどの大音量が売り物のように思われますが、第5交響曲は自身が「人間精神の偉大さを表現した」と証言しているように、音響の祭典が全てではないのではないか。

高関/読響の第5、直前の交代劇で時間的な制約があったにも拘らず、如何にもマエストロらしい的確な作品把握に、氏ならではアイディアを盛り込み、オーケストラのパワーを思う存分に曳き出した大熱演でした。
それでもプロコフィエフってこういう高熱量だけで良いのかな、という疑問を感じたのも事実。もっとプロコフィエフを様々な解釈で聴いてみたい、と感じた定期でもありました。予定通りヴァイグレだったらどんな演奏だったのだろう、何故モーツァルトと組み合わせたのだろう、と。

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