読売日響・第482回定期演奏会

昨日は雨の中を読響定期に出掛けます。行きはさほどでもありませんでしたが、帰りは本降り、今年は雨が多いような気がします。気温も低かったみたい。
シベリウス/組曲「レミンカイネン」~トゥオネラの白鳥
シベリウス/組曲「レミンカイネン」~レミンカイネンの帰郷
プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲第2番
     ~休憩~
ラフマニノフ/交響的舞曲
 指揮/オラリー・エルツ Olari Elts
 ヴァイオリン/バーナバス・ケレマン Barnabas Kelemen
 コンサートマスター/小森谷巧
 フォアシュピーラー/鈴木理恵子
雨の所為ということはないでしょうが、読響には珍しく空席が目立ちました。P席などはザッと見積もっても5~6割程度。書いている今気が付きましたが、名曲シリーズで気になったマスク組はほとんど見なかったような気がします。インフルエンザ騒動も終息したんでしょうか。
5月の読響は新しい才能を発見する月間のようで、今日の定期に登場する指揮者もソリストも私には初物でした。
ところで今回のプログラム、2年前にも同じ様な選曲を聴いたばかりですね。テミルカーノフの指揮でラフマニノフ、プロコフィエフは1番を庄司が弾いた定期です。
この時の感想を読み返して思い出したのですが、ラフマニノフはもっと聴かれてよい作品。ここで実現したのは有難かったのですが・・・。
さて、ヴァイオリンから行きましょうか。
ケレマン(スペルではケレメンのように読めますけど。昔ゾルタン・ケレメンというバス歌手がいましたけど、同じスペルですね)は、1978年のブダペスト生まれ。31歳はこの世界では若手とは言えないのでしょうが、実に活き活きした音楽を奏でる人です。
プロコフィエフの協奏曲も太目の音色で、存在感タップリのソロを聴かせました。テクニックは圧巻。最近はバリバリ弾きまくる人はいくらでもいますが、それでもケレマンは凄いと感心しましたね。
プログラムに写真が掲載されていましたが、実物は髪型がまるで違っていて、若い頃のバレンボイムを連想するようなソフト・アイスクリームを載せたような頭髪てんこ盛りヘアスタイル。プログラムの写真をパスポートに貼っていたら、空港の検査で絶対に本人と確認してくれませんよ。
アンコールがありました。
“ありがとうございます” という日本語の発音が完璧、外人特有の変なアクセントがありません。(ハンガリーは民族的には日本に近いですからね)
後は英語で、“自分はハンガリー人なのでバルトークを弾きます。無伴奏ソナタのプレスト!”
これは凄かったですね。思わず乗り出して聴いてしまったほど。全曲を演奏する機会があったら是非聴いてみたいと思いました。
実はろくにプログラムを見ていなかったので気が付かなかったのですが、アンコール前のスピーチでハンガリアンであることに納得。
バルトークはもちろん、プロコフィエフも実にハンガリアンなヴァイオリンなのです。
演奏を終えたケレマン、後半は客席でオーケストラに拍手を贈っていました。
続いて指揮者。1971年、エストニアのタリン生まれ。2000年にシベリウス国際指揮者コンクールで優勝。現在はスコットランド室内管とエストニア国立響の首席客演指揮者。
ルツェルン響と来日してブラームスなどを振ったそうですが、読響は初登場。
この人はスコアを見て指揮します。尤も今回の曲目は暗譜する必要のない作品だからかも知れませんが。
指揮棒は持たず、かなり動きの激しい指揮で、コントラバスに向いていた姿勢を咄嗟にヴァイオリンに振り向けたりもします。アクション大きく、指揮台を一杯に使う。誰かに似ていると思いましたが、ラザレフとゲルギエフを足して2で割ったような指揮、と言えばよいでしょうか。
ただアレッ、と思ったのは、演奏が終わって拍手に答礼する時だけ譜面台に置いてあった指揮棒を持つのです。何のための「指揮棒」なんじゃ。変なヤツ。
冒頭のシベリウスは、得意の北欧もの。レミンカイネン組曲は滅多に演奏されないので、久し振りにナマで聴いたような気がします。
2曲を別々に演奏するのではなく、両曲の間に休みを入れず、ほぼアタッカで演奏。
「トゥオネラの白鳥」のコール・アングレは浦丈彦、チェロは毛利伯郎が素晴らしいソロを聴かせてくれました。
メインのラフマニノフも熱演。エルツはオーケストラから極めてダイナミックな響きを引き出しましたし、読響もいつもながら極めてハイ・レヴェルの合奏で応じます。
第2曲と第3曲をアタッカで続けたため、この作品の楽章間の統一がより明確になりました。
残念なのはラスト。この曲は最後のドラ6連発が聴きどころですが、エルツは最後の一撃を他の楽器に合わせてピタリと止めてしまいました。
冒頭に書いたテミルカーノフも、日本フィルと壮絶な名演を残した広上淳一も、最後のドラを止めず、響きが鳴り止むまで指揮棒を下ろしませんでした。
(2007年5月の日記参照)
その結果エルツの演奏では、ラフマニノフが表現したかったロシアの憂鬱や、生への惜別の感情が吹き飛んでしまいましたね。これでは血気盛んな若者の作品のように聴こえてしまいます。
ウルトラCを連発しながら、着地で失敗したような感じ。聴衆の早すぎる拍手も興醒めで、読響定期客層の最低さ加減が復活してしまいましたな。
これを以ってエルツはダメだ、と言っているのではありませんよ。この人は音楽的に素晴らしいものを持っていますし、再度読響の指揮台に立つことは間違いないと思います。これからの大器。ただ、テミルカーノフや広上に比べればまだまだ若いな、ということです。
ハンガリーもエストニアも民族的にはアジア。文明の中心が西洋から東洋に移ってきた感を強く持ったコンサートでした。

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