強者弱者(7)

粟飯

 快晴。市内の各小学校、郊外に遠足を試むるもの多し。目黒の不動、中野の薬師など、栗めしの名所。近年客足にはかに多し。江東の水害、亀戸の萩寺、向島百花園のすさびたるに加へて山手電車の開通したる為か。
 五日、水天宮の縁日。街頭の柳黄ばみて、淡き日影にハラハラと散る。やつれたる露店商人の顔にも秋の意ほのめきて寂し。
 コスモスの花咲く。団子坂、国技館、ルナパークなど皆、菊の植付に忙し。松茸の小荷物、新橋停車場に堆し。駅員の手数察す可し。牛肉屋の女中、皆客の顔を見て『松茸を持ちませうか』といふ。
 蟷螂の翅、老僧の袈裟の如し。
 山茶花咲き初む。ダリア漸く末、紫苑真盛り。
 夜寒身に沁みて世は漸く犯罪の季節に入る。市民窃盗の難に遭うもの頻々。
 柿、市に上る。

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目黒や中野が栗飯の名所だった、というのは意外に思う人が多いでしょうね。実際に明治期の古地図を見ると、目黒不動の周りは栗林が点在していたようです。
目黒など秋刀魚戦争にばかり熱を入れず、「目黒の栗飯」を復活させてはどうでしょうかね。

ここで山手線のことが出てきます。山手電車の開通がほぼ100年前のこと、これによって路線から外れる亀戸や向島は寂れてきたということです。文章から見て、この少し前に恐らく大川の氾濫があって、江東一帯が水害に見舞われたとことが読み取れます。

亀戸の萩寺(本来は龍眼寺)も向島の百花園も現在でも健在ですが、東京名所と言われるほどの賑わいは失われたように思いますが、どうでしょうか。
それだけ山手線の開通はインパクトが大きかったということでしょう。

ここで登場する水天宮は、日本橋蛎殻町の水天宮。今なら半蔵門線の駅前です。

菊の名所に挙げられている3箇所。国技館はよしとして、団子坂は現在の文京区、千駄木から谷中に抜ける坂道のことです。坂下が千代田線の千駄木駅に当りますね。
ここは明治末年、つまり100年前頃までは狭く急な坂だったそうで、道の両側に菊人形が並び、東京名物の一つだったことが広辞苑に記されています。

ルナパークは丁度この頃(明治43年)に浅草六区に開設された娯楽場のこと。やはり菊の飾り付けが人気だったのでしょう。
この施設は、その後間もなく火事により焼失してしまったそうです。

この頃が犯罪の季節だった、というのも奇異な感じがします。現在では「犯罪」に季節は無いようにも思いますが、「振り込め詐欺撲滅月間」などという看板を見ると、明治時代から続いている生活習慣の名残のようで面白く感じられます。
寒くなってくると犯罪、というテーマはオー・ヘンリーの短編にもありましたな。

「柿、市に上る」、という季節感。我家もそろそろ梨に替って柿が食卓に上るようになってきました。

 

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