「カルメン」再考
昨日は「カルメン」公演が跳ねたあと木下美穂子後援会の懇親会があるというので、出掛けてきました。
当初はパスする積りだったのですが、参加を強く勧められたのと、初日を観た演出面で二点ほど疑問があったので、直接木下ミカエラに聞いてみようと思ったからです。
日曜日の公演そのものは聴かず、懇親会のみの参加。会場である文化会館内の精養軒で終演を待ちます。
今日はそこで確認できたことを踏まえ、もう一度マルティノーティ演出を振り返ってみようと思いましてね・・・。
本編でも触れたようにマルティノーティは細かいことに拘る演出家で、プログラムに「リアリティからリアリズムへ」という小論を載せているように、台本の考察の結果生まれたと思われるアイディアがふんだんに見られた舞台でした。
ここでは歌劇の進行順に私が気付いたことを単純に列記し、上記小論に照らしながら考えてみたいと思います。
**********
1. ホセ処刑の場面
前奏曲の後半、運命の主題が演奏される間、舞台上ではドン・ホセの処刑の場面が演じられます。
この処刑、もちろんカルメン殺しの罪状に下された判決でしょうが、前奏曲で後日談を暗示する手法が採られています。
(小論では、椅子上で首を締め付けるスペイン式の絞首刑とのこと。これはホセがドン・という貴族の称号を持つから、との解説が書かれています)
2. ミカエラの手荷物
ミカエラが登場する時、普通のスーツケースの他に不思議な形状の「籠のようなモノ」を持っていることに気が付かれたでしょう。
私はこれが何だか判らず、懇親会でミカエラ本人に聞いてみました。その答は、あれはバスク地方特有の球技に使う道具なのだそうです。詳しくはこちらをご覧下さい。↓
http:// www.kan shin.co m/keywo rd/1463 28
何故ミカエラが「ハイアライ」の道具を持参したのかまでは聞き損ないましたが、ミカエラ本人がハイアライを嗜むほど活発で頑強な女性であることを表しているのか、兵隊生活の合間に楽しむための道具としてホセに差し入れするために持っていたのか。
あるいは単にミカエラが純粋なバスク出身者であることを聴衆に理解してもらうためだけに持たせたのか・・・。
「ハイアライ」の意味はバスク語で「楽しい祭」なのだそうですから、第1幕の舞台がセヴィーリアのセマーナ・サンタ祭(4月)に設定されていることの象徴なのかも。
それにしたって、あの鰻捕りの籠みたいなものがバスク地方の球技の道具だなんて、極東島国に住む人がピンと来るわけないじゃないか。
3.バスクの風景
第1幕。ホセとミカエラの二重唱の間、二人の空間の背景にバスク地方の田園風景と思しき映像が映し出されます。
「小論」に態々タイトルを設けられた「映画的手法」の代表的一例でしょう。
4.手紙の朗読
その二重唱に続いてホセが母からの手紙を読む場面が出てきます。ここではミカエラが席を外すのですが・・・。
ここでマルティノーティ演出では、録音された「母の声」を流します。朗読しているのは本公演の原語指導と声楽コーチを務めたドゥニーズ・マッセ女史。録音ではなく、リアルタイムで朗読をスピーカーから流したのかも知れません。少なくとも初日のカーテンコールで彼女と思しき人物も登場していましたから、ナマ出演の可能性のほうが大きいでしょう。
5.カルメンとホセの密約
第1幕の終り、捕まったカルメンがホセに逃がしてくれるように誘惑する場面があります。
この演出では、その現場を衛兵隊長スニガが立ち聞きする設定になっています。これは正にこうでなければならないと思わせるもの。
もしカルメンを逃がすことがホセとの秘密のままであり、カルメンが上手く逃げるように芝居を打てば、即ホセ逮捕には繋がらないはず。
隊長が一部始終を見ていたので動かぬ証拠があったことになり、この逮捕は実にリアリティがあるということになりますね。
6.ミカエラの目撃
この逮捕の瞬間をミカエラが目撃する。というのがこの演出のポイントの一つでしょう。
普通の演出ではこのような設定にはなっていません。ミカエラは事の顛末を知らぬまま第3幕の山奥にホセを訪ねることになります。
ミカエラがホセの逮捕を目撃していればこそ、その後のホセの動静を具に把握できたのではないでしょうか。これも説得力あり。
7.ホセの妄想
ドン・ホセが自分の将来を捨ててまでカルメンに惚れこむのは、出会いがあった一日だけで充分なのか?
