読売日響・第504回定期演奏会

月曜日、いつものサントリー・ホールで読響の5月定期を聴いてきました。雨が降り出していましたが、中々の入りです。
5月は本来ならズデニェク・マーツァルが指揮することになっていましたが、東日本大震災の影響で来日不能、ヴロンスキーが代演ということです。震災発生早々に決定してしたようで、定期会員には事前に案内の葉書が来ていましたし、当日配布されたプログラムも変更された指揮者に差し換えられていました。

取り止めたマーツァルはチェコの指揮者で、ピンチヒッターのヴロンスキーも同じチェコの人。ということは国としての勧告ではなく、マーツァル本人の意思でキャンセルしたのでしょうね。その辺りの事情は聞いていません。
なお、今回の定期を含めて、もう一種類のプログラムも曲目の変更はありません。ということで、マーラー没後100年を記念したプログラムは以下のもの。

モーツァルト/ピアノ協奏曲ハ短調K.491
     ~休憩~
マーラー/交響曲第5番
 指揮/ペトル・ヴロンスキー
 ピアノ/清水和音
 コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン
 フォアシュピーラー/鈴木理恵子

最初に初めて聴くヴロンスキーのプロフィールから。1946年プラハ生まれといいますから私と同い年。戌年ですな。最初はヴァイオリニストだったそうです。
大柄で体躯も立派。音楽家というより銀行の頭取みたいな印象で、聴きながら誰かに似ているなと思っていました。思い当たったのは以前N響によく客演していたスヴェトラノフ。外見だけでなく音楽も所謂「爆演型」で、オケを目一杯鳴らすことが仕事だと思っているようでしたね。
それとオールド・ファンには懐かしいウィルヘルム・シュヒター。シュヒターって誰よ、という人も多いと思いますが、風貌も体躯も昔を思い出してしまいました。ま、シュヒターさんとスヴェトラ御大を足して2で割ったような人、というのが私の印象です。

指揮棒は持ったり持たなかったり。今日のマーラーで言えば第1楽章とアダジェットは棒なしで振り、他はタクトを使っていました。その指揮棒は、指揮棒というより木の枝をそのまま細くしたような簡素なもので、握りなどは無いように見えました。比較的長めのこの棒を、やや不器用に大きく振り回します。
楽譜はちゃんと読めるようで、スコアを捲りながら指揮していました。
読響には1987年以来24年ぶりの再登場だそうですが、申し訳ないことに記憶がありません。

冒頭のモーツァルト。実は少し前に横浜で聴いたばかりですが、横浜が余りにも酷かった所為か、今日はモーツァルトを素直に楽しめました。
モーツァルトはこの協奏曲のソロ・パートを隅々まで書き込んでいなかったと記憶していますが、清水和音はほぼ書かれた音符通りに弾いていたと思います。自由に装飾を施すピアニストもいますが、彼は誠実な態度に終始。人を脅かすようなタイプの演奏ではありませんが、横浜のY山のようにモーツァルトが書いた音符すらすっ飛ばしてしまう人に比べれば遥かに好ましい音楽です。

メインはヴロンスキーの腕の見せ所。
先ず、ハープを右側に据えているのが目を惹きます。それにオケのメンバーに見慣れない顔も。ヴィオラのトップは初めて見る人で、隣は首席の鈴木康浩。鈴木がいるのに頭を弾くのですから、余程のことでしょう。
それに1番ホルン。山岸でも松坂でもなく、読響はまた4番打者をヘッド・ハンティングしたのだろうかと疑ってしまいました。もちろん両人とも日本人(だと思います)。

ヴロンスキーのマーラー第5。他と違うのは先ず冒頭で、ヴロンスキーは指揮台に登ると直立不動、頭を下げて黙祷のようなポーズを取ります。指揮棒が動かない中、トランペット(あまりにも見事な長谷川潤のソロ)が拍に捉われずファンファーレを開始します。
マーラーは軍楽隊の音楽を良く作品中に登場させ、単に軍楽の行進ではなく葬送の意味を籠めて不気味に使いますが、ヴロンスキーはこの冒頭を「葬送ラッパ」として解釈したのではないでしょうか。ヴロンスキーが指揮者の仕事に戻るのは、そのあとシンバルが加わるところから。

もう一つは第3楽章の扱い。ここは1番ホルンがコルノ・オブリガートとして独立し、2番以下(他の楽章は6番まで)が役目を変更する場面ですが、今回の演奏ではコルノ・オブリガート(謎のトップ奏者)がヴァイオリン群の奥に移動して起立したまま吹くのでした。
このスタイルは、確かアバドやラトルの所謂ベルリン派が初めて取り入れ、何とかいうアバドの弟子がN響でも披露したのをテレビで見たことがあります。このスタイル、私はナマでは初体験。
ということは、ヴロンスキーが使ったのは新しいマーラー全集版だったことに間違いないと思います。

私は古いペータース版のポケット譜しか所持していませんが、聞いたところでは新全集版には第3楽章のコルノ・オブリガートにこのような指摘がある由。
これもまた聞きですが、ホルンを独立して別の位置で吹くというアイディアはメンゲルベルク(?)がかつて実行した実例によるそうで、スコアでは採用はあくまでも指揮者の判断に委ねているのだとか。

ということで見た目には色々面白い演奏でした。
オーケストラは相変わらずの名人芸で、終了後は客席から大歓声と嵐のような拍手。これを見る限りでは真に素晴らしい演奏のようでした。

ただ、最近はマーラーが苦手になってしまった私には何とも大味。緻密な演奏とは全く縁遠いマーラーに聴こえます。読響のマーラー第5では、少し前に高関健が見事な演奏で“これならマーラーをまた聴いてみたい” と納得させてくれましたが、今日の演奏で私はまたマーラー嫌いに逆戻りしてしまいました。

例えば、例のコルノ・オブリガート。彼がベルアップする度に第1ヴァイオリンの最後尾のプルトが顔を背けています。あれを耳元でやられては鼓膜が破れてしまうでしょう。
比較的ステージに近い席で聴いている私も、全曲が終わるときには耳が痛くなってしまいました。あんなに大音量で演奏する必要があるのでしょうか。

それにもう一つはテンポがやたらに遅いこと。特にアダジェットなどは音楽が一向に流れず、正直私には辟易の世界。かつてヤルヴィ・パパが、あれはアルマへのラヴ・レターと言っていましたが、ヴロンスキーのは弔辞みたい。
先日もコバケンの「流れない音楽」を我慢しましたが、今日は我慢も限界。(演奏会が終わって駐車場の時計を見たら9時半になっていました)

最近の読響は最後の拍手・歓声が尋常ではありません。本当に素晴らしい演奏の時は判りますが、今回のような反応は私には解せません。音楽の感じ方は人様々ですが、あまりにもギャップが大きいと、自分に自信が無くなってしまいますね。
何とも疲れた一晩でした。

この日、定期会員には恒例のCDプレゼントがあって、今年は2枚から選べる方式。1枚はカンブルランのコリオランやフォーレ、もう1枚は下野のエロイカ。どちらにもスクロヴァチェフスキの未完成かフィルアップされていて、公平になっているようです。
皆さんはどちらを選びましたか? 私は2席会員なので2枚とも貰いましたが、疲労感が酷いので、聴けるのは大分先のことになりそうです。

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