読売日響・第536回定期演奏会

読売日響の新シーズンが開幕しました。昨日はその4月定期をサントリーホールで鑑賞。いきなりカンブルラン首席の登場です。
去年も中々に凝ったプログラムで客席を沸かせたマエストロ、新年度の開幕は以下のプログラムでした。

シェーンベルク/弦楽のためのワルツ
リスト/ピアノ協奏曲第1番
     ~休憩~
マーラー/交響曲第4番
 指揮/シルヴァン・カンブルラン
 ピアノ/ニコライ・デミジェンコ
 ソプラノ/ローラ・エイキン
 コンサートマスター/クリスティアン・オスターターク(ゲスト)
 フォアシュピーラー/伝田正秀

コンサートのコンセプトに入る前に、今回のコンマスはゲストのオスタータークという恐ろしく背の高いドイツ・カールスルーエ生まれのヴァイオリン。カンブルランとの仕事を数多く経験してきたコンマスだそうで、恐らくカンブルラン肝入りの登場でしょう。
ところで読響のコンマス陣、今期からコンマスの裏を務める伝田氏がアシスタントの肩書で入団しての4人体制。しかし私が会員である定期シリーズではゲストの登場が目立つように思います。3人のコンマスのうち小森谷氏は常連ですが、ゲーデ氏は一度聴いただけ。日下紗矢子という方は確か定期は一度も務めたことが無いはずで、この辺り読響の面妖さを感じてしまいます。
余計なことかも知れませんが、コンマスはオケの顔。ゲストばかりで果たしてオーケストラとしてのカラーが保てるのか些か心配になるじゃありませんか。4番バッターばかりのオケですから、心配無用ということか・・・。

さてカンブルランが指揮台に乗っても更に上背で上回るオスターターク率いる今回のプロ。選曲の意図を勝手に想像します。
ドイツ音楽で統一した、と言えば簡単ですが、一言でドイツ・オーストリアの音楽と言っても北と南ではかなり文化に相違があります。今回の3人は、その意味では南ドイツからオーストリア出身の音楽家であることが共通点。南は即ちカトリックの文化圏で、北のプロテスタントとは一線を画すると見るべきでしょう。北と南は、乱暴に言えば保守と革新とも呼べる関係。
音楽には何事も自由な態度で、伝統を壊していくタイプの作曲家を並べた演奏会と勝手に思い付きましたね。もちろんマーラーとシェーンベルクはユダヤ人ですが、音楽という意味では南の文化圏という見方の方が合っていると思います。これをカトリックの権化とも言うべきメシアンを大得意とするラテン系のカンブルランが振る。これだけで演奏の方向が見えて来るではありませんか。

ということで最初は珍しいシェーンベルクの若書き。今期から陣容が変わった曲目解説(定期は広瀬大介氏)では「知られざる佳曲」と紹介されていました。
弦5部だけの編成で、シェーンベルクにもこんな曲があるのか、と吃驚するような耳に快い短いワルツの連続で、完成されている10曲が通して演奏され、最後の第10曲ではヴィオラ・ソロ(鈴木康治)が活躍。私もナマで聴くのは初めてでした(スコアはロサンジェルスのベルモント・ミュージックから出版)。後に12音技法を確立するシェーンベルクの、改革の萌芽を感じることが出来たでしょうか。

続くリストは、協奏曲とは言いながらほとんど交響詩の体裁で構成されたもの。オイレンブルク版のスコアでは3楽章となっていますが、実態は全体を統一するアイディアが繰り返し出てくる構成で、協奏曲という分野に改革の手を入れる南ドイツ圏特有の音楽語法を楽しめます。
ソリストのデミジェンコはロシアのピアノ弾き。音楽家と言うより政治家のような風貌で、今回が読響とは二度目の共演の由。日本人には望めない手首の強さでリストの超絶技巧を弾き切りました。難曲を弾いてもケロッとしているのが、如何にもロシア・ピアニズムの伝統か。

アンコールは私の聴いたことが無いもの。翌日サントリーホールのホームページで確認したところ、メトネルの「おとぎ話」というピースだそうです。

最後のマーラーは、予想通りカンブルラン流、ラテン的視点から見たマーラーでした。何年か前に読響では上岡がこの曲を振って驚かせましたが、それとは対極にある演奏と言えるでしょう。上岡のポルタメントを効かせたコッテリ系に対し、ピアノの表現に重点を置いたアッサリ系のカンブルラン。
第1楽章の出だしからテンポが速く、 p pp mp などの音量をキッチリと弾き分け、停滞とはほど遠い爽やかな流れを創り出していきます。上岡の演出とは異なり、グリッサンドを弾いても胃にもたれるような表現からは遠く、現代音楽の語法の一つてして響くのでした。

ソプラノの登場は第3楽章が終わり、フィナーレが始まると同時。この辺りも第3楽章のクライマックスで呼び込んだ上岡とは違うスタイル。アメリカ人のエイキンという人は、この曲だけでは何とも言えませんが、それほど音量の豊かな声ではなく、カンブルランもオケを控え目に鳴らして室内楽的なアプローチで歌に寄り添います。
際立っていたのは練習番号12の第4小節から始まる弱音器を付けたヴァイオリンの美しいメロディー。可能な限り音量を落とした ppp が、最後の余韻を残しつつホールの空間に消えて行くのでした。

これを聴いていて不謹慎にも思い出したのが、病院で飲んでばかりいた清涼飲料水。ポカリスエットみたいなマーラー、というのが私の感想です。

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