強者弱者(5)
秋雨
雨霏々として肌寒し。日脚漸く短きに通勤者の帰宅を急ぐもの、黄昏の巷に潮の漲るが如く、官庁、工場の前など、傘影相接して電車は皆満員。
文藝雑誌其他の秋期増刊号皆新聞紙に其広告を競う。本郷、神田、牛込は東京の書生部屋なり、不生産者の世界なり。雑誌屋の店頭のみ、淋しき雨をよそに、くさぐさの色刷り花やかに青白き電光と相映じて、ひとり、世の不景気を知らず顔なり。
書生、小官吏の足を牛肉屋に向くるもの多し、季節なり、且つは月初めなり。
各呉服店冬もの売出し。
大崎、雉子の宮の祭、神楽の催し東京一と聞ゆ、南東京の市民、足を向くるもの多し。
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「霏々」は「ひひ」と読みます。雨や雪がひっきりなしに降ること。本来「霏」は霧や靄のことで、字を重ねることである状態が継続する様子を表す時に使うようですね。
今年も10月に入って秋雨の季節になりましたが、これは100年前も同じだったようです。
「本郷、神田、牛込は東京の書生部屋」、これは今も変わらないようですね。当時の感覚では「不生産者の世界」ですか・・・。
明治末期は現在以上に物事に季節感がありましたが、出版業界も秋期増刊号という慣習があったようです。
どうやら世間が不景気だったのは100年前も同じ。
牛肉を食べるのも季節。月初め、というのは懐具合を指しているのかもしれません。まだまだ高級食材だった牛肉か。
大崎の雉子の宮の祭は、現在でも有名なんでしょうか。私はほぼ地元なんですが、勉強不足であまり聞いた事がありません。
雉子神社そのものは、山手線の五反田駅から桜田通を高輪方面に向かう坂を少し上った辺りにあります。神楽を舞うような場所があったかどうか・・・。
実は、昨日(9月30日)の夜、サントリーホールからの帰りに雉子神社の前を車で通ったのですが、たくさんの祭り提灯が飾られていて、現在でも祭礼そのものは行われているようです。
但し雨ということもあってか、人通りはほとんど無い様子。100年前は「神楽の催し東京一と聞ゆ」という催しも昔日の感がありました。
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