フィリアホール、ショパンの想い

先週大井町で聴いた小山実稚恵と10日に日吉で聴いたエクが共演するというので、昨日は久し振りに青葉台のフィリアホールに行ってきました。
少し前までは定期的に出掛けていたフィリアですが、拙宅からはややアクセスが悪いので何時の間にか遠のいてしまったホール。今回は小山得意のショパン、しかも気になっていた室内楽版協奏曲を我がエクと共演するとあって、遠距離を厭わず参戦する決意を固めました。

しかし時代は刻々と変化するもの。これまでローカル線そのものだった東急大井町線に急行が導入され、終着駅も溝の口に延長されていたのですね。知ってはいましたが身を以て体験するのは初めて。
で、溝の口で下車すると、隣のホームに東急田園都市線が間髪を入れずに滑り込んできます。これまた急行で目的地の青葉台は停車駅で4つ目。“便利になったねェ~”と談笑しているうちにフィリアホールに着いてしまいました。

今回はチケット申し込みが公演ギリギリだったため、ゲットできたのは隅っこの席。客席はほぼ満席で、改めて小山人気の強さが判りました。エクをこんな大入り満員で聴くのは珍しいことです。フィリアがこんなに近くなったなら、これからはもっと注意して予定をチェックしましょう。
この日のプログラムは当ホールが企画している「作曲家の想い」シリーズの一環だそうで、第3回「ショパンの想い」と題されたもの。以下の内容です。

ショパン/アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調作品22
ショパン/ピアノ協奏曲第2番(室内楽版)
     ~休憩~
ショパン/ピアノ協奏曲第1番(室内楽版)
 ピアノ/小山実稚恵
 弦楽四重奏/クァルテット・エクセルシオ
 コントラバス/吉田秀

あくまでも主役は小山のショパンで、冒頭は小山のソロによる名曲。1週前に大井町でも弾いた曲ですが、第1音から驚かされたのがピアノの音色の違い。ホールが異なるのはもちろんですが、何より楽器が違うのだ、と思いました。
同じスタインウェイですが、そもそもの質や手入れからこれほどの相違が生まれるのでしょう。改めてピアノは一台一台に個性があること、楽器による微妙な違いも鑑賞のツボであることを思いました。
要するに、同じ人の演奏とは思えないほど音楽から受ける感銘に差があるのです。もちろんフィリアでの体験が断然上位。

ソロが終わると、椅子と譜面台が用意され、室内楽版協奏曲が演奏されます。これがまた素晴らしい体験で、遠征して大正解だと思いましたね。

この日演奏された弦楽四重奏にコントラバスを加えた版は、ショパン自身が編曲したものではないそうです。また特定の個人がアレンジしたものでもないようで、解説(萩谷由喜子氏)によると、「当時、協奏曲の出版にはフル・オーケストラ・スコアの販売と並行して、独奏パートと弦のパートだけの部分販売も行われ、ハウスコンサートなどで演奏されていた習慣」をもとに復元されたものの由。何でも1990年代初めからポーランドで盛んになった演奏形態だそうな。
私個人としては、最近復刻版で有名になっているヘフリッヒ社が当版をスコアの形で出版しており、気になっていたもの。日本では少し前に晴海でも披露されたそうで、定着すればスコアを入手しようかな、とも考えている所でした。

もちろん管弦楽版の迫力は影を潜めることになりますが、アンサンブルの形としては当然ながら明瞭度が増してきます。第2番の終楽章に登場するホルン・ソロは、予想通りヴィオラに置き換えられていました。コル・レーニョも一層効果的に響きます。

珍しい体験に客席も熱い拍手。第2番の第2楽章がアンコールされました。
このラルゲット、小山は大井町ではピアノ・ソロ版も紹介してくれましたが、彼女の「ショパンへの想い」が最も良く出ている作品でしょう。

思うに、小山のショパンは「間」が絶妙なのですね。
ショパンの音楽には日本の演歌に通ずるようなルバート(一種のコブシのようなもの)があり、それが日本人に親しみ易さを与えているのだと考えます。楽譜には書いてないと言ってルバートを排除すると、ショパンにはならない。
逆に言えば、私のようなアンチ演歌の人間には、それがショパンを苦手とする原因ともなります。
このテンポ・ルバートをやり過ぎるとショパンは完全な演歌になってしまい、作品の本質から外れることになります。小山は、そのギリギリのところでクラシックの枠に収める。その「間」や「呼吸」が絶妙なのでしょう。私が小山を「ショパンの人」と感ずる理由がそこにあると気付いたコンサートでした。

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