仏ダービー、準備完了

昨日のサン=クルー競馬場、フランス・ダービーであるジョッケ=クラブ賞に向けての最終便とも言えるトライアル戦が行われました。
グレフュール賞(GⅡ、3歳、2000メートル)。
私が競馬に興味を持った1960年代の終わり頃は、フランス・ダービーに向けて重要とされるトライアルが5レースありました。即ち、ダリュー賞、ノアイユ賞、オカール賞、グレフュール賞、リュパン賞。
このうち最も重要で、かつ実際に仏ダービーを制する馬が多く出たのはリュパン賞でした。
このリュパン以外の4レースは出走条件に定めがあって、その条件に合う馬にのみ限定されていたのです。競馬はそもそもギャンブルやスポーツの対象ではなく、一国の軍事力と密接な関係のある馬産の指針となる大前提があったからです。
それは日本とて同じことで、戦中のある時期は観衆を入れないまま、当然に馬券などは発売されないままダービーが行われていたことでも実証されるでしょう。
フランスのダービー・トライアルは“Poule de Produit”(生産のための)である性格が強かったわけです。その条件をレース毎に記すと以下の通り。レースの創設年順に並べてみました。
1841年 ダリュー賞 父・母共にフランス以外で生産された馬
1861年 オカール賞 母の父がフランス産の馬
1878年 ノアイユ賞 母の父がフランス以外で生産された馬
1882年 グレフュール賞 母がフランス産の馬
1855年創設のリュパン賞には特定条件は附されていませんでした。
競馬が庶民の健全な娯楽として定着して以降リュパン賞が最も格上に評価されたのは、このレースのオープンな性格によるものでしょう。
時は遷り、馬が直接に軍事と結びつかなくなった現在、こうした条件は撤廃され、レース体系も大きく変貌しました。その流れの中で、まずダリュー賞(1977年が最後)が、続いてリュパン賞(2004年が最後)が使命を終え、夫々の長い歴史を閉じたのです。
結果としてオカール、ノアイユ、グレフュールが、古くからのダービー・トライアルとして残りました。昨日行われたのは、そのグレフュール。
最近の勝馬を一望しても、このトライアルが重要であることは一目瞭然。
1984年 ダルシャーン Darshaan
1991年 スワーヴ・ダンサー Suave Dancer
1994年 ティッカネン Tikkanen
1997年 パントル・セレブル Peintre Celebre
1999年 モンジュー Montjeu
2003年 ダラカニ Dalakhani
ここ3年はアンドレ・ファーブル厩舎が3連覇していることにも注目が集まっていました。今年は8頭が出走。
結果は又してもファーブル厩舎。これで4連覇になりますし、今年はワン・ツー・フィニッシュという完勝でした。
勝ったのはデットーリ騎乗のカットラス・ベイ Cutlass Bay 、2着は半馬身差でヴィクトワール騎乗のカヴァリーマン Cavalryman 。3着に1馬身半でアリバー Allybar 。
着差こそ半馬身ですが、騎乗したデットーリは大変な惚れこみようで、仏ダービーはこの馬、と確信を深めたようです。
馬主は1・2着共にシェイク・モハメッド殿下。カットラス・ベイは追加登録が必要なので最終決定ではありませんが、3戦3勝の無敗馬、出走すれば人気を集めることは間違いなさそうです。
フランス第1を誇るファーブル厩舎、パターン・レースはこれが今シーズン2勝目というスロースタートですが、ゴドルフィン・グループはファーブル厩舎に100頭以上の預託馬があります。アンドレ・ファーブルの巻き返しが始まりそうな気配。

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