古典四重奏団・ショスタコーヴィチ・ツィクルスⅣ
今日は色々書くことがあって大変です。やれやれ。
昨日は仲秋の名月。東京地方は午前中は雨も降り、午後も曇り空。今日は月は見られそうもないと思いつつ晴海の第一生命ホールに出掛けました。
同ホールの格となる名物企画、クァルテット・ウィークエンド2009-2010シーズンのガレリア・シリーズの開幕です。
10月3日は、古典四重奏団によるショスタコーヴィチ・ツィクルスの4回目。
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第10番 変イ長調 作品118
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 作品122
~休憩~
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第12番 変ニ長調 作品133
古典四重奏団(河原千真、花崎淳生、三輪真樹、田崎瑞博)
古典四重奏団は、SQWが未だクァルテット・ウェンズデイだった頃からの中心団体。特定の作曲家の全曲演奏会や特集演奏会を続けてきました。
現在進行形なのが、ショスタコーヴィチとベートーヴェンの全曲交互進行ツィクルス。
一昨年は Vol 1として取り上げたショスタコーヴィチ、前シーズンのベートーヴェン Vol 1を挟んで、いよいよ後半の第2集がスタートしました。番号順に取り上げていくプログラミングです。
この団体は、特定の個人や団体から教授されたことのない、全く独自のスタイルを築き上げたグループ。聴きどころは正にその独自性にあります。世界の何処でも(場所も時代も)聴かれたことの無いベートーヴェンであり、ショスタコーヴィチ。
それはこの日の最初、第10番の出だしからして明らかでした。団のリーダーとも言える第1ヴァイオリン・河原千真の独特なイントネーションに導かれる開始。
いつものように完全暗譜で臨む演奏に、迷いも衒いも、もちろん驕りも微塵も感じられません。
第10番
伝統的な4楽章スタイルながら、ショスタコーヴィチ特有の形式感とアイディアに満ちたもの。
第2楽章の激しいアレグレット・フュリオーソは正に怒り狂う音楽。第10交響曲の第2楽章を連想させますが、意外に明るい印象。
古典四重奏団の速いテンポによる、息も吐かせぬ熱演。
第3楽章のパッサカリアも決して重くならず、むしろ叙情的な美しさが全面に出ます。
真骨頂は軽やかなアレグレットの第4楽章。最後に第1楽章が回帰して、懐かしい友に再会する趣。
第1ヴァイオリンが躊躇うように変ホを呟く中、他の3人の和音が静かにホールに吸い込まれます。
第11番
7つという多楽章ながら、全体は通して演奏されるもの。一つ一つの楽章は短く、夫々の性格が極めて特色に満ち、珍奇な言い回しをすれば「松花堂弁当」の様な四重奏曲。河原氏が書いた解説のように、組曲の様相と言う方が適切かもね。
真ん中に置かれた「エチュード」のテンポの速いこと速いこと! よくぞあんなスピードで弾けるもんだと、ただただ感心するのみ。
冒頭のイントロダクションと第2楽章のスケルツォが最後のコンクルージョンで再現する趣向は、ショスタコーヴィチ好みというか、この日の3曲に共通したアイディア。
それにしてもスケルツォの日本風なメロディーは耳につくなぁ~。時々色を添えるグリッサンドが楽しい。
私にとって11番は深刻なものではありません。リラックスした作曲家が偲ばれるようで、ショスタコーヴィチの中では最も好きな作品ですね。
これも第1ヴァイオリンの高音がホールに吸い込まれるので、会場の拍手は大人し目。でも私はこの日一番の名演だと思いました。
第12番
これも特異な楽章構成。表面的には短い第1楽章と、長くてスケールの大きい第2楽章から成ります。
しかし第2楽章はスケルツォ→緩徐楽章→フィナーレという部分に分けて聴くことも可能で、全体で4楽章風な創りとも言えましょう。
最後に12音で構成されている第1楽章の冒頭が回帰するので、全体が一つの楽章という聴き方もありじゃないでしょうか。
ベートーヴェン四重奏団の亡くなった第2ヴァイオリン奏者を偲んだということで、他の3人による部分が長いのも聴きどころ。
壮大なフィナーレでの第1ヴァイオリンのピチカートを含む妙技は、正に河原千真の独壇場。
多少ハッタリを効かせた感のある終結に、客席は割れんばかりの拍手喝采。
そもそもショスタコーヴィチの弦楽四重奏には、大きな音で「カッコ良く」終る曲は少ないのです。他には1番、2番、9番くらいですよね。
その意味では、このツィクルス第4回は賑々しく終了しました。
これで古典四重奏団のショスタコーヴィチ全曲踏破は八合目まで来たことになります。次は11月3日の最終回。愈々最後の難関、ショスタコーヴィチの遺言が待ち受けていますゾ。
ホールを出た時は相変わらず曇っていた夜空。家に帰り着いた9時頃に東の空を見上げると、見事な満月が姿を現わしていました。
ショスタコーヴィチに酔った夜半に目を醒ますと、今度は西の空に浮ぶ満開の月。そう、月は東から出て西に沈むのでしたな。改めて仲秋の満月を見上げた古の人々の自然観を想う夜でした。
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