読売日響・第481回定期演奏会

今年の東京はソメイヨシノが開花して暫く寒の戻りが続き、満開になるまで随分時間が掛かりました。お陰で昨日のサントリーホール周辺も夜桜見物のピーク、ライトアップした桜が怪しげな木立を演出する中、演奏会に出掛けました。
新シーズンのスタートを祝うプログラムは、正指揮者下野お得意の玄人向け定期。批評家率もコアなクラシック・ファン率も極めて高い演奏会です。
芥川也寸志/エローラ交響曲
藤倉大/アトム(読売日響委嘱作品・世界初演)
     ~休憩~
黛敏郎/涅槃交響曲
 指揮/下野竜也
 男声合唱/東京混声合唱団(合唱指揮/山田茂)
 コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン
 フォアシュピーラー/鈴木理恵子
全て日本人作品による現代音楽の夕べ、ということですが、芥川と黛とはほぼ半世紀前に同時に世界初演された古典。これに現在世界中で引っ張りだこの売れっ子作曲家・藤倉の新作初演という聴き逃せない内容。
これを聴かなければ商売にならないということでしょうか、自称・他称批評家の顔・顔・顔。
ホールに着いて見回すと、指揮台は2段重ね。下野くんが飛び上がるにはハードルが高すぎるため、踏み台も設けられています。これは最後の黛作品でP席を陣取る合唱団と客席に置かれる別働隊オケを見易く(から見え易く)することと、膨大な編成のオーケストラを鳥瞰し易くするためでしょう。
その別働隊オケは、ホール客席の最奥部に左右に振り分けられるようです。
冒頭の芥川、没後20年を記念する意味もあるようですが、サントリーホール落成(1986年)の記念式典のために「オルガンとオーケストラのための響」を作曲した人でもあります。サントリー繋がり。
その芥川の出世作であるエローラ交響曲をナマで聴くのは、私にとっては初めてのこと。昔、東芝から出ていたLPで聴いただけですが、如何にも人間・芥川を思い起こさせるリズムと叙情。
下野の尻振りダンスにもピッタリな曲想で、最初から大喝采。
次は藤倉の新作です。現代音楽の演奏会では舞台転換が付きもので、曲間に慌しく舞台係りが駆け回るものですが、今回は若干の楽器に出入りがあっただけ。つまりオーソドックスなオーケストラと配置によって書かれている作品であることが判ります。
新作の「アトム」とは原始のこと。プログラム誌に掲載された作曲家自身のプログラム・ノーツによると、音の粒が次第に増幅していく過程を描いた由。
一言で言ってしまうと、“カタ・カタ” という音で始まって、“ギュイーン” という音で終わる音楽。
その間、弦楽器だけによる部分、管楽器だけによるエピソード、打楽器だけによるパッセージ、あるいは特殊奏法だけを駆使した箇所などが繋がり、一種の「管弦楽のための協奏曲」であるようにも聴こえます。
指揮者にとっても難曲のようで、全体を通してテンポが極端に変化。その漸次に変化する按配は指揮者に委ねられているようです。
「点」で始まった音楽が最後には「線」というか一種の「メロディー」に成長したところが終結。藤倉によれば、“僕にしては珍しく(?)とてもジューシーな、とっても脂ののった、柔らかいけれど歯ごたえのあるテクスチュアー”という最終部。
(断片から始まって最後に姿が出現するのは、シベリウスの第4交響曲にも前例がありますね)
客席の藤倉、下野に呼ばれて舞台に駆け上がりましたが、挨拶をして再び客席に。再度登場した下野に再び呼ばれてまた舞台、と彼らしい行動力を誇示してました。
客席の反応は今一つ。知人の感想によれば、“う~ん、クセナキスよりは面白かったけどね”(K氏)とか、“藤倉くんの曲は面白いけど、今日のはイマイチかなぁ”(K嬢)、というもの。
私はと言えば、一度聴いただけで評価するのは勘弁して下さい、ということでしょうか。
読響はこの所毎シーズンのように日本人作曲家に新作を委嘱しています。ずっと日本フィルが継続してきた仕事を引き継いだ感じ。あえて「読売日響シリーズ」とでも名付けたい程ですが、やはり大切なのは繰り返し演奏することでしょう。
定期が1回しか開催されない現状なら、他のシリーズでも取り上げるとか、翌年の定期で再演する、関西公演でも取り上げる、というような積極的な姿勢を採って欲しいのです。そうして初めてオーケストラによる委嘱の意味が生まれるのではないでしょうか。
このシリーズは力作が多く、他のオケが演奏したり、様々な作曲賞で受賞する作品も多く生まれています。しかし定期で再演されたのは望月作品だけではないでしょうか。
(日本フィルも漸く最近になってシリーズ委嘱作の再演シリーズを開始しました。事情はどうあれ、初演以上に再演、再演以上に再々演が大事だと思います)
最後は黛の大作。「交響曲」というよりは、スコアにある副題の通り「カンタータ」が相応しい内容です。
私は渡邊暁雄と日本フィルで初めてナマに接して大きな衝撃を受けましたし、その後もN響によるレコード(シュヒター)や放送(岩城・外山)で何度も聴いたもの。
今回は久々のライヴでしたが、衝撃というよりは懐かしさが先に立った感想です。初めて聴いた衝撃は影を潜め、冷静に聴いてみると、当時の前衛手法に東洋的な感覚を持ち込んだ姿が手に取るよう。大袈裟な仕掛けの割には内容は希薄なのかな、と。
タイトルの「涅槃」や仏教に題材を求めたとは言え、内容は宗教的なものではありますまい。あくまでも「効果」としての仏教。
LDブロックに第3オーケストラ(コントラバス含む)、RDは第1オーケストラ、舞台が第2という配置はスコアに提示された第2案そのまま。私の定席である1階中央ではステレオ効果ならぬ5.1チャンネル・サラウンド効果満点でしたが、席によっては不思議なバランスで聴こえたかも知れません。それも作曲家の意図だったのでしょうか。
熱狂した聴衆から大喝采。私の隣席の会員の拍手があまりにも大きく耳が痛くなってしまい、堪らず拍手途中で退席。
音楽も喝采も今の私には大き過ぎ、一時耳鳴りが酷くなって閉口してしまいましたよ。当分の間フル編成オケの大音響は聴きたくないなぁ。

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