その辺の疑問は、第2幕冒頭に描かれているように思います。
つまり第2幕が始まって直ぐに演奏されるジプシー娘たちの歌と踊りは、暗い牢屋の中でホセが抱く妄想のように扱われています。カルメン以下の3人は鉄格子をすり抜けて登場する。
この歌と踊り、実際に第2幕が開いたときにもう一度繰り返され、塀の内外での同時進行のような手法にも思えました。
8.スニガ殺害
第2幕の最後、スニガが銃で撃たれて斃れる場面が登場して度肝を抜きます。台本ではスニガは排除されるとだけ。殺される所まで踏み込んだのは珍しい演出だと思います。
如何に都市警察の制度が確立していなかった19世紀スペインとは言え、巡邏兵隊長が殺害されたとなれば重大事件のはず。首謀者は必ず追跡され、捕まれば死刑必至だと思われます。犯人一味は逃げるのも必死の事態。
第2幕と第3幕の間がどの位あるのか、台本には明記されていません。
しかし殺人事件を引き起こしたグループが逃避を兼ねて山中に逃げ込んだとすれば、そんなに間が空いているとは考えられません。
第3幕は、第2幕の早ければ翌日、遅くとも一週間程度しか経ていないというのがマルティノーティ解釈じやないでしょうか。
9.ミカエラの妊娠
第4幕冒頭、闘牛場の前を行き交う人々に紛れてホセとミカエラが手を繋いで登場するのに気付かれた方はいらっしゃいますか。
私は思わず声を上げそうに驚いたのが、ミカエラの妊婦姿でした。
これも確信が無かったので懇親会でミカエラを問い詰めた疑惑の一。私の観察通り、ミカエラは妊娠していたのです、いや、そういう設定になっていたのです。
となれば時期が問題。ミカエラがホセの子供を宿したのは何時か?
恐らくこういうことでしょう。
母の臨終を知ったホセはミカエラと共に故郷に戻り、母を看取った。その後二人は結婚したか否かは不明ですが、いずれにしても最も近い関係を持つ。
第4幕は「小論」によれば第1幕の翌年の2月か3月。仮に第3幕がスニガ殺し(これは5月で間違いないでしょう)からそんなに間を空けていなければ、ホセとミカエラの結婚?は6月か7月。
ミカエラは妊娠8ヶ月くらいに見えましたから、これなら計算は合います。
歌劇「カルメン」は4月のセマーナ・サンタ祭からほぼ1年間の出来事、というのはマルティノーティ自身が書いていることです。
ところで問題なのは、結婚しているにせよしていないにせよ、ミカエラとの間に子供まで儲けたホセが、なおカルメンに復縁を迫る態度。
ここには矛盾を感ずると同時に、ホセの行状に許し難いものを感じてしまうのは私だけではないでしょう。
実際、ミカエラ談話では、ここは大いに問題になった箇所だそうです。最終的には演出家の意図が通されたようですが、指揮者や歌手は疑問を感じていたとか。
これは私の想像ですが、恐らく演出家は「カルメン」の各幕の時間設定に拘るあまり、スニガの殺害とミカエラの妊娠を思いついたのではないでしょうか。どちらも時間の経過を説明するのに格好の材料だからです。
(それにしてもミカエラの妊婦姿に気が付いた人は何人いるのか。私は1階5列目でしたから即座に判ったのですが、後方の席では判別不能でしょう。第一、あそこでミカエラが出てくるなどということは想像の範囲内じゃありませんから。後で隣で見ていた私の家内にこのことを話したら、“エぇーッ全然気が付かなかった” って言ってましたからね)
**********
以上、長々とマルティノーティ演出に拘ってみました。他にも私が気付かなかった拘りがたくさんあるはず。
例えば、これは懇親会で聞いて驚いたことですが、新聞を読むシーンがあるそうですが(何処にあったかなぁ)、その新聞は何と実際にバスク地方で発刊された新聞を取り寄せている由。
彼がここまで拘ったのは、兵庫公演(日本人キャスト組)がテレビ収録されている所為もあったようです。
いずれ放送されるでしょうから、細部に拘りたい諸氏は是非映像で確認してみて下さい。
オペラの主導権を握るのは指揮者か、歌手か、演出家か。よく話題になるテーマですが、今回の「カルメン」も様々に材料を提供してくれていたと思いますね。その意味でも、耳と目を十二分に開いて鑑賞するに値する「カルメン」公演だった、というのが私の結論です。
