チューリヒの「カルメン」
ほぼ1年振りの音楽番組カテゴリーです。そもそもクラシック音楽を放送で楽しむ習慣が無かった上に、テレビ・チューナーの具合が悪く(音声が右側しか出ない)、音楽番組はずっとご無沙汰していました。
ところが最近、思い立ってテレビを一新。ステレオがちゃんと左右から聴こえるし、画面も遥かに良くなりました。不安があった地デジも想像よりずっと良い状態で受信できます。
ということで、当カテゴリーも復活の気配ですね。
週末にBS2で放送されたチューリヒの「カルメン」をハードディスクに録画して、今見終わったところ。多分再放送だと思いますが、こんなキャストでした。
ビゼー/歌劇「カルメン」
カルメン/ヴェッセリーナ・カサロヴァ
ドン・ホセ/ヨナス・カウフマン
エスカミーリョ/ミケーレ・ペルトゥージ
ミカエラ/イサベル・レイ
モラーレス/クレシミル・ストラジャナッツ
スニーガ/モーガン・ムーディ
フラスキータ/セン・グオ
メルセデス/ユディット・シュミット
ダンカイロ/ハビエル・カマレナ
レメンダード/ガブリエル・ベルムデス
指揮/フランツ・ウェルザー=メスト
管弦楽/チューリヒ歌劇場管弦楽団
合唱/チューリヒ歌劇場合唱団、チューリヒ歌劇場児童・少年合唱団
演出/マティアス・ハルトマン
2008年6月26・28日、7月1日にチューリヒ歌劇場で行われた公演を収録したものです。
放送ですからあまり細かいことには触れません。ですが、これはかなりユニークな公演だと思いました。見慣れた「カルメン」とはかなり違います。
演出は、思い切って節約した舞台。舞台上の装飾はほとんどありませんし、出演者の衣裳も自前じゃないかと思うほどシンプル。子供達はボロを着ていて、設定は人々の貧しさや、荒んだ兵士たちの様子を強調しているようにも感じます。
登場したミカエラを兵士たちが取り囲み、下着一枚にしてしまうのはどうなんでしょう。抵抗を覚える人もあるでしょうね。
ピンと来るのは、チューリヒも財政難で豪華な舞台は作れないのだろう、ということ。
終幕の冒頭は様々な闘牛士達が派手派手しい衣裳で登場するのが常ですが、この舞台では闘牛士は一切なし。貧相な格好の群集が客席を向いて、いかにもスター達の行進を見物しているようなフリをするだけ。如何にも「カネ」をかけていない舞台だゾ。
演奏もかなり変わっていました。カルメンと言えば狂おしいまでの恋と嫉妬の話で、最初から最後まで「熱い」舞台になるのが常套だと思いますが、これは相当に静的な演奏に終始。
カルメンのハバネラもそう、ホセの花の歌もそう。魅惑を前面に出したり、心情を爆発させたりとは別世界です。
良い例が幕切れの二人の場面でしょう。別れ話に激情する恋人というよりは、兄妹が夜逃げの相談をしているよう。ひそひそと静かに、言葉を選んで会話するような具合に歌われたのは、指揮者の指示でしょうか、演出家の意図なのか。
ヨナス・カウフマンのドン・ホセは、つい先日もコヴェントガーデンでの公演を映画館で見ましたが、これとは全く違う、普通に情熱的なホセでしたから、明らかに歌手の解釈ではなさそうですね。
そして何より驚いたのは、使われた「版」です。
私はカルメン演奏史も楽譜も良く知りませんが、かつて使われていたのはギローがレシタティーヴォを作曲したウィーン版(エーザー版?)。現在最も普通に取り上げられるのがビゼーのオリジナル、レシタティーヴォでなく台詞に戻したアルコア Alkor 版と認識していました。
ところがチューリヒのはどちらでもありません。番組の終わりにチラッと流れたクレジットを慌てて読んだところでは、どうやらアルコア版を基に更なる批判校訂を加えたヘルマン版という物、らしいのです。
ミカエル・ロート Michael Rot による新版という字幕がチラッと見えました。
いずれにしても番組自体には何の解説もありません。
とても全部は追い切れませんが、例えば第1幕でミカエラに逃げられた兵隊たち。普通なら直ぐに子供達の合唱に繋がりますが、その前にモラレスと兵隊達による一曲が歌われるのです。私は今まで一度も聴いたことの無いピース。
ここは流石に仰天しましたわ。
それでいて子供達の合唱が終った後、スニガとホセの対話はアルコア版の台詞ではなく、ウィーン版のレシタティーヴォがそのまんま使われるという具合。
録音はオーケストラの細部をクッキリ拾ったもので優秀、画面も当然ながら美しい収録です。
私の感想としては、“う~ん、こういうカルメンもあるのかなぁ” という感じで、永久保存する気持ちはありません。でも、もう何回か鑑賞して、版のことなど記憶に止めておく価値は充分にあると考えています。
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