日本フィル・第610回東京定期演奏会

このところの東京はどうしちゃったんでしょうか。毎日雨ばかり降り続き、寒いくらい。早くも入梅したような気分です。
そんな中で開催された日本フィルの5月定期。初日の昨日は丁度雨の止み間を縫って行われた感じでしたが、演奏会後も余韻を楽しみつつ赤坂界隈でウロウロしていた私は、結局また降り出した雨の中を帰宅することになってしまいました。
マーラー/交響曲第10番~アダージョ(全集版)
     ~休憩~
R.シュトラウス/アルプス交響曲
 指揮/沼尻竜典
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 フォアシュピーラー/江口有香
 ソロ・チェロ/菊地知也
水曜日に行われたマエストロ・サロンの中で本人が語っていたように、去年の3月まで日本フィルの「正指揮者」だった沼尻にとって、同オケとは一区切りとなるコンサートです。
私感ですが、いや期待を籠めて言えば、これは決して両者の「最後」の共演ということではなく、暫く間を置いて、という意味だと思っています。
決して喧嘩別れではないし、この日の演奏でも後期ロマン派ドイツ音楽シリーズの集大成として大きな成果を示してくれたのですから・・・。
客席はかなり埋まっていました。これまで定期的に登場してきたマエストロに暫く会えないということを察知したのでしょうか。沼尻を惜しむファンが多かったのは確かでしょう。
この日のマーラーにしてもシュトラウスにしても大曲ばかり。演奏には多大な困難を伴いますが、指揮者とオーケストラは見事にこれを克服し、極めて感動的なレヴェルでの成果を達成していたと思います。
マーラーは多く聴かれるような尖った演奏ではなく、全曲を通して暖かい響きに満ちていたのが如何にも沼尻らしい解釈。アダージョの美しさがジワジワと聴く人の耳に染み込んで来るような演奏です。
「全集版」による演奏、というのは、最近いくつも手掛けられている全曲復元版の第1楽章ということではなく、あくまでもマーラー自身が完成した(若干の補筆はあるそうですが)ものしかマーラーとは認めたくないというマーラー協会のスタンスに、沼尻も同調しているという意味でしょう。
ここにも沼尻がマーラーに寄せる暖かい眼差しを感ずるのです。
後半のシュトラウス。作曲家が指定した「舞台裏」のバンダを敢えて表に出し、P席の後などにズラリと並べたのは壮観。指示通りホルン12、トランペット2、トロンボーン2を使って如何にも“カネがかかっているゾ”というアピールでしょうか。
批評家筋からは愚作とされ、一般的にはオーディオ的な興味でしか見られないアルプス交響曲。沼尻はその評価に抵抗するかの如く、極めて真剣に、かつ大きな慈しみをこめて立ち向かいます。
それはマエストロ・サロンでも卓越した譜読みで披露したように、私にとっても目から鱗の体験でした。
特に光っていたのは、嵐・下山を終えた主人公が自然と人間を想い、去り難い感情を静かに謳い上げる「終末」。ドイツ語で Ausklang と書き付けられた箇所こそ、指揮者・沼尻が日本フィルとの一連のシリーズを締め括る最良の場だったのでしょう。
直前の作品、「バラの騎士」でマルシャリンが告げる別れの場と同じ音楽がここでも響くのです。
後ろ髪を引かれながら主人公はアルプスを後にする、マエストロはオーケストラを後にする。
最後に相応しい一品。
日本フィルも全力を傾けた熱演。特にホルン、トランペットの極めて難しいパッセージを担う金管群の健闘を大いに称えたいと思います。
ジッと聴き入っていた聴衆も素晴らしい反応でこれに応えます。マーラーもシュトラウスも、音楽が鳴り止んで暫く沈黙の時。沼尻が手を下ろしてから一呼吸あっての拍手。
日頃マエストロが口にしていた拍手に対する不満も、今日は無かったでしょう。私は前日、別のオーケストラで余韻ぶち壊し喝采に辟易したばかりなので、この夜の聴き手の素晴らしさにも感謝。
元正指揮者・広上が間を置いて日本フィルの指揮台に復帰したように、前正指揮者・沼尻も近い将来、別の形で定期的に日本フィルを指揮してもらいたい。私はそれを強く切望しています。

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1件の返信

  1. 清水浩憲 より:

    こんにちわ。初めまして。とても、楽しいブログですね。今、地方にいて
    なかなか、コンサートにいけません。日本フィルファンなので、定期の
    感想楽しみです。アケさん時代の楽員が減り、どうなってしまうのかな、なんて、vnの斉藤さんのファンでした。今でも、いますが。大河内さん、フルートの蔦井さんとか好きでした。

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