当初はパスする積りだったのですが、参加を強く勧められたのと、初日を観た演出面で二点ほど疑問があったので、直接木下ミカエラに聞いてみようと思ったからです。
日曜日の公演そのものは聴かず、懇親会のみの参加。会場である文化会館内の精養軒で終演を待ちます。
今日はそこで確認できたことを踏まえ、もう一度マルティノーティ演出を振り返ってみようと思いましてね・・・。
本編でも触れたようにマルティノーティは細かいことに拘る演出家で、プログラムに「リアリティからリアリズムへ」という小論を載せているように、台本の考察の結果生まれたと思われるアイディアがふんだんに見られた舞台でした。
ここでは歌劇の進行順に私が気付いたことを単純に列記し、上記小論に照らしながら考えてみたいと思います。
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1. ホセ処刑の場面
前奏曲の後半、運命の主題が演奏される間、舞台上ではドン・ホセの処刑の場面が演じられます。
この処刑、もちろんカルメン殺しの罪状に下された判決でしょうが、前奏曲で後日談を暗示する手法が採られています。
(小論では、椅子上で首を締め付けるスペイン式の絞首刑とのこと。これはホセがドン・という貴族の称号を持つから、との解説が書かれています)
2. ミカエラの手荷物
ミカエラが登場する時、普通のスーツケースの他に不思議な形状の「籠のようなモノ」を持っていることに気が付かれたでしょう。
私はこれが何だか判らず、懇親会でミカエラ本人に聞いてみました。その答は、あれはバスク地方特有の球技に使う道具なのだそうです。詳しくはこちらをご覧下さい。↓
http://
何故ミカエラが「ハイアライ」の道具を持参したのかまでは聞き損ないましたが、ミカエラ本人がハイアライを嗜むほど活発で頑強な女性であることを表しているのか、兵隊生活の合間に楽しむための道具としてホセに差し入れするために持っていたのか。
あるいは単にミカエラが純粋なバスク出身者であることを聴衆に理解してもらうためだけに持たせたのか・・・。
「ハイアライ」の意味はバスク語で「楽しい祭」なのだそうですから、第1幕の舞台がセヴィーリアのセマーナ・サンタ祭(4月)に設定されていることの象徴なのかも。
それにしたって、あの鰻捕りの籠みたいなものがバスク地方の球技の道具だなんて、極東島国に住む人がピンと来るわけないじゃないか。
3.バスクの風景
第1幕。ホセとミカエラの二重唱の間、二人の空間の背景にバスク地方の田園風景と思しき映像が映し出されます。
「小論」に態々タイトルを設けられた「映画的手法」の代表的一例でしょう。
4.手紙の朗読
その二重唱に続いてホセが母からの手紙を読む場面が出てきます。ここではミカエラが席を外すのですが・・・。
ここでマルティノーティ演出では、録音された「母の声」を流します。朗読しているのは本公演の原語指導と声楽コーチを務めたドゥニーズ・マッセ女史。録音ではなく、リアルタイムで朗読をスピーカーから流したのかも知れません。少なくとも初日のカーテンコールで彼女と思しき人物も登場していましたから、ナマ出演の可能性のほうが大きいでしょう。
5.カルメンとホセの密約
第1幕の終り、捕まったカルメンがホセに逃がしてくれるように誘惑する場面があります。
この演出では、その現場を衛兵隊長スニガが立ち聞きする設定になっています。これは正にこうでなければならないと思わせるもの。
もしカルメンを逃がすことがホセとの秘密のままであり、カルメンが上手く逃げるように芝居を打てば、即ホセ逮捕には繋がらないはず。
隊長が一部始終を見ていたので動かぬ証拠があったことになり、この逮捕は実にリアリティがあるということになりますね。
6.ミカエラの目撃
この逮捕の瞬間をミカエラが目撃する。というのがこの演出のポイントの一つでしょう。
普通の演出ではこのような設定にはなっていません。ミカエラは事の顛末を知らぬまま第3幕の山奥にホセを訪ねることになります。
ミカエラがホセの逮捕を目撃していればこそ、その後のホセの動静を具に把握できたのではないでしょうか。これも説得力あり。
7.ホセの妄想
ドン・ホセが自分の将来を捨ててまでカルメンに惚れこむのは、出会いがあった一日だけで充分なのか?
