強者弱者(3)

ぼら釣り

 鯔釣りは南東京に於いて忘れ得ぬ興楽の一つなり。
 彼岸前後には此の魚台場廻りの粗朶に在り。十月に入りて大森、森ヶ崎の沖に去り、十一月に及んで更に横浜の港外に去る。舟を粗朶の中に入れて静に潮の動くを待つ。
 素人の釣りにはヒッカケと称する碇を以って最も妙とす。天高く海脂の如き日、午に近き日を満身に浴びて、幽かなる指頭の触覚に平日の我を忘る。最もよき転気法の一なり。
 團十郎嘗て此釣りを好み虎と呼ぶ老船頭を愛して必ず之を伴へり。芝浦の人、虎を綽名して弁慶といふ。團十郎死して弁慶其船を得たり。弁慶の釣を垂るゝや季節を選ばず。一月より四月に至る間、海に殆ど鯔の姿を見ざるの時と雖、日として彼の姿を見ざる事なし。また南東京の一名物男たるを失はず。

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「ぼら」は漢字で「鯔」と書きます。いわゆる出世魚で、大きくなるに従って名前も変わっていく魚。小さい順に、ハク→オボコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド、となりますね。イナからトドまでは全て漢字で「鯔」。だから「鯔」には三通りの読み方があるワケですな。
「トドのつまり」 という言い方がここからきていることは良くご存知でしょう。

大森海岸で素人にもボラが釣れた、というのは100年前の情景。現在では想像することも難しい状態です。

「粗朶」は「そだ」と読みますが、ツイこの間まで普通に使っていた言葉だと思います。
樹の枝を刈って薪にしたもののことですが、薪の生活自体が無くなって粗朶も消えてしまいました。昔はこれを海岸や川の護岸としても利用していましたから、ここによく魚が集まったものです。

ここに登場する市川團十郎は、恐らく9代目のこと。1903年に亡くなっていますから、話の辻褄も合います。
近代歌舞伎の礎を築いた役者、ということになっていますから、当代の人気は随一だったでしょう。
特に当り役としたのが「弁慶」。贔屓にしていた船頭の綽名にしたのもこれ故のこと。

9代目團十郎のエピソードとしても面白い話だと思います。
それにしても名船頭、虎さんの子孫はご健在でしょうか。

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