エルデーディQ・ハイドン没後200年記念Ⅱ

2月の第1回に続いて今日は2回目、完結編です。プログラムは前回の予告通り、
ハイドン/弦楽四重奏曲第24番イ長調作品9-6
ハイドン/弦楽四重奏曲第23番変ロ長調作品9-5
     ~休憩~
ハイドン/弦楽四重奏曲作品51「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」
 エルデーディ弦楽四重奏団
静かな晴海の午後、ひっそりと行われるに相応しいコンサートです。聴き手にとってはハイドンの数ある弦楽四重奏曲でも最も高い壁かもしれません。
その前にまず作品9から2曲。作品9は、ハイドンの本格的な弦楽四重奏曲集では最初のものでしょう。作品1と作品2はディヴェルティメントの性格による多楽章作品ですし、作品3はそもそもハイドン作か否か疑問があるようです。
作品9も実際に聴いてみると習作などというものじゃありません。この日取り上げられた6番と5番も夫々に工夫があって、同じことを繰り返さないのが如何にもハイドン。
6番は狩の音楽による第1楽章、第1ヴァイオリンのカデンツァが付いた第3楽章が特に印象的。
5番は第1楽章が変奏曲で、ゆったりした音楽なのが特徴。フィナーレの生き生きした音楽が最後はピアニシモで終わるユーモア。
お、もう前半が終わっちゃったのか。あっという間のオープニングです。
休憩を挟んでいよいよ真打。本来はオーケストラ曲として作曲されたものの弦楽四重奏版ですが、聴く機会は決して多いとは言えないでしょう。作品を知る絶好のチャンス、室内楽ファンは聴き逃せません。
ゆっくりした音楽が7曲、先立つ序奏もゆっくりで、最後にやっと激しい「地震」の音楽という構成が特異。演奏する方も聴く方も修行を連想させる大曲です。
レコードで聴いても、ほとんどの場合は途中でダウン。通して全曲聴いたこと、恐らく無いのじゃないか。
ということで、私にとってナマ演奏初体験の「十字架上のキリストの七つの言葉」、正に高峰を踏破した達成感が残ります。
実際にはハイドンが施してくれた様々なアイディアのお陰で、むしろ楽しく聴けました。今回は各楽章(全部で9楽章)の冒頭の主題の譜例がプログラムに挟まれていて、これが一里塚の役目を果たしてくれたことも有難かったですね。
全曲を聴き通すと、リーダー蒲生氏がプログラムに書かれているように、 “遅い楽章が続くイコール飽きる、退屈するの図式がまったく当てはまらない稀な例” であることが実感されます。
ジワジワとこみ上げて来る感動は、グリラー四重奏団のチェロ奏者コリン・ハンプトンの “《マタイ受難曲》にひけをとらない名曲と呼んではばからない” という言葉が決して大袈裟でないことに思い至るのでした。
エルデーディQ、さすがに大曲は完全燃焼。作品の偉大さを堂々と披露してくれました。余計なことかも知れませんが、内声部の二人がもう少し踏み込んだ演奏態度を見せてくれると更に感銘が大きくなったのではないでしょうか。
(スコアで確認したわけではありませんが、恐らく繰り返しも全て実行した完全演奏だったと思われます。楽章間の詩の朗読や説教などはもちろんやりませんが・・・)
シリーズ第1回はアンコールがありましたが、今回は必要ないでしょう。演奏する方も聴く方も充分にハイドンを堪能しました。

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