その辺の疑問は、第2幕冒頭に描かれているように思います。
つまり第2幕が始まって直ぐに演奏されるジプシー娘たちの歌と踊りは、暗い牢屋の中でホセが抱く妄想のように扱われています。カルメン以下の3人は鉄格子をすり抜けて登場する。
この歌と踊り、実際に第2幕が開いたときにもう一度繰り返され、塀の内外での同時進行のような手法にも思えました。
8.スニガ殺害
第2幕の最後、スニガが銃で撃たれて斃れる場面が登場して度肝を抜きます。台本ではスニガは排除されるとだけ。殺される所まで踏み込んだのは珍しい演出だと思います。
如何に都市警察の制度が確立していなかった19世紀スペインとは言え、巡邏兵隊長が殺害されたとなれば重大事件のはず。首謀者は必ず追跡され、捕まれば死刑必至だと思われます。犯人一味は逃げるのも必死の事態。
第2幕と第3幕の間がどの位あるのか、台本には明記されていません。
しかし殺人事件を引き起こしたグループが逃避を兼ねて山中に逃げ込んだとすれば、そんなに間が空いているとは考えられません。
第3幕は、第2幕の早ければ翌日、遅くとも一週間程度しか経ていないというのがマルティノーティ解釈じやないでしょうか。
9.ミカエラの妊娠
第4幕冒頭、闘牛場の前を行き交う人々に紛れてホセとミカエラが手を繋いで登場するのに気付かれた方はいらっしゃいますか。
私は思わず声を上げそうに驚いたのが、ミカエラの妊婦姿でした。
これも確信が無かったので懇親会でミカエラを問い詰めた疑惑の一。私の観察通り、ミカエラは妊娠していたのです、いや、そういう設定になっていたのです。
となれば時期が問題。ミカエラがホセの子供を宿したのは何時か?
恐らくこういうことでしょう。
母の臨終を知ったホセはミカエラと共に故郷に戻り、母を看取った。その後二人は結婚したか否かは不明ですが、いずれにしても最も近い関係を持つ。
第4幕は「小論」によれば第1幕の翌年の2月か3月。仮に第3幕がスニガ殺し(これは5月で間違いないでしょう)からそんなに間を空けていなければ、ホセとミカエラの結婚?は6月か7月。
ミカエラは妊娠8ヶ月くらいに見えましたから、これなら計算は合います。
歌劇「カルメン」は4月のセマーナ・サンタ祭からほぼ1年間の出来事、というのはマルティノーティ自身が書いていることです。
ところで問題なのは、結婚しているにせよしていないにせよ、ミカエラとの間に子供まで儲けたホセが、なおカルメンに復縁を迫る態度。
ここには矛盾を感ずると同時に、ホセの行状に許し難いものを感じてしまうのは私だけではないでしょう。
実際、ミカエラ談話では、ここは大いに問題になった箇所だそうです。最終的には演出家の意図が通されたようですが、指揮者や歌手は疑問を感じていたとか。
これは私の想像ですが、恐らく演出家は「カルメン」の各幕の時間設定に拘るあまり、スニガの殺害とミカエラの妊娠を思いついたのではないでしょうか。どちらも時間の経過を説明するのに格好の材料だからです。
(それにしてもミカエラの妊婦姿に気が付いた人は何人いるのか。私は1階5列目でしたから即座に判ったのですが、後方の席では判別不能でしょう。第一、あそこでミカエラが出てくるなどということは想像の範囲内じゃありませんから。後で隣で見ていた私の家内にこのことを話したら、“エぇーッ全然気が付かなかった” って言ってましたからね)
**********
以上、長々とマルティノーティ演出に拘ってみました。他にも私が気付かなかった拘りがたくさんあるはず。
例えば、これは懇親会で聞いて驚いたことですが、新聞を読むシーンがあるそうですが(何処にあったかなぁ)、その新聞は何と実際にバスク地方で発刊された新聞を取り寄せている由。
彼がここまで拘ったのは、兵庫公演(日本人キャスト組)がテレビ収録されている所為もあったようです。
いずれ放送されるでしょうから、細部に拘りたい諸氏は是非映像で確認してみて下さい。
オペラの主導権を握るのは指揮者か、歌手か、演出家か。よく話題になるテーマですが、今回の「カルメン」も様々に材料を提供してくれていたと思いますね。その意味でも、耳と目を十二分に開いて鑑賞するに値する「カルメン」公演だった、というのが私の結論です。
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